30年という歳月
僕が卒業した中学校の"同窓会"が昨日ありました。
僕たちは、1976年3月の卒業。この3月が来ると、卒業して丸30年になるということで、同窓会の幹事学年になりました。各クラスから幹事4名×4クラスの16名の一員として、殆ど何も係りの仕事をせずに、お客さんみたいに参加してきました。(笑) でも、計画が決っていた2次会までは仲間に任せましたが、3次会では、いろいろお手伝いをさせて頂きました。

さて、こんな機会でないと、学校全体での同窓会になんて出席しないのですが、それでも、我々幹事を含めて、各クラス10人前後は集まったのです。中には、卒業して以来、30年振りに会う人もいました。それでも面影は残っていて、誰が誰だか、ちゃんとわかるものですね。自分の記憶、ちょっとだけ信頼しました。
卒業して30年と言いますと、僕らが中学生だった頃に、参観日とかに見えたあの頃の僕らの両親の年齢になっているんですね。「なんだよ、お前さぁ、親父にそっくりじゃん。」とか「お母さんの生き写しだね。」そんな言葉が自然と出てきました。よく似るものです。髪の薄かった親父さんにそっくりになった奴、ふくよかな体格だったお袋さんにそっくりになった女性、そうかと思うと、美容系/エステ系の仕事をしている女性のきれいなこと。「まじ~、○○さんなの~?」なんてね。
同窓生殆ど全員とお話をしたPapalinですが、みんなが僕に言うこと、似ているんですよね。①「芸術系に進んだんだよね?」とか、②「カメラマンになったんだっけ?」とか、③「音楽やっているんでしょう?」とかでした。僕らの中学校は、小学校も高校もそうでしたが、クラス替えというのがありません。なので、中学校は3年間、同じクラスメート。だから、他のクラスの子と親しくなるってのは、クラブが同じだとか、家が近くでとかでないとありませんでした。そういうちょっと疎遠だった他のクラスの子(もうおじさん、おばさんですが...)が、僕のことをこういう風に見ていたんだなって、ちょっと不思議でもあり、心のどこかでは嬉しくもありました。
僕が勝手に分析するに、①の理由は、同窓会に普段着のまま出かけようとしたら、Mamalinが「やめてよ、その格好。」と言って、コーディネートしてくれたのが、今年の初売りで買ってもらった縦ストライプのシャツに、襟元は金糸のスパンコールの入った黒いスカーフを身につけていったから。ちょっとお洒落してたからだと思います。②は、お得意のデジカメでパシャパシャ撮っていたから。それも3次会だけ。それも女性だけ。たった一人、男性の写真を撮りました。
同窓会で特に嬉しかったことが2つありました。その一つが彼との再会です。

彼(Sくん)は、小学校6年間の同級生であり、中学校ではクラスこそ分かれちゃいましたが、ブラスバンドで彼はホルンを、僕はユーフォニウム&トロンボーンを一緒に吹いた仲で、中学時代に、僕をクラシック音楽の世界に引きずり込んだ人間でもあります(もちろん敬意を込めて引きずり込まれました)。高校も同じ学校で、ブラスバンドのなかった高校だったので、リコーダー中心の器楽系クラブに入って、一緒にリコーダーを演奏していた仲です。Sくんは小さい頃からピアノを習っていて、僕から見ると、"格好いい男の子"の代表選手でした。
モーツァルトのピアノ・ソナタの素晴らしさを、自分の家のピアノを実際に弾きながらいろいろと教えてくれた彼。「どんなメロディでも、こうして弾くと、モーツァルトっぽくなるんだ...」と実践してくれた彼。FMのエアチェックの仕方、カセットデッキの選び方、そういうことも全部彼に教わりました。僕はそういう友達に恵まれていますね。大学で離れてしまってからは、Sくんの役はyasさんに代わったのね。(笑)
Sくんは今、長野県の高等学校(進学校)で教鞭をとっています。あいかわらずスレンダーな体格で、タカのように鋭い目つきも変わっていませんでした。25年振りくらいの再会でした。彼の居場所がわかったので、今度は僕が彼のところを尋ねていく約束をしました。ワクワクしています。
もう一つ、とても嬉しかったこと、それは、Kさんという女の子でした(オ○サンとは言えないですから・・・笑)。僕に会うなり、いきなり「あれ、そんなに髪の毛赤くないじゃん、Papalin!」と言った人。
