◆IL DIVO◆ プーランク 「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」 全曲

Poulenc Quatre Petites Prieres De Saint Francois D'assise
Muto Tetsuyas ・・・ Top-Tenor, Lead-Tenor, Baritone, Bass
URL : http://papalin.yas.mu/W301/
◇ジャンル: コーラス、アンサンブル、男声合唱
一人多重録音、フランス語、プーランク
◇公開日: 2005年10月16日
◇連続演奏時間: 6分58秒
◆録音日: 1997年8月 (36歳)
◆上記の英語の曲目名をクリックすると、
Papalinの音楽サイトに直行できます。
はじめてこの曲、正確に言うと、第3曲目の「主よ、何とぞ」を聴いたときに、全身総毛立ったんです。男声合唱で、こんな和音を使った、しかも神聖な曲があるんだ、プーランクって、ひょっとすると、スゴイ作曲家なのかも知れない・・・と思ったのです。以来、彼の無伴奏合唱曲に、はまってしまいました。本当に素晴らしい! 曲にブラヴォーと叫びたいくらいです。
さて、聴くと歌うとでは大違い。Papalinのことなので、録音の前に、大して練習はしないのですが、この曲集だけは、音がとれませんでしたね。その状態で歌って録音してしまったので、聴かされる人はいい迷惑かもしれません。あらかじめ、陳謝いたします。 ちなみに全パートをPapalinが歌っています。念のため。
お詫びに、曲目解説などを。
清貧の中で純粋な神、人、自然への愛を説いた聖フランチェスコへの尊崇は数多くの絵画にも描かれていますが、音楽作品としては、このプーランクの作品がとりわけ有名ですって。僕は全然知りませんでしたが。
男声合唱で、大部分は四部ですが、部分的に三部~六部になります。曲集のタイトルは「祈り」でして、聖フランチェスコの祈りの言葉を聞くようなテクストに作曲されています。
宗教的な曲ではあるのですが、定番のラテン語ではなくて、フランス語です。Papalinの発音はいい加減です。どなたかPapalinの専属フランス語教師になってくださいませ。
(1) やよ、聖母よ Salut, Dame Saint
(2) 全能にしていと聖なる Tout puissant, tres saint
(3) 主よ、何とぞ Seigneur, je vous en prie
(4) おお、わが愛する兄弟と O mes tres chers freres
みなさまのご感想を、コメント欄に是非書いてください。
【写真】 1997年 諏訪湖一周ウォークに、娘とスコティッシュの衣装で参加。
![]() 多重唱(合唱) |

この記事へのコメント
あえて、ひとつあげるとすれば、ブルックナーのミサ曲第2番でしょうか。
どちらも「この世」には属していない、霊的高みを垣間見させてくれる曲です。。papalinさんが、この、美しさのひとつの極みであるかのような曲を歌われたこと、ほんとうに素晴らしいと思います。
私は今までプーランクとクープランを混同する程、クープランに対しての知識を欠いておりました。このような曲を教えていただいて、今夜は特別の夜になりました。
興奮状態で書きましたので、あとで読み直したら、さぞかし、恥ずかしいことと思いながらも、あえて送信させていただきます。
「クープランに対する知識」ではなく、「プーランクに対する知識」でした!!
アジア系方面に旅をされたときのものですか?
スコティッシュって?
私は語彙力にも乏しいし、文学専門のaostaさんの高尚なコメントにはちゃんと答えられなくていけないのですが、aostaさんと同感なのは、"美しい和音が魂に沁み通るようです"という一文。(他は琴線に触れないとかいうことではないですよ)
かつて、このような音=和音は耳にしたことがなくって、これまた目からうろこ、耳から筋子でした。(?)
