もう、そんな季節になったのですね。

土曜、日曜は、一日中雨模様だったこともあって、一日中パソコン相手に遊んでいました。おかげで音楽サイトが充実してきました。
パソコンにかじりついている私を見かねて、いつもはMamalinが行くネロ(犬)の散歩に、今日はPapalinが行きなさいとの命令が下り、いやいやでもないのですが、久々にネロとお出かけしました。
ネロを連れて我が家の入口の門扉の方までくると、闇の中ではありましたが、懐かしいいい香りが漂ってきました。そう、薪ストーブの煙の匂いです。お隣さん宅では、もう使い始めたのですね。
薪ストーブの煙の匂いは独特でして、焚き火のそれとは全く違うので、暗闇でもすぐにわかります。我が家では頂くものは拒まずなので、別荘地の開拓等で切り倒した針葉樹などを薪用によくもらいます。でも、薪ストーブは、本当は針葉樹よりも広葉樹、ブナやナラやサクラなどがいいのです。多分お隣で焚いていたのはブナかナラで、それは良い香りがたち込めていました。
我が家では暖は床暖房で賄っているので、薪ストーブはなくても、外気温が-20℃近くまでになっても、家の中は20℃くらいを保てます。でも、薪ストーブの良さは、何と言っても、遠赤外線の暖かさですね。自然と家族がストーブの前に集まってくるのです。団らんって、こういうことなんだろうな。家族ってこういうことなんだろうな。昔は薪ストーブじゃなくて、庵だったんだろうなって。
我が家のストーブはパワーがあります。ストーブを焚くと、2階の部屋がポカポカになります。ただ困ったのは、2階の屋根裏にも煙突が通っているので、屋根裏でカメムシが暖かくて越冬してしまうんですよ。
贅沢な悩み...かもしれません。僕が育った家は、大正時代に建てられた料亭で、丸窓なんかある洒落た家だったのですが、いかんせん、建てつけがもうガタが来ていて、冬になると、納戸においてあった父の飲むビール瓶は凍って割れちゃうし、窓と窓枠の隙間から直角に畳の上に白い雪が積もっていたし、夜の飲みかけのお茶は、朝には部屋の中で凍っていました。でも今は、真冬でも玄関のコンクリートから、浴室のタイルばりの洗い場まで床暖房が行き渡り、部屋の扉は開けっ放し。おかげで、「誰だ~、開けっ放しにして行ったのは~。」という荒々しい怒鳴り声は一切聴かなく、発しなくなりました。贅沢をしてる。
【写真の撮影データ】
タイトル 「2000年11月に家を建てた時に設置した、薪ストーブ」
カメラ機種名 EPSON Scanner GT-7600U(スキャナー)
この記事へのコメント
薪ストーブをお使いなんですね。最高に贅沢な暮らしなんじゃないでしょうか。薪ストーブの周りでは自然に家族団らんと暖かな会話が生まれる気がします。
家の中でも氷が張る。懐かしい気がします。今ではそんなことはなくなりましたけど。やはり信州の冬は厳しいですよね。
でも、段々とこういう暮らしが当たり前になっていく自分と、特に娘(箱に入ってます)の常識感というのが心配になります。取り越し苦労だといいのですが。(もう一人の心配性のPapalin)
(本日より「さん」を省略しようと思って、一旦書いてみたのですが、やっぱり違和感が自分の中にあったので、次の機会にします。)
え?なんで「こんな時間」か、って?
今日は土曜出勤の「代休」なのだ。
(とは言え、半日で終わる「一日ドック」に行って来たところだけどね。)
今日は嫁さんも「パートのお仕事」、子供たちは「学校」なので、ひとり「のんびり」しています。
ほんと、もうそんな季節になったのですね・・・。
うちの実家も冬はめっちゃ「寒い!」です。
だからこそ「ひとの温もり」が解るんですけどね。
僕も薪ストーブは大好き!で、新築時に是非設置したかったのですが・・・残念ながら実現出来ませんでした。仕方が無いので「本物のマントルピースの枠」の中に「蓄熱式暖房機」が鎮座しています。
いつか、2軒目が出来たら(「夢」?)、ちっちゃなログハウスに薪ストーブを置きたいな・・・。
窓枠の透間から直角に積もっていた白い雪。
ああ、そうだったと鮮明に思い出しました。あのころは、本当に寒かったですね。
小学校の朝掃除で、雑巾をかけるはじから、薄く氷が張っていきました。低学年のうちは、まだダルマストーブで(えっ?papalin
さんの時は違いますか?)ストーブ当番の子が石炭を運んできて火をつけるまで、凍える寒さでした。なかなか火が付かない時は、みんなでああでもないこうでもないと、口を出したり、手を出したり。
でも、あの頃はそれが当たり前でした。
そういう時代だったのですね。
あまり小学校低学年当時の記憶がなくて・・・
そのころはどんなストーブだったのか定かではありません。
ただ当時は今より雪が多くて 膝まで雪に埋まりながら家帰ったとか そんな記憶がありますね。私は冬になるとしもやけになって温まるとかゆいんですよね~。それが悩みだったかな~。
僕が発言しようとしたら、いきなりaostaさんのショッキングな発言。そうなんですよね。友人からも言われましたが、2日前の夕飯のメニューが出て来なくなったら、記憶する努力を意識的に始めないと、雪だるま式に健忘症が病的になるんだそうです。やばいなぁ。
ところで(笑)本題。きょうは当地も芯から冷えますです。こういうときは、できれば炎のあるストーブがいいですね。ちなみに、小学校は石炭式のだるまさんでした。
dogachanも、たまには一人でのんびりという時間があってもいいんじゃない?