話を聴いてみたら、毎日、僕のブログを読んでいてくれているとのこと。だからこんな"最新情報"まで知っているのでした。本文だけではなくて、「皆さんとのコメントのやり取りも楽しくて、ついついみんな読んでしまうのよね。」ですって。嬉しいじゃないですか。ここにもPapalinを心から応援してくれる人がいたのです。
彼女の強みは、僕の子供の頃を自分の目で見て知っていること。なので、"カルピス"のブログ(タイトル:貧富)にもしっかり反応してくれたようです。「薔薇柄のブーツ、Mamalinにプレゼントしなさいよ。」とか、「う~ん、今日のブログはオチがイマイチだなぁ。」とか、直接的&間接的な進言も頂きました。そして一番覚えているのが、次のやり取りでした。
Kさん 「Papalinのところって、理想的な家族だよね。」
Papalin「そんなことないって。あれは僕の理想の姿でもあるんだよ。」
Kさん 「だって、洗い物だってしているんでしょう? うちの旦那なんて家事は
全くしないよ。 △・・・○、、、□!!!!!◇.....」
Papalin「ほら、うちは共働きだから、条件はイーブン。食器の後片付けだけで、
あとは何もしなくてもお叱りを頂かないことだけでも感謝してるんだ。」
Kさん 「旦那に聞かせてあげたいね~。でも、彼は時間的に不規則な仕事を
しているから、それだけでも大変なのも解るんだけどね~。」
3次会は、一緒に幹事をした女の子が切盛りしているパプで、無理やりお店を開けてもらって飲みました。Papalinは、昔とった杵柄で、同級生の"ママ"を手伝うべく、カウンターの中で"チイパパ"を務めました。食器洗いも得意ですから。その3次会で、11時頃だったかな、Kさんの旦那さんが、小学3年生の一人娘さんを連れて、しっかりお母さんをお迎えに来ていましたね。そこには暖かな家庭の香りが漂っていました。実は旦那さんが僕のブログに写真も載っていたりして。(秘密)
さて、Kさんとの会話はまだまだ続きました。そんな中から...
Papalin「それだけ読んでくれているんだったら、コメントも書いてよ~。」
Kさん 「実は何度も書き始めたことがあるんだよ。書き始めるんだけど、ボタン
が押せないんだよね。マリア・カラスとか、話題が高尚だから。だって私
が知っているマリア・カラスのお話は、サナダムシのことくらいだもん。」
Papalin「それそれ。あと数回のうちに、そのサナダムシの話題になるからね。
じゃぁそのときには書いてくれるよね。」
Kさん 「・・・・・。」
こんなやり取りがありました。僕はこのブログをとても大切にしているので、彼女との会話、彼女の日課(?)は、とても嬉しかったんだよね。Kさんと、ここでお話ができるようになること、楽しみにしています。コメント・デビューは、今回のブログへのコメントでもいいですよ。これだったら書けそうじゃない? 私、そんなことは言ってな~い・・・でもOKです。もちろん会話部分には若干の(?)---脚色はあります。(笑)
待っています。
さて、今日は長いですね。本当はこれは書かない方が"大人"なのでしょうが、残念に思ったことがあるのです。それは2次会での出来事でした。
4つのクラスのうちの2つのクラスの担任をしておられた先生が、ご出席されたのです。(ちなみに、長野県では、中学校だと大抵は1年から3年になるまで、担任の先生は変わりません。) 宴もたけなわの頃、お一人の先生がスピーチして下さったのです。内容の概略は、今の子供達が荒れているのはあなた方、親がしっかり躾けや教育をしてないからだ。もっと真剣に自分の子供を育てなさい。そんな感じのお話でした。そのスピーチに、「先生、それは違う。時代は変わっている。今の子供達にはそれは無理なんですよ。」と、先生のスピーチを遮って、持論を述べた奴がいました。彼は地元で要職についていて、何年か後には、地域を背負って立っていかねばならないような人です。それが、事もあろうに、全員が聞いているその中で論争を始めようとしたのです。私は胸が痛かった。機転を利かせた2次会の幹事役が、笑いを誘いながら上手く話題を変えていったので事なきを得ましたが、私はもう少し彼の無用な挑戦が続いたら、声を上げていたでしょう。あれは大人げありませんでした。意見したいのなら、先生のスピーチが終わってから、先生の隣に行って、個人的にすべきことです。先生の立場、もっと考えろよな。
当然のことですが、学校の校長先生をつとめて退職され、以降は、地元で教育長をされていらした先生です。先生の方が、人間が何枚も上手でした。
他人の振り見て、我が振り直せでしたっけ?
