◆IL DIVO◆ フォーレ 「レクイエム Op.48」
Faure "REQUIEM Op.48"
URL : http://papalin.yas.mu/W501/#M948
◇公開日: 2005年12月10日
◇連続演奏時間: 46分56秒
◆録音日: 1990年6月20日 (29歳)
◆上記の英語の曲目名をクリックする
と、Papalinの音楽サイトに直行でき
ます。
初めての一人多重唱&多重奏で、1990年6月に録音、翌1991年8月に編集したものです。1991年の8月に、長野県岡谷市のカノラホールにて、偉大な指揮者であった渡邉暁雄さんの追悼演奏会が開かれました。そのときのメインステージがこのフォーレでした。合唱団は東京からも来るものの、この地域で一般からも募るという記事をたまたま新聞で見て、無謀にも応募してしまいました。幸いオーディションもなく参加できました。
その演奏会に先がけて、自分で全部演奏して歌ってしまおうという企てで実現したのがこれです。この演奏会の合唱団(岡谷市音楽協会合唱団という即席の名がつきましたが)の母体であった2つの地元合唱団からスカウトがあり、より若い女性メンバーが多かった方(男声は同じ会社の人が半分を占めていました)の合唱団に、演奏会後に入ることになります。
誰が演奏しているかって? みんなPapalinです。 リコーダー・オーケストラは、 お馴染み、"ムトウテツヤーズ"。 混声合唱は、"ムトウテツヤズ"。何と、ソプラノ独唱も、バリトン独唱も、全てがPapalinでございます。Kamalinでなく、Papalinよ!
演奏&録音は、1990年6月20日 長野県茅野市の「武藤音楽ホール」にて。
編集は、1991年8月に実施。マスター・テープ紛失で、カセットテープから。
【曲目・演奏について】
私にとってこの時期の音楽は、あくまで器楽だったと思います。歌詞がたまたま音に乗っているに過ぎませんでした。だから言葉の意味をキチンと理解して歌うなんてことはお構いなしで、器楽演奏の延長線上に合唱パートがあるに過ぎなかったのです。初めて見たラテン語の意味は元より、発音さえいい加減。CDを聴いて"似たように"発音していただけです。
曲目としてのフォーレのレクイエムは、どの曲も速いパッセージが出てくるわけでもなく、ゆったりとした楽章(?)の連続です。むしろ同じような曲想の曲が続く中での変化をつけることの方が難しいのだと思います。当時はそんな余裕など全くありませんでした。
【裏話】
オーケストラのパートを、リコーダー多重奏でやってしまうという、初めての試みでした。前述のように、演奏するのにはさほど難しくない曲なので、リコーダーの方は割とすんなり多重録音できました(例のピアノ譜の音符にラインマーカーで色分けしてパート分けする方法を編み出したのがこのときです)。一方、独唱、合唱のパートは大変でした。私の声質は、レッジェーロ(割と軽い感じの)テノールです。そのテノール・パートでさえも、Fを越える高い音はしんどかったなぁ。そしてバス・パートでは重厚な声は出ないし、アルト・パートは中途半端な音域なのでファルセットで歌うと声量が足りない。更に最大の問題だったのがソプラノ・パート!