プーランクにして、この和声あり、プーランクにして、この旋律あり。一度聴いただけで好きな曲、好きな作曲家になりました。
それに匹敵するくらい、嬉しいコメントです。
僕の専門はバロック音楽だったので、クープランの方が馴染みがあったのですが、いつの間にやら逆転してしまいました。
スコティッシュって、スコットランド、英国の北部の地方でございます。スコットランドでは、というか、英国では、日本の家紋のように、貴族はその家の模様をもっています。バーバリーやアクアスキュータムなんかの柄を思い起こして下さい。ああいう縦横の縞の柄です。この写真でPapalinが身につけている帽子とタイは、マクレガー家の柄です。好きな柄です。着ながらです。(?)
楽典の知識がないまま、音楽について語ろうとすると、私の場合、言葉というあいまいな手段しかないので、想いがつのる分言葉が過剰になってしまう。もっとシンプルに表現できたら.....
と、想うことしきりです。
楽典の知識なんて、高校でも教わりませんよ。中学までです。ただし僕の経験では。楽典を見ると、頭が痛くなるのは私だけ?(笑)
シンプルもいいけど、こってりも好きです。
だけど、LaVieが昨日イタリア語だかスペイン語だかフランス語だかわからなくなってしまった経緯があり、自信がなくなってしまったのです。
「ラ、カンパーナ」レストランは、はスペイン系の○○教会のすぐ下にあるのでスペイン語かなと思い、でも、あそこの料理は、イタリア系だったっけ?フランス料理だったっけ?と思い悩み、ラ、セーヌってのは、フランスだからやっぱりフランス語?
そう思いながらもイタリア語?などと書いて、混乱してました。
そしてスコットランド・・・
マクレガーはあの服のマクレガーと関係があるのですか?その昔、若い頃服はマクレガーでした。
ところで、papalinさんの音楽サイト聞けるようになったのでしょうか?私も、パソコンは、わからないことばかりで、いつも、皆さんに助けていただいております。
aostaOO1さんは、MediaPlayerですか?RealPrayerですか?
papalinさんが普通のお顔(大学卒業)のブログにお困りコメントをしています。
LaVieは、フランス語だと思います。
で、ラ・カンパーナはスペイン語だと思うのですが、あの辺の、スペイン、ポルトガル、イタリアは、みんなラテン語が元だから本当によく似ています。なので、僕もよくわかりません。ただ、ラ・カンパーナという"イタリア料理"レストランは、東京にも、ローマにもあるんです。料理も、パスタやピッザで、本場イタリアンです。もう私も頭の中が、ミミズ一万匹です。おっと、鼻をかんだら、耳から脳みそが出そうになりました。
私が使っているのはRealPlayerです。やっぱり音が出なくて、papalinさんに教えていただきました。ただ、私の場合は、papalinさんのご指示通りにやって、すぐ聞けるようになったのですが........
バケットのようにお洒落じゃないけど、薄く切ってチーズとワインだけで大満足なパンです。
今日は、最高って、千葉ロッテ優勝だから?
おめどとうございます。
ソフトバンクもあのまま負けずよくがんばりましたね。えらいぞ!
昨日、わたしは、テレビ野球観戦でした。
イタリアのヴェローナにある、アレーナ円形競技場で野外オペラを楽しんだときに、売り子さんが席を巡回してました。
"VINO, Birra, Panini?" と言っていました。「ワインにビールに、パンは如何~?」です。
realplayerで音が出なかったってとこ。
わたしだけじゃあ、なかったんですね。(ほっ)
aosta001さんが聞けるようになったpapalinコメントは、何月何日のブログでしたっけ?
一度、見た記憶があるんですけど、もし、覚えていたら教えてください。
papapinさんも、覚えていたら教えてください。
”papalinの音楽サイト 10月1日グランド・オープン!!!”という題のブログで、コメントは3日になっていました。
「音が出ません!」と言われてから、もう随分になりますよね。毎日、パソコンと格闘していらっしゃるのでしょうか。一日も早くpapalinさんの素晴らしい演奏が楽しめますようにと応援してますからね!
このブログ、どこに何を書いたのか、覚えるのは至難の技ですね。端からしらみつぶしでもしないと、突拍子もないところに書かれていたりするからね。(笑) 私はもう完全に管理外にいます。(爆)
おしそがしいのに、調べていただいて感謝です。
困ったときには、aosta001さんですね!