いろいろなことを感じ(幹事)た"同窓会"でした。
こんなオチでは、許されませんかね、Kさん。(笑)
同窓生約160名中、3人の方が他界しました。ご冥福をお祈りします。
【写真】 ①:当日朝送っていった娘の学校のホールの屋根のMUSE像。
②:僕の親友、Sくんの精かんな横顔。
③:同じく学校の彫刻。天岩戸を開けようとする、力自慢の神。
④:同じく学校の彫刻。天岩戸を開けるため、舞姫が踊りを...
僕たちは、1976年3月の卒業。この3月が来ると、卒業して丸30年になるということで、同窓会の幹事学年になりました。各クラスから幹事4名×4クラスの16名の一員として、殆ど何も係りの仕事をせずに、お客さんみたいに参加してきました。(笑) でも、計画が決っていた2次会までは仲間に任せましたが、3次会では、いろいろお手伝いをさせて頂きました。

さて、こんな機会でないと、学校全体での同窓会になんて出席しないのですが、それでも、我々幹事を含めて、各クラス10人前後は集まったのです。中には、卒業して以来、30年振りに会う人もいました。それでも面影は残っていて、誰が誰だか、ちゃんとわかるものですね。自分の記憶、ちょっとだけ信頼しました。
卒業して30年と言いますと、僕らが中学生だった頃に、参観日とかに見えたあの頃の僕らの両親の年齢になっているんですね。「なんだよ、お前さぁ、親父にそっくりじゃん。」とか「お母さんの生き写しだね。」そんな言葉が自然と出てきました。よく似るものです。髪の薄かった親父さんにそっくりになった奴、ふくよかな体格だったお袋さんにそっくりになった女性、そうかと思うと、美容系/エステ系の仕事をしている女性のきれいなこと。「まじ~、○○さんなの~?」なんてね。
同窓生殆ど全員とお話をしたPapalinですが、みんなが僕に言うこと、似ているんですよね。①「芸術系に進んだんだよね?」とか、②「カメラマンになったんだっけ?」とか、③「音楽やっているんでしょう?」とかでした。僕らの中学校は、小学校も高校もそうでしたが、クラス替えというのがありません。なので、中学校は3年間、同じクラスメート。だから、他のクラスの子と親しくなるってのは、クラブが同じだとか、家が近くでとかでないとありませんでした。そういうちょっと疎遠だった他のクラスの子(もうおじさん、おばさんですが...)が、僕のことをこういう風に見ていたんだなって、ちょっと不思議でもあり、心のどこかでは嬉しくもありました。
僕が勝手に分析するに、①の理由は、同窓会に普段着のまま出かけようとしたら、Mamalinが「やめてよ、その格好。」と言って、コーディネートしてくれたのが、今年の初売りで買ってもらった縦ストライプのシャツに、襟元は金糸のスパンコールの入った黒いスカーフを身につけていったから。ちょっとお洒落してたからだと思います。②は、お得意のデジカメでパシャパシャ撮っていたから。それも3次会だけ。それも女性だけ。たった一人、男性の写真を撮りました。
同窓会で特に嬉しかったことが2つありました。その一つが彼との再会です。