幸いこの曲は、ソプラノの最高音は Fis、たった一音(四分音符)だけGが出てきます。当時の私の限界は、ロングトーンだとF、パッセージの中の瞬間芸ならFisでしたので、殆ど実音で歌っています。Gが出てくるSanctusだけ、1音下げて録音したと思います。でも、この当時はこんなに高い声(ファルセット)が出たんですね。続くモーツァルト以降は、そうはいかなくなるのですが、それはまた別の機会に。
多重録音という点では、今まではリコーダーによる4重奏が最高だったので、殆ど1パート1トラックを使って4トラックのMTR(マルチテープレコーダー:いわゆるオープンリール型のテープレコーダー)で事足りていたのですが、このフォーレからは8重(リコーダーが4パート、歌が4パート)録音が必要になりました(曲によっては10重録音が必要でした)。仕方なく、一度録音したトラックを再生し、他のトラックにコピーしながら別パートを同時に録音していくということが必要になりました。もちろんアナログのマスター・テープなので、ヒスノイズ(雑音)が目立ちます。そして、マスター・テープが管理不行き届きのため、紛失! しかたなく、ダビングしたカセット・テープからアップしました。ですので、ワウフラッター(音の歪み)も目立ちます。トラックダウン時のディストーション(音の割れ)も気になります。初めての苦戦での作品なので、勘弁してくださいな。
【写真】 1990年 友達の結婚披露宴で 得意の司会を行なう Papalin
リコーダー |
多重唱(合唱) |
この記事へのコメント
今朝起きてすぐPCのスイッチを入れましたところ思いがけずも、このフォーレがアップされていました。
そのまま、パソコンの前に座り続け全曲聴かせていただきました。
外はまだ暗いです。
"Agnus Dei"から"Libera Me"を経て"In Paradisum”
にいたる後半が、私の一番好きなところです。
"Agns Dei"のソプラノ・ソロが歌い出してまもなくの転調とそれ以降の部分。美しいです。
多少不安定な発声がなくもない(失礼!)のですがそれを感じさせないのは、この曲に対するpapalinさんの熱い想いゆえでしょうか。
それにしても、リコーダーとオルガン、まったく違和感がありません。もともと音が出る原理は同じなのでしょうが、終曲"In Paradisum"での分散和音も本当に素晴らしいですね。
さて、いよいよ"libera Me"
この、信じがたいほどの敬虔と祈りに満ちた曲をpapalinさんがどのように歌われるのかどきどきしながらソロ・パートをまちました。
そして・・・低音弦のピツィカート、オルガンのスタカートに代えてリコーダーによるあの美しい旋律とともに歌いだされた、papalinさんの"Libera Me"
「初めての宗教曲」とは思えません。
痛切で静謐な祈りを感じさせてくれる素晴らしいものです。
至福と慰めにあふれた"In Paradisum"
リコーダーによる分散和音については、先ほどコメントさせていただきました。
男性合唱部分。一人多重唱とはいえ、美しいハーモニーです。すでに、後のプーランクやブルックナーを予感させる美しさです。
予想もしていなかった分、うれしく聴かせていただきました。このモーツァルトについて書き始めたらどうなるかはなはだ不安を覚えますので、ここまでに。
ところで、もうひとつのアンコール曲ですが・・・
"In Paradisum"となっていましたが、”Pie Jesusu"
ではないかと思います。ご確認を。
わ~っ!!もう7時すぎてしまいました!
犬の散歩!朝ごはんの準備!おまけに外をみたら雪!
フォーレの静謐から、朝の喧騒へと、瞬時にシフトを変える早業。
こちらからpapalinさんのフォーレ聴けませんでした。”IL DIVO”から入りなおして聞いてまいりました。こちらもご確認をお願いいたします。
アップの作業で大変なのは、音楽データをPC上へ取り込む作業と、それをネットワーク回線を介して、yasさんのサーバーへコピーする作業、そして意外と時間がかかるのは、お写真選びです。演奏した当時の写真にこだわりたいので、探すのが大変です。Papalinは昔から撮影側なので、自分が写っている写真って、ほとんどないですね。特に、子供が生まれてからは尚更です。
リベラ・メの後半。合唱が全てユニゾンになるところ、ちょっとぞくぞくしませんか?
