【クラシック音楽-013】 年代による オーケストラ音楽 の 変遷

 何だか随分と格調高いタイトルになってしまいました。(笑)

 そう、私はまずタイトルから書く人なのですね。書きたい内容にとって、一番インパクトがあるタイトルは何かと一応は考えるんですよ。

 しつこいですが、僕が生まれた1961年頃に、レコードがモノラルからステレオになりました。僕がクラシック音楽に興味を持ち始めたのは、1973年ですから、レコード屋さんには、ステレオのLPレコード(もちろん33rpm)がずらっと並んでいました。僕はこういう環境下でクラシック音楽を聴き始めたので、モノラル録音というだけで、何だかお金を損するような気がしたので、モノラル録音のレコードにはめったに手をつけませんでした。実は他にも理由がありまして、確かLP一枚で¥1000だったと思うのですが、フィリップスから発売になったフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの第九(第二次大戦下でのライブ録音だったかな?)を聴いたら、音がひどくて、その先にある音楽まで到達することができなかったのですよ。だから、それ以来モノラル録音は殆ど聴かなくなりました。

 今日の本題は、この前置きにもちょっと関係するかもしれませんが、1960年代~1970年代のクラシック音楽の演奏についてです。

 人間誰しも、初めての曲との出会いには、初めて聴いた時の演奏者の演奏が強く印象として残るものだと思います。僕がクラシック音楽を聴き始めた頃は、それらは大抵のものが1960年代~1970年代に録音されたものでした。小遣いは喫茶店でのコーヒーと煙草に消えていった貧乏な高校生としては、FMのエアチェックは格安の航空券のようなものでした。海外の音楽祭のライブ録音が約半年遅れで放送されたので、結構タイムリーに、現代の演奏を聴いていたと思います。

 振り返ってみるに、あの20年間(1960-1979)のクラシック界は、ステレオ・レコードの普及と共に、ヘルベルト・フォン・カラヤンやベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に代表されるような、思いっきりバリバリ鳴らす演奏が主流だったように思います。1980年以降に徐々に浸透してきた古楽器やピリオド楽器と呼ばれる、いわゆる19世紀とか18世紀の楽器(またはそのレプリカ)を使っての演奏も当時はまだありませんでした。バッハだろうが、モーツァルトだろうが、ベートーヴェンだろうが、第一バイオリンだけで10プルトもありそうなフル編成のオーケストラで、しかも楽器はピカピカの現在最新のモデルを使って、思いきり大きな音を出す...当然、オケのピッチも442Hzとか、時には443Hzという高いピッチで、弦楽器は弦をピンと張って、演奏会では何人ものバイオリニストがガット弦が切れようが、できる限り大きな音が出るようにということに注力していたような気がします。カラヤンに至っては、ホルン奏者を倍の人数にするなど、迫力を出すための様々な試みをしていました。

 そういう演奏が、僕らの年代のリスナーにとっては、イコール、クラシック音楽だったのですね。それが当たり前であり、イ・ムジチの「四季」だって、モダン楽器でヴィブラートかけまくりで演奏された録音でしっかり刷り込まれたのです。この20年を振り返って考えてみると、ある意味では、クラシック音楽が一番華やかであった時代と言えるのではないでしょうか。

画像 実はこの法則はリコーダー演奏にも当てはまるのです。この20年間のリコーダー演奏は、一部に当時の楽器を使ったデイビッド・マンローのような人もいましたが、それはマイナーで、私の尊敬するリコーダー奏者の神様:オランダ人の、今では古楽器オーケストラの指揮者としての方が有名な、フランス・ブリュッヘンも、フルートにその地位を奪われて葬り去られていた楽器であるリコーダーの音楽を世に知らしめ、名をはせていった、まさにその当時は、バッハもヘンデルもテレマンも、みなヴィブラートかけまくりでした。ですから、何の疑問もなく、僕もそれがリコーダーの正しい演奏方法だと自然に刷り込まれていったのですね。

 ところが、1980年代に起こった古楽器ブーム。それまでは地味な存在だった楽器が、一躍有名になった時代です。ギターに取ってかわって台頭してきた古楽器リュート、チェロにその地位を奪われたはずの古楽器ヴィオラ・ダ・ガンバ、ちょっと挑発的な表現かもしれませんが、マニアックな楽器が堂々と市民権を手に入れたようなものだと思うのです。当然のことながら、古楽器は古楽器の演奏方法があります。モダン楽器の音が、音の発生から消滅までのデュナーミクが、ピアノの音のように、音の発生時が一番大きな音で、あとは減衰していく...そういうものであるのに対して、古楽器の音は、特に弓を使う弦楽器や管楽器において、ちょうど飛行機の翼(以下、翼と省略)の断面図のように、音の大きさが、小→大→小となるんですね。こういう音であった(だろう)理由は、Papalinが勝手に想像するに、昔はピッチが低かった。Aの音が415Hzとか、その前後。となると、弦楽器の弦は、テンションをゆるく張ります。それを、これまた弓の端からかなり内側を持って引くものですから、アクセントのある音は出しにくかった。だから翼のような音型になったのではないかと思うのです。