彼(Sくん)は、小学校6年間の同級生であり、中学校ではクラスこそ分かれちゃいましたが、ブラスバンドで彼はホルンを、僕はユーフォニウム&トロンボーンを一緒に吹いた仲で、中学時代に、僕をクラシック音楽の世界に引きずり込んだ人間でもあります(もちろん敬意を込めて引きずり込まれました)。高校も同じ学校で、ブラスバンドのなかった高校だったので、リコーダー中心の器楽系クラブに入って、一緒にリコーダーを演奏していた仲です。Sくんは小さい頃からピアノを習っていて、僕から見ると、"格好いい男の子"の代表選手でした。
モーツァルトのピアノ・ソナタの素晴らしさを、自分の家のピアノを実際に弾きながらいろいろと教えてくれた彼。「どんなメロディでも、こうして弾くと、モーツァルトっぽくなるんだ...」と実践してくれた彼。FMのエアチェックの仕方、カセットデッキの選び方、そういうことも全部彼に教わりました。僕はそういう友達に恵まれていますね。大学で離れてしまってからは、Sくんの役はyasさんに代わったのね。(笑)
Sくんは今、長野県の高等学校(進学校)で教鞭をとっています。あいかわらずスレンダーな体格で、タカのように鋭い目つきも変わっていませんでした。25年振りくらいの再会でした。彼の居場所がわかったので、今度は僕が彼のところを尋ねていく約束をしました。ワクワクしています。

話を聴いてみたら、毎日、僕のブログを読んでいてくれているとのこと。だからこんな"最新情報"まで知っているのでした。本文だけではなくて、「皆さんとのコメントのやり取りも楽しくて、ついついみんな読んでしまうのよね。」ですって。嬉しいじゃないですか。ここにもPapalinを心から応援してくれる人がいたのです。
彼女の強みは、僕の子供の頃を自分の目で見て知っていること。なので、"カルピス"のブログ(タイトル:貧富)にもしっかり反応してくれたようです。「薔薇柄のブーツ、Mamalinにプレゼントしなさいよ。」とか、「う~ん、今日のブログはオチがイマイチだなぁ。」とか、直接的&間接的な進言も頂きました。そして一番覚えているのが、次のやり取りでした。
Kさん 「Papalinのところって、理想的な家族だよね。」
Papalin「そんなことないって。あれは僕の理想の姿でもあるんだよ。」
Kさん 「だって、洗い物だってしているんでしょう? うちの旦那なんて家事は
全くしないよ。 △・・・○、、、□!!!!!◇.....」
Papalin「ほら、うちは共働きだから、条件はイーブン。食器の後片付けだけで、
あとは何もしなくてもお叱りを頂かないことだけでも感謝してるんだ。」
Kさん 「旦那に聞かせてあげたいね~。でも、彼は時間的に不規則な仕事を
しているから、それだけでも大変なのも解るんだけどね~。」
3次会は、一緒に幹事をした女の子が切盛りしているパプで、無理やりお店を開けてもらって飲みました。Papalinは、昔とった杵柄で、同級生の"ママ"を手伝うべく、カウンターの中で"チイパパ"を務めました。食器洗いも得意ですから。その3次会で、11時頃だったかな、Kさんの旦那さんが、小学3年生の一人娘さんを連れて、しっかりお母さんをお迎えに来ていましたね。そこには暖かな家庭の香りが漂っていました。実は旦那さんが僕のブログに写真も載っていたりして。(秘密)
さて、Kさんとの会話はまだまだ続きました。そんな中から...