しかし、それと引き換えに、ファルセットの高音を失いました。現在私が出せる最高音は、頭声でも、ファルセットでも、Cisなのです。神様は、そんなにいいことばかりはして下さいません。お前の生きかたはこっちだろう...と仰っているかのようです。
Aeternam habeas requiem. 永遠の安息へと導かん
途中から入る男声合唱が出だしがややフラット気味なことと、ちょっと元気が良すぎるのが難点ですが。(笑)
ソプラノの歌は、誰か応援してくださ~い、という感じです。(悲)
途中から入る男声合唱が出だしがややフラット気味なことと、ちょっと元気が良すぎるのが難点ですが。(笑)
ソプラノの歌は、誰か応援してくださ~い、という感じです。(悲)
最後のフェルマータ...一息で歌いたかったなぁ。
今日はこの曲に相応しい、安息日なのに、喧騒ですか...。その原因を作ったのは私ですね。(ペコリ)
ラクリモーサは、今後登場するであろう、モーツァルトのレクイエム全曲録音版(通称モツレク)では、再録音しています。解釈も若干ことなります。それもお楽しみに。
クレジットの2曲目、確かに仰るとおりで、僕の間違いです。見つけてくれてありがとう。直しておきます。それと、このページから IL DIVO に飛べませんでしたね。リンクURLが間違っていました。それは今朝気づいて既に直してあります。やっぱり夜なべ仕事にはミスが沢山!(謝)
> こちらからpapalinさんのフォーレ聴けませんでした。
こういう基本的なところを確認しないまま寝てしまいました。でも朝直しました。
Papalinの曲目upのお仕事の検証担当者をaostaさんにお願いしましょう。皆さん、異議がないようです。
papalinさんの言われるとおりです。
私の場合、ちょっと、どころではありません。
>途中からアルト・リコーダーに変わるの、解りましたか?
すみません。気がつきませんでした。
休日はなかなか落ち着いて聴けません。
明日、一人の時間にもう一度ゆっくり聴かせていた だくつもりです。楽しみです。
ゆっくりじっくりなんて聴かれたら、恥ずかしいなぁって、公開していて、よくいうよ。プレ王の方にも応援メッセージを頂きました。
http://players.music-eclub.com/?action=community_bbs_detail&community_id=65&message_id=23975
2年前にパソコンを変えて以来我が家のPC君はサイレント。スピーカーつないであれこれ触ってみたけれど音なしの構え。「いいや、何時だって音楽なんて無しで過ごしてるじゃん」と思っていたけれど・・・
何時もいつも楽しいブログ・コメント、本気で修理考えようかな。
音がしない贅沢もありますが、(私はこちらに住むようになって、雑音や騒音のない生活、自然の音に囲まれた生活を知りました。)
音、音楽を愉しむ豊かさも欠くことのできない喜びです。特にpapalinさんの音楽を聴く事ができない生活
は”クリープのないコーヒー”みたいな生活です。
(私の場合コーヒーはブラックですが)
ぜひぜひ、「本気で修理」してください。
そして、このブログへの書き込みをお願いします。
手っ取り早いところでは、ステレオ(左右別々の音が出る)のヘッドフォンやイヤフォンを、ヘッドフォンジャックに挿してみる。それできれいな音が聴こえてきたら、それだけでも価値はありますよ。パソコンを修理にださなくても済むかもしれません。
イヤフォン耳にあてて(Papalinのレクイエム)スタートボタン押したら ♪♪♪~聞こえてきました~♪♪♪ な・涙が・・・
Q 涙はPapalinの音楽に感動したからでしょうか、MyPCが目覚めたからでしょうか?
aosutaさんのコメントが半端じゃない、す・すごい人だと気づいたからでしょうか?