頼りにしてます。
クープラン、いいですねぇ。これっていつ頃の録音ですか?ヒス・ノイズが妙に心地よかったりして。
フランス語は口先で囁くように、呟くように。そして鼻母音過剰気味で発音すると雰囲気が出るみたいです。口蓋垂(のどちんこ^_^;)をビロンビロン震わせることが出来れば完璧。面白いことにフランス語には子音「ハ行」が存在しないんですよね。先日ギリシャ国籍の方とお話ししてて「お前、知ってるか、日本の「あまは」はいいね。」???何のことだと思ったら「ヤマハ」だった。あっちでは子音「ヤ・ユ・ヨ」がないんだろうか?とにかく、ラテン系の言語は日本語的に発音してもそれぞれの特徴を誇張すればそれなりに聞こえますね。
プーランクですよ、クープランじゃなくて。
頭でわかっていても、いざ入力となると、なぜか、クープランになっちゃうんですよね。
でも、良かったです。私だけじゃなくて安心しました。
ちなみに、録音年月は情報として欠かせないなぁと思って、IL DIVO Papalinの方には載せていないので、このブログに載せることにしました。
...と思って本文を見たら、載ってないではないですか!ちょっと編集しに行ってきます。また後ほど。(詫)
それでもって、フランス語の歌って、何も知識もないまま歌っちゃったのうですが、英語、独語、伊語、ラテン語と違って、発音しない子音文字が多いこと。僕胃の大好きなワインはvinと書いて、ヴァンと読む。癖をつかめば、そんなに難しくはないのかもしれませんが、私には充分難しいです。ちなみに、歌詞の意味はCDの対訳で知りました。(単語との紐つけはしていません。エヘヘ。)
ポリフォニーというのでしょうか。響きすきなんですよぉ。真っ暗な部屋で大の字でうつぶせになってのたれ寝(のたれ死もどき)になってこういう曲を聴いてるとだ~~~っと 力が抜けて疲れた心と体によく利きます。力がぬけてよだれが・・・この姿は見せられない^^;
アッシジは清貧
我が家も清貧・・・・^^;
paparinさん 癒し系ですね~
私もクープランだとおもっちゃいました。
プーランクなんですか!驚
ブルックナーのミサ曲2番 聴いてみたいです。
ははは。はじめて真顔を見せて頂いたようで。それにしても、うつ伏せ大の字ですか~。想像してしまいました。お腹が苦しいです。(笑)
僕も、ルネサンス~バロック音楽は好きです。ちなみにポリフォニーは集中力が持たないので、ホモフォニーが専門です。(何の専門じゃ?) IL DIVO Papalinの「変な作品集W702」の一曲目のリコーダー四重奏曲なんてどうでしょう?