Papalin「それだけ読んでくれているんだったら、コメントも書いてよ~。」
Kさん 「実は何度も書き始めたことがあるんだよ。書き始めるんだけど、ボタン
が押せないんだよね。マリア・カラスとか、話題が高尚だから。だって私
が知っているマリア・カラスのお話は、サナダムシのことくらいだもん。」
Papalin「それそれ。あと数回のうちに、そのサナダムシの話題になるからね。
じゃぁそのときには書いてくれるよね。」
Kさん 「・・・・・。」
こんなやり取りがありました。僕はこのブログをとても大切にしているので、彼女との会話、彼女の日課(?)は、とても嬉しかったんだよね。Kさんと、ここでお話ができるようになること、楽しみにしています。コメント・デビューは、今回のブログへのコメントでもいいですよ。これだったら書けそうじゃない? 私、そんなことは言ってな~い・・・でもOKです。もちろん会話部分には若干の(?)---脚色はあります。(笑)
待っています。
さて、今日は長いですね。本当はこれは書かない方が"大人"なのでしょうが、残念に思ったことがあるのです。それは2次会での出来事でした。

当然のことですが、学校の校長先生をつとめて退職され、以降は、地元で教育長をされていらした先生です。先生の方が、人間が何枚も上手でした。
他人の振り見て、我が振り直せでしたっけ?
いろいろなことを感じ(幹事)た"同窓会"でした。
こんなオチでは、許されませんかね、Kさん。(笑)
同窓生約160名中、3人の方が他界しました。ご冥福をお祈りします。
【写真】 ①:当日朝送っていった娘の学校のホールの屋根のMUSE像。
②:僕の親友、Sくんの精かんな横顔。
③:同じく学校の彫刻。天岩戸を開けようとする、力自慢の神。
④:同じく学校の彫刻。天岩戸を開けるため、舞姫が踊りを...
この記事へのコメント
いろんな事を考えさせられました。
「あの頃」の親の世代になって、果たして、
自分は「親の役割」をまっとうしているんだ
ろうか?とか・・・。
僕の長男は、僕が30歳の時の子なんです。
そして僕も、父が30歳の時の子なんです。
25歳で結婚し、なかなか子供に恵まれず
やっと長男が生まれたのが親父の還暦祝い。
「30年」という言葉は、どこか心の片隅で
意識している「年数」なんですよ。
プレ王にデビュー(?)したのも、ギターを
高校1年から始めてちょうど30年だったし。
(ブランクは長かったけどネ)
「10年一昔」って言うけど、
「30年一世代昔」なんでしょうねぇ・・・。
そうなの...dogachanにとっては、30(年)というのは、特別な数字であり、長さであるのですね。今回の同窓会の幹事の話が来たときに、中学校を卒業してちょうど30年の29回生っていわれて、ドキッとしました。そんなになるの~って。(笑)
僕の両親は同じ学年で、お互いが30歳の時に結婚し、姉が生まれ、兄は70余日で死んでしまったので、そのあとできた僕は、両親が36歳の時の子なのです。そんな話をしていたら、41歳で初めての子を産んだという同級生がいて、びっくりでした。いろいろです。
本当に仰るとおりです。子供の頃を知っている友達には、嘘がつけないですよね。だから自然と自然体になるというか、男も女もみな友達って奴ですかね。
lavieさん、幾つになっても同級生は同い年ですが、段々縮まっていくもの、それは、担任の先生との相対的年齢差です。僕の先生は、大学を出て僕の母校に赴任され、二年目から担任を持ちました。それが僕達。ですから、年齢差はおよそ10歳なのですよ。そしてその先生が童顔で、髪の毛もふさふさ真っ黒なわけですよ。同級会をやると、先生よりも老けている生徒がいたりします。Papalinはどうかって? さぁわかりませんが、気持ちは少年と同じかも知れません。体型は...やめましょう、その話は。
やっぱり同級生は良いですねぇ、四十路の坂を下り始めた年頃になっても女の子なんて書いて頂いて恐縮です。
それにおばサンのエゲツナイ話を婉曲且つ適切に載せていただいて…何だかいつも見ているテレビ番組に出演したような気分で今日のブログ読ませてもらいました。
そうそう、Sくん!彼とは本当に30年振りでした。