A 歌声が聞こえたとたん、なんだか全部に感動して、このブログに参加している皆さんがすごーく身近に感じられて、こんなに沢山の素晴らしい友人に囲まれているんだと思いました。PapalinとMamalinの顔しか知らないけれど、音楽無知なクララだけれど、これからもよろしくお願いします。
今日じっくり読んでみて思いました。
ああ!やはりコメントは無理。音だけ楽しもう♪
Papalinも、す・すごい人。
一人で演奏して一人で合唱しておば様の涙腺を緩ませる。
イヤフォンだなんて今まで誰も助言してくれなかった。(ミュートなんて何度も何度もチェックした!っつうの。)
"Agnus dei"から"In Pradisum"にいたる高揚感を導く前半4曲。
"Introit et Kyrie"
テノール・ソロからソプラノ・ソロへ、そしてキリエの合唱へと引き継がれていく静寂にみちた旋律。対するリコーダー部分も柔らかく呼応するかのように演奏されていますね。
後半、静かに後退していく合唱、消え入るように続くリコーダーがなんともいえない静寂の美しさです。
「永遠の安息を彼等に与えたまえ、主よ、
彼等が上に永遠の光をば照らし給え。」
この祈りそのものの、深い静寂です。
(最後の歌詞は、もちろん"Kyrie eleison"ですがこの曲全体を通しての”静寂”です。)
ね、ね、papalionさんの音楽って素晴らしいでしょう?そうなんです。涙が出てきます。
良かった!クララさんも同じように感じてくださったんですね。音楽は感じるものです。それ以上でも、それ以下でありません。
私のコメントなんて全然たいしたことないんです。
勝手に感じたことを、迷惑もかえりみず、これまた勝手に書き込んでいるだけ。
でも、papalinさん、罪な人ですよね。
二人のおば様を泣かせてしまうのですから。
イヤフォンで聞けるならスピーカーからも聞けるはずだと、あちこちの穴に差し込んでみたところ・・・スピーカーからも♪
バッハ聞きたいと思った時に、全部試してみたつもりなんだけどなー。
音が欲しい!という情熱が足りなかったのかしら。
Papalinの「ヘッドフォンジャックに挿してみる」というアドバイスから、この二年来の(不可能)が解決しました。今、リコーダーによるバッハ聞きながらキーボードたたいています。(♪素晴らしい♪)
2006年、クララの山暮らしは♪音楽♪が加わりぐんとレベルアップ!の予感。
嘘みたい。今まで損した気分。HPのBGMも聞きました。PCの中は♪であふれていたのね。
要するに、音楽だけでなく機会も○痴なクララでした。お粗末!
とっても優しいコメント。
Papalinさん、機会→機械でした。
序奏のリコーダーのカノン、うっとりしてしまいます。確かオーケストラではオルガンと弦による演奏だったかしら?リコーダーだけの重奏で、少しの遜色も感じさせないところが本当にすごいと思います。
これに続くアルトとテノールの合唱部分で、初めて気がついたことがあります。それは、無伴奏で歌われるところがあるということ。
何度も繰り返し聴いたはずの曲であるにもかかわらず、今回papalinさんの演奏を聴くまでまったく意識したことがありませんでした。
(papalinさんの場合”コメント”を書きたいがために、確認をかねて、何度も同じところを再生しては、聴きなおすということをしていたためだと思います。)新しい発見でした。
バリトンの独唱部、入ってくるときどきどきしませんか?”Hostias..."と歌いだすあの部分です。
よかったね。本当によかったね。僕も嬉しくて、目頭がじ~んと来ちゃったよ。応用まで利いて、スピーカーからも音が聴こえちゃったの? スゴイスゴイ!
これからも、たくさんの音楽、流します。僕自身のために、そして応援して下さる皆様のために。
お休みなさい。
やっと"Ssnctus"までたどり着きました。
ソプラノと男性合唱の重なる部分の美しさに、陶然としながら聴きました。なんて、巣晴らしいユニゾン。そして、澄んだ清らかなソプラノ!
次第に高まっていく"ホザンナ”の繰り返しのあと、sanctusで終わって行く静けさ。
男声と女声、そしてリコーダー・ソロが代わる代わる呼び合う部分は天上の音楽を思わせます。
リコーダーの分散和音、そして最後のトリル...
魂が浄められるかのようなソプラノ独唱で終始する
"Pie jesus"
ここには、余分なものはなにもありません。
"Pie jesus,Domine,dona eis requiem,dona eis requiem sempiternam"
「恵み深き主イエス余、彼等に安息を与えたまえ。
永遠の安息を与えたまえ。」
これで、すべてが尽きる想いがいたします。
クララの生活にもう一色の薔薇色が増えました。
今日は長坂から新府まで18キロ歩いてきました。山々は凛と美しく、里はカリンやざくろ、ナツメ、りんご等等飽きることなく歩ける道でした。
少々ひざが痛いです。(年並みに)
aostaさん...