マントルピースとか、ペチカって、結構熱が煙突から逃げちゃうみたいですね。だから、蓄熱式暖房機が正解かもね。
薪をくべるのが、めんどくさいけど、とにかく火を焚くことが楽しい。火を眺めるのが楽しい。という同僚の方のお話でした。お話を聞いていると、いいなあと思えてくるし、情景が浮かんできます。
薪の調達が大変らしいのですが、去年襲った台風18号で木が倒れまくって、いい薪になったそうです。
樹齢何年という桜の木もメタセコイヤもポプラも倒れました。かわいそうでした。早く、ひこばえが出て、また、もとの木のようにならないかなあと思ってます。桜の薪は、とてもいい香りだそうです。
うらやましい。
みなさん、同じような小学生時代を過ごしている?
石炭殻を取るのも当番の仕事で、白く糟のようになった石炭殻を取り出すのは、私は、とても楽しみでした。
黒い石が燃えるというのもとても不思議なことでした。ざくっざくっと石炭をじゅうのうですくうのも好きでした。今の子に言うと、それは、異次元の世界でしょうか?!
雑巾がけしたら、端から凍っていた。校庭に水を張って作ったスケートリンク。日が沈む前頃に、親の当番さんが来て、氷に直径30cmくらいの穴を開け、そこから水を柄杓で汲んでは、リンクにまいていましたが、その水も、端から凍っていきました。それほど寒かったですよ、昔は。
僕は高校生の頃、自転車で通っていたのですが、朝の寒い日は、鼻で息をすると、鼻の穴がくっついてふさがっちゃいました。大人になったら、口ひげが吐く息の水分が凍って、白髭になりました。
低学年のうちはダルマストーブって、同じでした。高学年になったら石油ストーブになりました。ダルマストーブは石炭で、当番が運んでくるんだけど、なぜか、着ている物にススが付くんだよね。
たきつけって奴を持っていきませんでしたか? 当番がですが、あの水戸黄門に出てくるような、一辺10cmくらいに折りたたんだ新聞紙二つを、紐で結んで、それを肩から前後にかけると、やたらスケさんカクさんに似てたりして。
子供だったけど、火のつけ方とか、コツを知っていたよね。我が家は薪釜のお風呂だったので、よく僕が沸かしました。前の髪の毛を燃やしたこともあります。蛋白質って、臭いのなんの。
僕ですか? さっき何食べたか、すぐ忘れちゃうので、塾の先生の掲示板は嫌いです。(泣)
パソコンは、私にとって、まさに「新しい事」にほかなりません。これで、私の脳細胞ももう少し頑張ってくれるのでは?と期待しているのですが。
なんだか、すごいお年よりのブログみたいです!?
炎っていいですね。特に薪ストーブの炎は、焚き始めこそ、よく見る炎ですが、ストーブの中の温度が250℃くらいになると、ゆらゆらっていう炎になります。とても幻想的です。暖かいです。
塾の先生も、石炭派ですね。は~い、一名様ご案内~!
休み明けには、いくつとか決まってましたっけ。折り方まで決められていた気がします。三角形のチマキみたいなアレです。
集められた"チマキ”は灯油につけてありませんでした?
灯油のにおいに閉口したものです。
手に付いちゃうと、授業中ずーっと灯油臭いんですもの。でも、こういう話題ってどうしてこんなに盛り上がるんでしょう?