更にちなみに、古典派も前後期ロマン派も、近代音楽も好きです。ただ、クラシックの現代音楽(矛盾な呼び方!)には殆どついていけません。ジョン・ケージとか、武満とか、左脳を使って聴く音楽は苦手です。もっと最近の、キャンディーズとか、山口百恵以降のJポップも好きです。
しずくさん、ひょっとして、Papalinのフランス語が聴き取れたってことですか? んなはずはないか。でも、祈りの言葉っていいですよね。
「神様、どうか迷える私に、当選する宝くじを与えたまえ。1億円でいいです。3億円なんて思っていても言いません。」
清貧という言葉、使われなくなりました。日本全国、中産階級。そういえば最近変な本がベストセラーになっていますね。年齢×10万円以下の年収の人は何チャラ...。大きなお世話だと思うのですが。
気を取り直して、しずくさん。この無伴奏男声合唱のための歌は、最高に美しいと思っています。その前はブルックナーのモテットが最高でした。もちろん、ミサ曲も素晴らしいですよ。
主よ、わたしを、あなたの平和をこの世にもたらす道具にしてください。
憎しみのある心に愛の言葉を播くための道具に、
害を与える者に赦しを、
分裂には一致、疑いには信仰、
絶望には希望の、
暗闇には光の、
悲しみには喜びの、種を播くことができますように。
ああ、聖なる主よ、どうか
慰められるものをもとめることよりは、慰めることを
理解されることよりは、理解することを、
愛されることよりは愛することを求める、その心をお 与えください。
なぜなら、与えることによって多くを受け取り、
赦すことによって赦され、
死ぬことによって、永遠の命がうまれるのですから。
リストの「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」もこの「ツバメと民衆への祈り」によるのでしょうね。
フランス語聞き取れません。
日本語すら危ういのですから^^;
一昨年、ある方が自分の命を落としました。素晴らしく純粋で一生懸命に真っ直ぐな若い方でした。
そのかたを死にまで至らしめたのはもしかしたら私かもしれない・・その自責の念あって私はコルボのマタイコンサートに繋がったのです。
その方は熱心なカトリック信者。
信者名は『アッシジ』でした。
熱心なカトリシアンでいらしてなお、自ら命を絶たれた・・・
「生きること」の向こう側まで跳んでしまう。
命のぎりぎりで逡巡しながらも、逝ってしまわれたのですね。
その目には見えないかすかに淡い一線を越える一瞬の、永遠の長さを思います。
>信者名は『アッシジ』でした。
カトリックでいただくクリスチャン・ネームは聖人、もしくは天使の名前に由来します。
アッシジは地名ですからおそらくその方のクリスチャン・ネームは『アッシジのフランチェスコ』だったのではないでしょうか。
裕福な貴族の家に生まれながら、貧しい人々、世間から忘れられた人々とともに生きたフランチェスコ。
野辺の小鳥にさえも神の愛を説いたとされる聖人です。
その名前をいただいたその方は、きっとすべての人に愛され今も多くの人の心の中に生きていらっしゃるのではないでしょうか。
>素晴らしく純粋で一生懸命に真っ直ぐな若い方・・
「真心を尽くすことは苦しいこと。
誠実であることは世にみとめられないこと・・・」
ふと、こんな言葉が思い出されました。
>真心を尽くすことは苦しいこと。
誠実であることは世にみとめられないこと・・・
まさしくそのとおり です。。。。
洗礼名『アッシジのフランチェスコ』でした。
aostaさんの洞察力と深い言葉に今でも痛む傷に心温かくにふと触れら慰められます。ありがとう。
aostaさん、僕はこの言葉が琴線に触れます。恋は求め続けるもの、愛は与え続けるもの。どこかの親父シンガーがそんなことを言っていましたが、人間、修行を積むと、そういう気持ちになれたり、そこから幸せを感じたりするのでしょうね。Papalinはまだ小僧ですね。
前にも勘違いしたことを告った気がするのですが、アッシジの坊さん達は、みんなして小鳥に説教をしたのかと、不思議に思いました。でも、この場合の説教とは、いま使われているお説教の意味とは違いますものね。(復習をかねて)
よく話してくれました。辛いことがあったのですね。あなたのお気持ちを想像するや、悲しみに暮れてしまいます。
でも、「自責の念あって・・・」って、あんまり自分を責めないでね。その道を選んだのは、あなたではないのですからね。スリスチャン・ネームがアッシジ...。やっぱり、おとのしずくさんは、来るべくしてここに来ましたね。プーランクの祈り、いいでしょう?