> 自然の音に囲まれた生活
これは、ぼくもそう思いました。特に僕の家の周りの林には色々な動物が住んでいて、時には雄叫びのような鳴き声も聞こえたりで、びっくりしますが、雉のケーンケーンという声や、ウグイス、カッコウ、その他、いろんな鳥の鳴き声が響き渡ります。
前半の4曲について書いていただきましたが、このフォーレのレクイエムは、全部で7曲あります。そして、第4曲の Pie Jesu を頂点に、対称形になっているんです。そんな音楽学上の秘密を知るのも楽しいものです。
> papalinさん、罪な人ですよね。
何かいけないことをしましたか? 泣かせた? それも二人のおばさまを? 若い娘だったら罪ですよ。私は救われたと思っていいでしょうか?
緊急にクララさんと合議させていただきます。
追って、沙汰を待つように。
クララさぁ~ん!たいへんですよ~!!
ちょっと忙しくしておりました。
今日も、もう少ししたら出かけますが・・・(^^;
今、連続再生で聴かせて頂いています。
Papalinさんは、初めてだからと謙遜されていますが、素晴らしいですよ・・・!
しかし、ピーターパンといい、このレクイエムといい、全てがPapalinさんおひとりでされてるって、どうしても信じられないわ・・・
こんな高い声、出るんですね・・・
声質を変えたり、編集はされてないんでしょ?
すばらしいですよ、ほんとに。
今日のBGMにさせていただきます。(^_^)v
aosutaさん、Papalinさんは開き直っていますね。
やんちゃな弟ってとこですかね。
だ・誰だ~!
(息子じゃないの?)なんて言ってるの。
私たちだって、○○年前には薔薇色の頬をした妙齢の美女だったのですから。
開き直らせては、これからが心配です。
クララさんから言って聞かせてください。
ちっちゃくて、やんちゃな「弟」に!
あら、私もやっぱり「弟」ってことにしてる・・・
Hostias...いい場面です。ただし、登場するバリトン歌手がお上手でしたらね。(笑)
> 巣晴らしいユニゾン
ユニゾンが、こんなに素晴らしいものだったってこと、僕もフォーレで知りました。グレゴリアン・チャント、ルネサンスよりも何世紀も前の音楽、キリスト教の音楽は、ユニゾンです。とてもポリフォニックな響き。でも、それらのユニゾンと、フォーレのユニゾンはまた違った趣があるんですよね。音楽の学問的にはタブーとされる、並行8度でさえ、通説にあたかも挑戦するかのようにフォーレは用いています。そしてそれがピッタリとはまっているのです。おさまりが良いのです。不思議です。
ところで、コメントが、点々で終わっているのは、意味深だなぁ。その後を想像するよう、掻き立てられます。
さて、これに、どんなソプラノのソロを乗せたらいいのだろう。世に何十枚と出回っているCDと勝負したってしょうがない。でも、少なくとも、天使になったような気持ちで歌ってみるか・・・それしかありませんでした。男声とか女声とかいうのはとるに足らない違いであり、人間の心の奥底から表現したら、それは、男声でも女声でもいいはず。だから、ボーナス・トラックでは、リリカルなテノールで歌ってみました。難しい曲です。
> 長坂から新府まで18キロ歩いてきました。
こりゃ半端じゃないや。18kmというと、諏訪湖一周より以上ある距離です。きっと単調な道ではなく、アップダウンの坂道でしょうから、距離数以上のものがあったでしょうね。しかしすごい体力だなぁ。僕は諏訪湖一周ウォーキングで充分疲れます。(*^_^*)
