◆IL DIVO◆ バッハ 「無伴奏チェロ組曲 第4番 ヘ長調 BWV1010」

J.S.BACH Cello Suite Nr.4 F-dur
URL : http://papalin.yas.mu/W101/M004/
◇公開日: 2005年10月01日
◇連続演奏時間: 24分57秒
◆録音日: 1983年12月10日 (22歳)
◆上記の英語の曲目名をクリックすると、
Papalinの音楽サイトに直行できます。
唯一の、リサイタルでのライブ録音です。 第1番のプレリュードとも似た、アルペジオで始まるプレリュード。でもこちらの方が規模は壮大です。
サラバンドでは、重音がたくさん登場しますが、これは、なるべくチェロの演奏に近づけようと、リコーダーの楽譜に、更に音を足して演奏してみました。チェロの4弦を意識しています。
Prelude Allemande Courante Sarabande Bourree I und II Gigue
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【写真の撮影データ】
タイトル 「1982年秋 大学祭でのリコーダー・アンサンブル定期演奏会から。」
カメラ機種名 EPSON Scanner GT-7600U(スキャナー)
![]() リコーダー |
この記事へのコメント
こうして、無伴奏チェロ組曲、通して聴いてみると、この曲の完成度の高さ、何ものに変えがたい美しさ、といったものに、改めて気づかされ、バッハという巨人の前にひれ伏すばかりです。
papalinさんの演奏にはいつも、そうした、バッハへの熱い想いがあふれているように思います。塾の先生ではありませんが、確かに、「永久保存版」として大事にしたいですね。
楽器って、個体によって音色が違いますが、Papalinが使っている楽器は、独奏向きの楽器で、音がよく通ります。逆にアンサンブルだと、浮いちゃう危険性があるんですけどね。でも、何とか鳴り響いてくれました。私にとっても保存版です。
この6つの組曲は本当に素晴らしいですね。ブログの方で、第5曲目だけ、青い字で書いていますが、ここだけが変るんですね。あとは皆な同じ舞曲のタイトルがついています。そういう計算された美しさもあるし、一つひとつのメロディの美しさもあるし、本来は単旋律楽器のくせに、重音とか3重音とか多用して、和音を響かせています。不安定な不協和音も効果的に使っています。ただ、楽譜がいろんな版があって、どれがバッハ本人の頭の中で鳴っていたのかはわかりませんでした。
音楽は、時間の芸術といわれます。経過していく時間とともにあるということ、でしょうか?その”流れ”が瞬時に鳴るのかしら。それとも、よく言われるように、あとから、あとから湧いてくるのでしょうか?
かつて、ヴェート-ヴェンの8番、21番のピアノソナタを聴いた時感じて以来、いつも思う事なのです。
音楽は最初から完成されたものとして、”鳴る”のか、最終的な姿は作曲家自身にもわからないまま”自動書記”状態になるのか、作曲家は「音楽に操られる」のか、自ら音楽と格闘して自分のものとするのか。はたして、「自分のもの」になるのか.........
書いている私も何がなんだかわからなくなりました。
ピアノ曲の伴奏部分の味付け、オーケストレーションなんかも、構想は既に頭の中にあって、それを♪の文字にしてみて、気に入らないところは修正していく...そんな"作業"が作曲に見えるのであって、本当は、"頭の中で鳴る、鳴り響くようになる"までの行為が作曲であって、以降は"作業"であるような気がします。
例えは良くないですが、このaostaさんへのお返事も、既に主題とストーリーが決っていて、それをただ文字という共通の道具を使って、両手でキーインしているのは作業だと思うのです。だから、作業は楽になりたい。音声入力、もしくは思考入力がしたいです。(楽)
と、思う反面、文字にすることで初めて確認される事もあります。書き言葉によって触発される場合もあると思います。
例えば、文語体の持つ「力」そして「リズム」は、文字があってのことだと思われます。頭の中にあるものを言葉にし、さらに文字にと転換していくことで、「思考」は鍛えられていくような気もします。
天声人語か何かで最近読んだんですが、人類に文字がなかったらどうなっているか...というような話が載っていました。記憶にあるのは、というか同調したのは、みんな「今」を生きることに集中してしまい、過去のことや、未来のことって考えなくなるのでは...という件です。確かにそうだろうな。こうして書いている文章だって、文字があるから、前後の脈絡だとか、点検することができるのであって、同じことでも"言葉"だけで発せられたとしたら、ちょっと前に聞いた話も忘れてしまうし、後から読み返して、新たな気づき、思考が生まれることもないでしょう。一方で、昔はラブレターを沢山書いたPapalinは、文字として残る手紙で失敗したこともあります。そう?
その点、e-mailは、自分が送ったお手紙も手元に残っていいですね。でも裏を返すと、一時の刹那って、メイルじゃダメですね。(憂)
自分の字で書くよさっていうのは、ありますね。
最近、字をあまり書いてません。
字が、どんどん下手になっています。(驚)
字に想いを込める。
だって、昔は、文通か長電話?しかなかったし。
メールは画期的です。
いいところは、ありますが、人に手紙を出すことは殆どなくなりました。
でも、たまに封書をもらうと、ドキドキしてすごくうれしくなります。
しかし、その返事が、携帯のメールというのは、いただけないけど、相手は、すぐ届いたことがわかってうれしかったとメールでまた、連絡してくれました。
写真入りの手紙だったので封書だったのです。
相手は、20年ぶりぐらいに会った大学のクラブの友達でした。ミニ同窓会が夏にあった時のことです。
今度、自分の字で書くときは、遺言でしょうか?!
本当に字を書かなくなりました。多分字を書くより、Typingの方がずっと速いでしょうね。
でもその分、風流さを捨ててしまいました。字の勢い、文章ごとに違うんです。涙で滲んだ文字、どこを書いていたときだろう...想いは馳せます。どんな気持ちで封をしたの? どんな気持ちで投函したの? みんな置いてきちゃいました。手紙の良さ...、残るのはメイルも同じだけど、手紙は文字が息をしています。
遺言ですが、財産が多ければ、相続人が多ければ、書いておいた方がいいかもしれませんね。うちは関係ないけど、母の遺産相続、まだしてないや。ブログは毎日書いているのに。(喝)