私がブラスバンドの隅っこでフルートを吹いていたのをちゃんと覚えて居てくれましたよ、チョット感激♪
Papalinとは一方的に毎日会っているので全然久しぶりだって気がしませんでした。(さすがmamalinサンのコーディネートだけあって、オシャレもバッチリ決まっていました)
「共働きだから条件はイーブン」これをなかなか言えないのが男性諸氏!それをサラリと言ってのける所がPapalinの素晴らしいところだね。お嬢サンもそんなPapalinを見て育ったらきっと正しい選球眼(笑)が身に付いている事と思います。
今度、ローズガーデン見せてくださいね!女子有志で酒樽背負って行きますから。
Papalin応援団としましてはChibilin時代をご存知のKさんが加わってくださるの嬉しいです。
まだ半年あまりのお付き合いの我々(誰を代表してるのかな?)の知らないwポイント、どしどしコメントしてくださいね。
はじめまして。
実は私も、Kでございます。
姓か名かはともかく、K同士よろしくお願いいたしますね。
同級生って、何十年って離れていても、会ったとたん「あの頃」に戻れる、本当に素晴らしい関係ですよね。kさんとpapalinさん、同窓会で再会されただけでなく、こうしてまたブログでのお付き合いが再開されたこと、何よりです。
クララさん同様楽しいエピソード、紹介してくださいね。
みなさんの楽しいお話をお伺いしていると・・・私も仲間に入れて~といった感じです。(^-^*)/
それと・・・私もKで~す。(笑)
や~、ようこそ~、いらっしゃ~い!!!
とうとう押せましたね、ボタンが。(笑)
あれ、Kさんも僕と同じで早生まれだったように思うのですが、記憶違いだったらごめんなさい。確か3月の終わりの方だったような...。だとしたら、僕の記憶が合っていれば、二人とも誕生日前ですから、まだ上り坂ですよ。(笑)
脚色したかもしれませんが、できるだけ、記憶に忠実に書いたつもりです。Kさんの喋り方の特徴もそのまま。
30年ぶりにあったSくん、精かんだったね。でも僕だってちゃんとKさんがフルーティストだったことは覚えていますよ。音色は忘れちゃいましたが...。(失礼)
子育てに王道はありませんね。ちゃんと反抗期も向かえ、父親をうるさがります。でも、そうして世話を焼かれているいちが花かもね。
500文字の制限を越えちゃったので、2つに分けます。
6月には、"女の子たち"で、是非庭を見に来て下さい。ここでも、我が家のホムペでも、ご案内します。今のところ、24(土)・25(日)の予定です。
Kさん、これでハードルは越えましたね。今度はもっと素敵なハンドルネームをつけて、再登場してくださいね。本当にPapalinは嬉しかったし、今も嬉しいです。
しまった! 一番恐れていた展開が、こんなにも早く、しかも、クララさんからリクエストがでるとは...。充分想定内のことだったのですが、現実となるとやっぱり問題なわけで、あの~、その~、だからして~... Kさん、仲良くしましょうねぇ。
ひとつだけ自分でばらそう。Papalinは、保育園から小学校、中学校と、背の順だとずっと前から2番目だったのですよ。だから正真正銘のChibilinだったわけで、同窓会でも、30年ぶりに会った友達から「大きくなったね~」と言われました。(悲)
sakuraさんもKさんなんですか!
つまらないことかもしれませんが、なんか嬉しい気持ちです。
papalinブログにはこれで「Kさん」が三人。
もしかしたら、まだいらっしゃるのかもしれませんね(笑)
じまっだ~。あ゙あ゙~~~。墓穴を掘った~。
aostaさん、会った途端にあの頃に戻っちゃうと、恋人関係に戻っちゃうんですけど...。んなことはないか。ははは。
sakuraさんもKさんなの? みんなKさんだね。 実はAngelさんもそう。
Kさん、どうやらHN(ハンドル・ネーム)、早速ご披露する必要がありそうですよ。
そう、ただいまKさん増殖中でございます。
みんなでPapalinをいぢめないようにね。
今後も時々参加させて頂きますので、宜しくお願い致します。
papalinの子供時代に付きましては、チビチビと
小出しに暴露させて頂きます!