そうなんですよ~。15年前は、この声が、インチキなしで出たんですよ。その後、最高音は3音下がっちゃいましたけど。不思議ですね~。今は、ファルセットも、テノールの頭声も、音域は同じです。トホホ、もう真似はできないです。(でも、デジタルの録音装置:その名もスタジオって奴を仕入れたので、今度は本当のマジックができるはずです。でも、時間がなくてね。)
点々のあとは、今書くとすればこうなります。
合唱は、祈りのうちに、頭(こうべ)をたれながら、後退していきます。美しい分散和音と、精妙なトリルは、後退した合唱を惜しみつつ、この曲を終わりにと導いていきます。
↑ 今、聴きなおしたイメージです。
それにしてもpapalinさん、このフォーレは本当に素晴らしいと思います。
ご自身では「始めての宗教曲」で「ラテン語の意味もわからず」おまけに「正式なレッスンもうけないまま」の作品と謙遜なさいます。
だからこそ、と言うべきなのか、にもかかわらず、と言うべきなのか迷うところですが、聴く人を感動させる「何か」があることは、確かだと思います。
papalinさん自身が感動していらっしゃる。それは多分、papalinさんの音楽への献身、音楽への愛がpapalinさんの心を揺り動かし、熱くしているから。
その感動こそが、私たちの心までも揺さぶる、根源なのではないでしょうか。感動だけが、感動を伝えられるのだという気がいたします
二人目、三人目の母上どの。 愚息より。
二人目、三人目の母上どの。 愚息より。
papalinさんが「愚息」だとしたら、私は「処女懐胎」、聖母マリア様になってしまいます。
そのマリア様、聖霊によって受胎したのは14歳だったということ、ご存知でしたか?
aostaさん...
> 感動だけが、感動を伝えられるのだ
僕も、ある頃まではその通りに思っていました。でも、大学時代に、オーケストラに入部して、オケの中を見てみると、いろんな目ポロの話があって、その中に、「オケの団員は感動なんてしていられないんだよ。自分の音に酔っていたら、音楽はどんどん遅くなるからね。」という話がありました。僕は、バッハの独奏では、完全に酔っています、入っています。確かに、テンポに問題が出ます。でも、僕の音楽はそういうものなんだな、きっとね。
内部事情って、どんな職業でも、芸術でも、面白いですね。
14歳は早熟すぎます。でも、日本も元服の年齢ですね。
確かにプロともなれば「そんなこと」はいっていられないということは事実ですよね。思うに、感動している余裕さえ、与えられないのが「プロ」なのかもしれないと思います。
でも、プロの音楽だけが音楽なのでしょうか?
どんなにプロが望んでも許されないことが、アマチ
ュアには許される。言い方を変えれば、アマチュアにしかできないことがあるのではないでしょうか?
アマチュアという言葉には、どこか安易ではじめから逃げ場が用意されているかのような印象を持つことも
たしかにあります。
でも、papalinさんの音楽を聴いて、そのような感想を持つ人がいるでしょうか?
papalinさんの音楽は「感動が感動を伝える」、アマチュアとして最高の演奏、そして音楽だと思います。
私が思いますに、「人形焼」あたりが妥当ではなかろうかと存じます。ものごとにはすべて「身の丈」という言葉がございます。
仮にpapalinさんの言われるとおり、人間の形をした"GOD"であるとすれば、papalinさんの運命はすでに定まっております。
すなわち"passion"。
覚悟はおありでしょうか?
でも、プロの世界は大変らしいですよ。ホントに。
> どうして、変なところで文章が切れているんでしょう?何か、変な癖でもあるのかしら?
考えられること、それは、無意識のうちに、画面上の右端まで行ったときに、エンターキーを叩いていませんか?