お二人には闇のなかでそっと手を繋いでもらったようでその温かさに安心感を感じます。掌から重いが溶けて温かさが流れ込むように感じてます。
この手の話は以前HPに心を曝け出して書いたことで心を整理しました。
その後HPを閉じました。
大丈夫ですよ。ありがとうございました。
愛という字は 真ん中に心 [真心]
だけど
恋という字は 下に心 [下心]
恋は 求め続ける下心?www
papalinさん 茶化してごめん
失礼しました~~(逃
こんばんは。こんなに遅い時間になってしまいました。ちなみに、明日は休日出勤します。その前に、整形外科に寄って。寄る年波には勝てません。
おとのしずくさんのコメント、悲しすぎますよね。アッシジというのは確かイタリアのウンブリア州にある、海に面した街ですよね。そこで生まれたフランチェスコ。裕福な家庭に生まれ、遊びほろけていたようですが、あるとき気付いて、真っ当な人生を送った人のようです。歌を歌ったので、ちょっとだけ学びました。彼は、愛することで改革を行った人でもあるようです。誰からも愛されたという聖フランチェスコ、aostaさんのおっしゃる通り、命を自ら絶った方は、真っ直ぐに生き、皆から愛された方だったのでしょうね。
僕はあるときこんな意味の文章に出会って、とても感動しました。溜飲が下がった思いでした。それは...「人は自らの意志で生まれてくることはできない。だから死ぬるときも、自らの意志で逝ってはいけない。」
まだ痛みますか。では、痛むところを切り落としてしまいましょう。出来ますか?
どこかで区切りをつけないと、生きていくのが辛いですよ。何も感じない心にしてしましょうか?
どこかで区切りをつけないと、生きていくのが辛いですよ。
ほう、ホムペをもたれていたのですね。僕も持っています。でも、畳む気は毛頭ございません。おとのしずくさんは、気持ちの整理がついて、ホムペを畳んだのですね。では、もうこの話は止めましょう。過去に戻ることは、あまりいい結果に至りません。そういう意味では、IL DIVO Papalinも同じなんですけれど。それより、未来について、夢や希望について話しましょうよ。興味半分で、昔の傷を引っ張り出してしまって、済みませんでした。
恋は、求め続ける下心? おとのしずくさんは、本当にそう思いますか?
Papalinは、恋ほど純粋で、下心なんてかけらもない純粋なものは他にないと思っています。だから今でもそういう恋がしたいです。対象は人間とは限りませんよ。音楽かもしれませんし、薔薇かもしれませんし、はたまた、宿根草をはじめとする花や植物かもしれません。最近では、スノードロップに恋をしました。(笑)
茶化すのは構いませんが、それが、おとのしずくさんの感性かどうか見極めの付かない表現は、できれば慎まれた方が、僕はありがたいです。引用は、普通は、同感を意味しますよね。
恋する気持ちのあの幸せな心はいつも持っていたいですね。愛は与え続けるもの・・昔『愛するということ』フロムの書いたものを読みました。深く心に残ってるものはありますが、やっぱり、わからないことのほうが多かったような気がします。
未熟な私としては難しい・・・
時に辛くなります。
エーリッヒ・フロムですね。「自由からの逃走」というのもありました。
「恋」・・・
私にとってもそれは神聖なものです。
確かに「愛」とは違うかもしれません。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」14歳のジュリエットとロミオ(彼は何歳の設定だっだた忘れました)の出会いから死に至るまでの、たった三日間の物語。まだ「愛」と呼ぶことが出来ない、けれどもその分、怖いくらい一直線に互いを求め合った、幼いけれども真実の「恋」。
ここには下心も打算もありません。
そして理屈もない。
自分の伝え方が言葉足らずだったことを棚に上げ、昨夜は、おとのしずくさんに、意識的に意見してしまいました。わが振り直さねばと・・・一夜明けて恥ずかしく思っています。
伝えたかったのは2つ。恋という、ただただ憧れに近い想い、これは純粋で清らかで清潔で美しいものです。それに対して、愛は与え続けていくもの。対象となるものから、求めている段階ではまだ"愛"じゃないってこと。与え続けて、そして見返りなど何も期待しないこと、菩薩の領域ですね。まだまだ道遠しです。(恥)
ロミオとジュリエット...僕も青春の真っ只中(ちょっと入口に近かったかな)で観ました。映画館で、直視できないような純粋の恋を。オリビア・ハッセーもチャーミングで綺麗でしたよね。レオナルドは王子様のよう。中世でしたか、ヨーロッパの景色も憧れでした。みな"恋"ですね。