寒いけど、寒さ対策さえきちんとしておけば、天国ですよ。土地も安いし、海面が700m上がっても、まだ海までは相当余裕がありますよ。(田舎生活推進団体代表)
一晩ですごい数のコメントですね。
薪ストーヴ、わたしも憧れましたが、単身赴任が前提で家を建てたので、なにかと手のかかる薪ストーヴが諦めざるを得ませんでした。次善の策として私の頭にあったのは、アラジンの石油ストーヴです。(これも、もしかしたら知らない人いるかもしれません}
ガラスを通して全体がぽ~っと明るくなり、見ているだけで、心も体も暖まりそうなほっとするストーヴ。形もアンティークでお洒落。ところが、これも却下されました。
高気密・高断熱の家では結露の原因になるそうです。それでも、とあがいてみたら、もう、製造中止とのこと。
結局、我が家はパネルヒーターの全館暖房になりました。暖かいし、結露もない。でも大切な「ぬくもり」もありません。
そして、ぱちぱちときの爆ぜる音。揺らぐ炎。ああ、これって、焚き火ですよね。
昔は(昔は、ってこればかり言ってるような・・・)よく焚き火をしてましたね。
落ち葉から始まって、紙くずとかダンボールなんかも燃やしていた記憶があります。
燃えている火を見てると時間が経つのも忘れてました。父が火を点けて、勢いよく炎がたってくると「あとは、見てて」と火の番をいいつけられたものですが、これがすこしも嫌じゃありませんでした。
「焚き火」の歌を知っている子供は、もういません。焚き火はいつから「悪いこと」になってしまったのでしょうか。
ひょっとして、都合の悪いことは忘れることができるタイプ? だといいですね。(笑) 石炭、見ませんね。いまでも燃料やさんにはあるのかなぁ。
>ひょっとして、都合の悪いことは忘れることができるタイプ?
そうかも(笑)
石炭みませんね~。昔は豆炭なんてのもありましたね。
一方、豆炭炬燵は、電気炬燵の電気の部分が豆炭になったもので、畳ははずさないでかけました。
FFファンヒーターがあれば十分だと思いますが、確かに、定性的な効果は難しいですね。
みんなが集まって、出発するとき、そこから離れがたくって。(懐)
大人になって、ただ、火を見ているだけで、癒されるのは、本能ですかね?なんか、みんな落ち着くと言います。炎の色や音や匂い(香り)いつまで見ていても見飽きません。
そのような理由で蒔ストーブは、わりと温暖なところでも設置されているようです。
知り合い、喫茶店、含めて4軒知ってます。
焼きあがったお芋を食べるクラス行事がありました。焚き火に、お芋が焼ける匂い、深まる秋の香りでした。
食欲も深まって、体重も増えました。
つくづく秋って実りの秋って思います。(つくづく)
私は、断然「バター派」なので、毎晩体重計に乗るのが恐怖です。
体重計に毎晩乗るのは、大事なことらしいですよ。
でも、乗っても喜びがわかないので、近頃乗らなくなりました。
まさにそのとうりですね。
でも、おいしいもの好きの私としては、戒めのつもりで、恐る恐る乗っかっています。
最近はその戒めの効果も怪しくなってきました。「いいものはいい!」papalinさんの十八番ですが、「美味しいものは美味しい!」ことも事実です。
その結果、かつてラルフ・ローレンの7号のスカートがはけたという昔話は本当に「昔話」になってしまいました。
lavieさんじゃありませんが、ほんとにトホホ
な気持ちです。
アシュピンのママが作る、新ジャガのフライ。美味しいですよ~。(Goo)
ちなみに私も、学生時代には、レディスのW69のパンツを履いていました。レディスの方がフォルムがきれいで好きでした。ヘンナ趣味! 今は...ハハハ~。
まさにその通りです。最近、おいしい物が増えました。スマスマではないですが、思わず、心から「おいしい~」と叫んでいます。
今日は、焼き芋をいただきました。遠赤外線効果でおいしくいただきました。
そしてそれは決してものの値段ではないはずです。それが証拠に、食いしん坊は、必ず安くて旨い店ってのを複数知っています。
焼き芋、美味しい季節になりましたね。
今、当面の興味は、それに尽きます。
秋でなくても、それぞれの旬がありますからね。
そろそろ鍋の季節?
春菊のおひたしっておいしいですよぉ
春菊、お好きでないかたは、むしろ火を通さないほうが、香りを気にせず食べられるかもしれません。私は、新鮮な春菊が手に入るとよくサラダにします。
洗った春菊の葉を摘んでお皿に盛り、薄く切った柿、カテージチーズ、荒くきざんだ胡桃と一緒に試してみてくださいな。
ドレッシングはオリーヴオイル、ビネガー、塩に好みのハーブなど。私はよく。ワインビネガーの代わりにシェリービネガーをつかいます。柿との相性がばっちりでおいしいですよ♪
くれぐれもご注意を!