おはようございます。朝早いんですね。
このブログの特徴の一つに...そうか、もうご存知かも知れませんね...コメンテイター同士がすぐ仲良くなってしまい、Papalin包囲網がどんどん大きくなっていくことが上げられます。コメンテイター同士の会話がおこるのは、当Papalinブログの誇れる点と言えるでしょう。しかしながら、Chibilinの話題はトホホなので、小出しにも出さんでいいからね。(ワクワクはしないけど、ドキドキするなぁ。)
わたしは残念ながらKさんではありません。旧姓も新姓も。
lavieさん 「Kさん」はそういうことでした。
Papalinさん 昨日はコメントしませんでしたが このブログで使われている彫刻の写真 どれも素敵☆ですね。娘さんの通われている学校の彫刻なんだ~。素敵な学校ですね。(*^-^*)
PapalinもKさんではありません。計算も苦手ですけれど...。(笑)
そうなんですよ、へんな学校で、こういう彫刻がうようよ(?)しています。ソクラテス、アリストテレス、プラトン、こういう人たちはそれでもまだ理解できますが、ブログでも使った、天岩戸の舞姫や力自慢の神様が、西洋人体型で彫刻されているのには、違和感を覚えました。(笑)
初代の校長先生のご趣味で、数が増えていったのは、卒業生が卒業記念にと寄贈していったからだとか。
PS:これは秘密ですが、Papalinは、sakuraさんの母校に行きたかったのです。子供の頃から憧れていました。何にって? 素敵な学校の名前にです。
母校に憧れていただいてありがとうございます。でも母校にはこんな素敵な彫刻はありませんでしたよ。あったのは初代校長先生の胸像ぐらいでした。(^-^*)/
それとPapalinさん 数学はお得意だったんじゃないでしょうか。
sakuraさん、高校生の頃、気づきませんでしたか? 数学の先生って、計算ミスが得意だってこと。
初代校長先生の胸像ですか...。石になってまで後世まで残るって、複雑だなぁ。
私 高校2・3年の担任が数学担当でした。昨年同窓会がありほんとうにお久しぶりでお会いしたんですけど 当時と変わらずお元気で頭もさえてらして やはり頭を使う人はボケないんだな~って思いましたよ。計算ミスが得意だったか・・・ ちょっと忘れてしまいましたね。
初代校長先生の胸像(ブロンズ像)は立派です。きっと天国でも喜んでいらっしゃることと思いますよ。(*^-^*)
数学の先生だったのですね。Papalinは、中学校の時の担任の先生が、学校を卒業して2年目で、初めて担任を持った若い数学の先生でした。その先生の印象が強くて、同じ学校に入学しました。先生にはなれませんでしたけど。(笑)
私も、もっともっと頑張って、我が家の庭にブロンズ像でも建ててもらいますかね。ところで、ブロンズ像って、全部が本物だって知ってました? 同じ型から作られるので、出来たものは全て本物になるようです。(へぇ~)
私は卒業して何年か経って 同級生が数学の先生になってその担任だった先生と一緒の職場になったって話聞きました。数学とはちょっと縁のなさそうな同級生だっただけに驚いたりびっくりでした~。
ブロンズ像は知りませんでした。では本物がいくつもあるってことですか?(^-^*)/
はい、その通りです。ちなみに版画ってやつも、本物がいくつもあります。
僕も先生になるつもりで、先生になったら償還しなくてもいいという奨学金をもらっていたのですが、思うところあって、サラリーマンになっちゃいました。ですから、償還の必要が出てきたのです。これを知ってMamalinは随分とお怒りでした。何であなたの借金を結婚後も返さなくちゃいけないの? とほほ...でした。