エンターキーは、改行を意味します。でも、コメントを書き込む欄の一番右端で改行しても、見た目は改行していないのと同じように見えます。ところが、入力用の窓の幅と、実際に表示される窓の幅が異なるので、ぶち切れになってしまう・・・これが一般的な"癖"じゃないでしょうか。
「無意識のうちに、エンターキーを叩いている。」
ありそうなお話。
これから気をつけてみます。でも、無意識にしていることを意識的に直すことって難しそうです。
papalinさんを喜ばそうと「褒めて」いるわけではありません。
褒めているという実感もありません。
私が、papalinさんの音楽を聴いたときに感じることを、そのまま書いているだけなのです。字数制限もありますし、感じたこと全部を書いているわけではないのですが、かけといわれれば、いくらでもかけると思います。
papalinさんの音楽を聴くこと、それについて思ったこと、感じたことを言葉にする(言葉にできない想いもありますが)ことがすごく楽しいのです。
結果として、papalinさんが喜んでくだされば、もっと嬉しい。これって、すごく素敵な連鎖だと思いませんか?
passionは、Papalinの大好きな"情熱"という意味でしょう? これがなくなったら、人間も終焉でしょう、そんな風に思っています。
ときに、キリスト教では、キリストの受難を意味する特別な言葉のようですね。
サンサーンスのレクイエム、初めてききました。
フォーレはクリュイタンスよりガーディナー!とのお勧めで聴いたCDにサンサーンスの妙なる合唱曲がはいていました。サンサーンスの声楽曲は初めてでしたが、一度で夢中になりました。
「レクイエム」も、美しい曲です。素晴らしい曲です。まだ、適当な言葉がみつかりません。
それは、人間の死者のためのミサ曲でしたか? 彼は動物愛好家でしたからね。動物のためのレクイエムかもしれません。何せ「動物の謝肉祭」という曲を作った人ですから、お詫びのしるしに、レクイエムを描いたという説は、僕が勝手に今作りました。(笑)
それから導かれてであった「レクイエム」。
ちょうどフランクのヴァイオリン・ソナタを初めて聴いた時と同様の感動と喜びを感じました。
その思いをpapalinさんにお伝えしたくて書いたコメントでした。 曲そのものに同じ感動を求めたわけではありません。初めてであったときの感動、私にとって大切な曲になるかもしれないという予感。そうした思いをpapalinさんは誰よりも共感してくださると思いました。
ですから、冗談とは言え、今回のコメントは私にとって、とても、とても残念です。
モーツァルトの、フォーレのレクイエムに対しても、同様な冗談を返されるのでしょうか?
もうこのレクイエムへの思いは語れません。
ごめんなさい。
なんか素朴で清らか聖歌って雰囲気ですね。
しかしpaparinさんすごい!
カウンターテナーでもいけますよ。
可愛らしい声です!
でも なにもんでしょ このおじさんは ぼそっ
♪~( ̄ε ̄;)
ふむふむ サンサーンスの『レクイエム』
ガーディナー指揮 ファーレ『レクイエム』
φ(.. ) メモメモ
aostaさん のコメント
興味深く読んでます^^
フランクのバイオリンソナタいいですよね!
しかしとても詳しいのですね。私は足元にも及びませんが、時々お話に参加させてくださいな。
ちなみに 私はコルボ指揮を愛聴。
なにもんでしょう、さげもんでしょうか、なにもんでもありません。普通のおじさんです。あ~、なんて失礼な方でしょう、Papalinをオジサンなんて呼ぶとは。Papalinは永遠の貴公子、永遠の王子様、永遠の・・・・・誰ですか、吹いているのは。困った人たちです。
なになに、可愛らしい声ですって? なかなかいい耳をしていらっしゃるではないですか。ふむふむ、カウンターテナーもいけると? それはちょっと褒めすぎ。せめてカウンターネナ~ってか? なんのこっちゃ。
ichiさん、ありがとうございます。
前向きに、評価して下さいました。
この頃は、ブログ本文を読んでもわかるように、「多重録音しました」ということが全面的に前面に出ていた頃でした。今は「音楽を演奏しました。たまたま多重録音ですけれど。」というスタンスです。
> キュングさんがこれがいいと言っていた意味もなんとなく・・・
そんなこともありましたね。初来日されたキュング社のキュングさんと東京でお会いする段取りをメールでやり取りしている際に、私のリコーダーの演奏サイトである、IL DIVO Papalinw紹介しましたら、何曲か聴いて下さって「フォーレがよかった」と仰って下さったのでした。今思うと、赤面してしまいます。(^_^;)