春菊に大根、そろそろ冬野菜の季節ですね。
ご提案のサラダ、春菊を除くと、zuruです。でもあの春菊の独特の香りが消えるのかもしれませんね。かなり個性の強い食材とドレッシングをお使いのようなので。Mamalinがこのコメントを読んでいたら、可能性はありますね。何も言われずに出されたら、食べていたりして。(笑)
今年は、きれいな紅葉が見られるかなあ?
食べ物以外の秋の最大の楽しみですよね。
確かに、秋は食べ物が美味しい。山の幸だけでも美味しいのに、お魚なんかが加わったら、Papalinの史上最高体重は、更に記録更新してしまいます。
もみじは、キレイな発色の年と、そうでない年があります。冷え具合が左右しているようです。
カラマツと言えば、白秋ですね。白秋といえば、aosta001さん!
aosta001さ~ん、わたしが呼んだときにも来てくれるかなあ?白秋の詩が聞きたいです。
文学の秋、ほんとに秋らしくなってきましたね。
今日から、11月。やっとストーブを点けて暖かいなかで、コメントできるようになりました。うれし!
白秋。確か福岡は柳川の人でしたよね。
lavieさん、お近くですか?
若い頃は立原道造とか。中原中也に夢中でした。(あらら?中也もその辺りの人だったような。)白秋はむしろ苦手だったのですが・・・不思議なものです。年齢とともに変わるんですね。
音楽も同じです。papalinさんにあきれられそうですが、ブラームス、ぜんぜんだめだったんです。40台になって、突然のめり込みました。
lavie さん、papalinさんにはありませんか?「昔は~だったけど、今は・・・」というもの。
「だれかさんが、みつけた」というリフレインで始まるこの曲、で哀調を帯びたメロディで忘れ難い歌なのですが。
「お部屋は 北向き 曇りのガラス
うつろな目の色 溶かしたミルク・・・」
といった歌詞を読むと、童謡とは思えない孤独と絶望が見え隠れしているような気がします。続いて歌われる歌詞もやっぱり同じトーンの繰り返しです。白秋の秋はこんなにさびしいものだったのでしょうか。
言葉の錬金術師のような白秋ですが、繊細で傷つき易い、ガラスのような感受性のひとだったんだと思います。
aosta001さん、なんで呼んだのが分かるんですか?もしかして、塾の先生以上の技をお持ち?
来てくださってうれしいです。(私のブログじゃあないのに)また帰宅してゆっくり見ますね。
また後で。
aostaさん、年齢がばれましたね。40歳を既に通り越したと...。でも、ブラームスが第一番ハ短調交響曲を書いたのは、40代だったと思います。ベートーヴェンのシンフォニーが偉大すぎて、自分にものすごいプレッシャーをかけていたのかも知れません。でも、ベートーヴェンの交響曲第十番と呼ばれるのにふさわしい完成度で、第九を彷彿させるメロディも出てきたりして、Papalinも大好きなシンフォニーです。
ありますよ、にんにく! イタリア料理には欠かせませんよね。 キムチも徐々に克服しつつあります。 あと、ビール。こんな苦くてまずい飲み物はないと、未成年の頃は思っていたのですが、今はないと生きていけません。
食べ物しか出てこないってのがしゃくに障るなぁ。
> 繊細で傷つき易い、ガラスのような感受性のひとだったんだと思います。
これ、dogachanが読んだら、絶対に自分と同じだって反応するから、その前に釘を打っておきましょう。
でも、白秋って、僕に似てたんですね。(ックショィ)
おひげをたくわえてらした頃のお話ですか?
白秋は漱石とならんで、数少ない「おひげの似合う日本人」の一人だと思います。
お二人とも大変ダンディーでいらっしゃいます。papalinさんもお洒落でダンディー。
白秋に似ていなくもないかも知れませんね。
(二重否定って"強意の肯定”でした?)
和菓子がだめでしたが、お茶をはじめておいしく感じるようになりました。二十歳過ぎの話になりますが。
中原中也はどんぴしゃですね。中也記念館は、人気ですよ。近くに湯田温泉という温泉もありますよ。ぜひ、いらしてください。
柳川、行ってみたいです、とても。
写真などで見ると水路の両側に柳の樹が揺れてなんとも風情のある場所ですね。
「水」のある風景ってなにかドラマを感じます。ドラマといっても"大立ち回り”が必要なものではなく、日常の中のささやかなドラマです。最近は、そうした普段の生活にある機
微といったものにこそ、真実のドラマがあるような気がいたします。
話は変わりますが、「さげもん」て何なのでしょう?どこかに吊るして飾るようなものですか?
> 「昔は~だったけど、今は・・・」というもの。
髪の毛。
でも大人になって、ふと思い出したとき、初めてその意味に気づくこともあるんですね。
「小さい秋みつけた」にしても、「しゃぼん玉」にしても。
昔よくベビーベッドの上につり下げられてくるくる回るオルゴールつきの飾り物があったでしょ?その和風版みたいなものです。時間があったら写真掲示板に挑戦してみます。
実は、papalinならできるんではないかなと思ってたんです。資料はお渡ししていますのでお願いします。著作権云々は言いません。
楽しみにしてます。もちろん1枚でいいですよ。
でも、綿毛と瑠璃シジミは、ぼけてはいますが、すばらしい写真と思っています。(自画自賛)
モンシロチョウと違って地べたをはい回るようにはね回る瑠璃シジミを撮るのは至難の業です。丁度よくしてくれません。でも、何十匹の瑠璃シジミが、私の足下を飛び回って蝶のパラダイスです。カタバミの黄色い花を求めて河川敷の土手を飛び回ってます。家のすぐ後ろに土手があるんです。
sakuraさんといい、lavieさんといい、みなさん多才ですね。
瑠璃シジミのパラダイス、きっと夢のような光景だったのではないでしょうか。
我が家の庭の一角にその名も”バタフライ・ブッシュ”という木があるのですが、名前のとおりよく蝶が集まってきます。
マンションのベランダで鉢植えにしていたものを植え直したのですが、毎年大きくなり、いまでは、わたしの身長を越えるほどになりました。あまりに枝を茂らすので少し整理しようと、のこぎり片手に奮闘してみましたが、のこぎりって、難しいです。
ただ、疲れて、手に豆ができただけで成果はまったくあがりませんでした。
・・・ためいき・・・
簡単にリサイズできますので、挑戦してみてください。長編が300~500ピクセルくらいが、PCにはちょうどいいサイズかと思います。
ちょっと乱暴ですが、"鉈"(なた)という手もありますね。こちらの方が楽かもしれません。
確かに、知らないうちに90というのにはびっくりですね。でも、数字のためにコメントしている人はだれもいないと思います。
papalinさんとのおしゃべりが楽しくて、結果として90コメント、なのではないでしょうか。それって、本当にすごいことだと思います。こんなふうに、自然におしゃべりをしてまた100コメント・・・
papalinさんのブログだからこそ!ですよ。
庭の片隅でバタフライ・ブッシュ相手に鉈を握って格闘するaosta・・・
なんか、ちょっと怖くありません?
私は寡黙なので、お喋りは得意ではないのですが、私自身も(あえて、も!)少し天然○○が入っているので、楽しんでもらえたら嬉しいです。
以前読んだ雑誌に、人気ブログは、ブロガーが控えめで、自分のドジやマヌケなことを書くと宜しいとか書いてありました。そういうブログだと、読み手が安心するんですって。あ、私だけじゃないんだ...ってね。逆に威圧的な「云々である」タイプのブログは敬遠されるんですって。Papalinは後者になりがちなので、気をつけないといけません。
でも、鋸は時間がかかります。量の多いときは大変です。細めの枝は、剪定鋏を使って、大きく太いところは鉈がいいような気がするんですけどね。
また、このブログ欄が活性化してるので。
aosta001さん、ほんとに蝶のパラダイスなんですよ。瑠璃シジミは、小さくても瑠璃色です。そんな小さな瑠璃色蝶が何十匹と跳び回ってます。小春日和のカタバミの黄色い花が咲く今時、こんな光景が広がるんだってことを作年発見しました。
人に見せたくて写真に撮りたいんですけど、動き回るので、困難です。ビデオならOKかも。
塾の先生に教えていただいたキーワード探しで、「白秋」をこのブログで検索してみました。でも、どこのブログで「白秋」の話題が出たのかをまず、思い出すのが至難の業です。偶然にもこのブログ欄であることに気づきました。
「サトーハチロー」はこの前NHKのドラマでやってましたが、素朴なお名前とは裏腹に随分奔放な方だったようですね。
ISO感度は上げます。上げると、シャッター速度が速くなるからです。
こうして、いちいちピントを合わせずに、蝶の舞っている辺りにピントを置いて(置きピンといいます)、ぶわーっと撮るのがセオリーです。
みなさん、ありがとうございました。
aosta001さん、何かコメントを!
次回から、ちゃんとgoogleで確認してからコメントするようにしますね。
全然フォローになってない? そいじゃまた~。