 古楽器による演奏を聴くと、どれもがそういう音の作り方をしています。それは弦楽器や管楽器に限らず、声楽然り、リコーダー然りなのです。かのフランス・ブリュッヘン大先生も、あるときからアーティキュレーションががらっと変わりまして、ノンヴィブラート(もしくはフィンガー・ヴィブラート)になりました。音型も翼になりました。こうなると、モーツァルト以前の曲は、もっというと、19世紀までの曲は、古楽器とかピリオド楽器と呼ばれる楽器で演奏したものが"普通"になっていくのです。僕もご多聞に漏れず、そういう道を辿りました。だから、1970年代のバリバリ・クラシック音楽の演奏を聴くと、懐かしいのと同時に、何か違うんじゃないかなっていう懐疑心も生まれちゃうのです。変なものですね。

画像 その最たるもの、実は、これから今日のブログが生まれたのですが、かの有名なチェリストで、これまた埋もれていたバッハの無伴奏チェロ組曲を世に再生させた、あのスペインのチェリスト:パブロ・カザルス。彼はチェリストでもあり、オーケストラの指揮もしました。非常に矍鑠とした音楽だったようですが、彼が1964年のマールボロ音楽祭で、同じくバッハのブランデンブルク協奏曲の第5番を指揮したCDが復刻版で出たので買ってみました。何と驚くことに、チェンバロ・パートを弾いていたのはピアノだったのです。それも彼と非常に仲の良かったルドルフ・ゼルキンのピアノ。これには驚きました。後にも先にも、あのチェンバロ協奏曲とも呼べる曲を、ピアノで聴いたのはあれだけでした。

 そういう時代だったのですね。


【写真】 チェリスト&指揮者のカザルス、リコーダー奏者&指揮者のブリュッヘン

この記事へのコメント

aosta001
2006年01月26日 00:50
papalinさん、
 もう寝ようかな、と思いつつもふと目を止めたら、なんと!
「今夜は、読むだけにしてコメントは明日。」と固く自分を戒めながら読んだのですが、なんと!
 最後の最後に話の出たカザルス、ゼルキンによるマールボロ音楽祭のCD、私も持っているじゃない!で、何か書かずにいられなくなってしまいました・・・
 ルドルフ・ゼルキンは、モーツァルトのピアノ協奏曲を全集で揃えたほど、好きなピアニストの一人です。彼が来日したときは、上野の文化会館まで聴きに出かけました。もうすでに高齢だったゼルキン氏、鼻水をたらしながらの(お風邪を召してらしたのでしょうか?)モーツァルトでしたが素晴らしかった!
 その敬愛するゼルキンとあの「神様カザルス」の共演。しかしながら、このブランデンブルグ協奏曲におけるゼルキンのピアノは、残念ながら全然生きていないのです。
 あの輝かしいブランデンブルグ協奏曲の5番がまるで別物のように精細を欠いて聴こえてしまうのはpapalinさんが言われるように、私の耳がチェンバロ以外の楽器でこの曲を聴くことに抵抗しているからなのでしょうか?
2006年01月26日 01:06
◆◆ もう寝ようかな... aostaさんへ

 覚醒作用があったようで、なによりです。(?)
 ゼルキンのピアノは悪くありません。この曲を選んだのは、多分、新しい試みだったのでしょうが、どうも成功は収めなかったようですね。(笑)

 カザルスの指揮は、一音一音にまで注文を付けているのがよくわかります。あのドドミミソソドドシドシラソファミレ の中にも、強弱があるんです。そんな演奏、聴いたこともありません。カザルスは、口移しで楽団員に意図を伝えたみたいですね。賛否両論です。

 僕としては、正直に言うと、カザルスはチェロの神様でいてほしかったな。買わなきゃよかったと思った、何枚かのCDのうちの一枚となってしまいました。

 マールボロ音楽祭では、ゼルキンと本当によく共演していたみたいですね。
aosta001
2006年01月26日 11:08
papalinさん、
 ゼルキンのピアノ、私もそれだけを言うなら悪くないと思います。ゼルキンのファンとしては、むしろ嬉しい演奏です。でも、このブランデンブルグ協奏曲の中で彼のピアノが他の楽器と呼応して素晴らしいかというと、またべつの問題です。ピアノには、チェンバロの音色が持つ「飛翔感」といったものがありません。もちろん、ピアノが限りなく「飛翔」する楽曲はたくさんあると思いますが、このバッハに限ってはピアノはありえないと思うのです。
 「生きていない」という私の感じ方は、チェンバロ・パートをピアノで演奏するメリットは何もないということなのかもしれません。強いて言うら、チェンバロに比べピアノのほうが遥かに大きい、よく響く音を出せるという点でしょうか。しかしながら、この協奏曲を作曲したバッハは、「音楽祭」と言うような大会場で、大勢の聴衆を前にした演奏は全く想定していなかったはずです。まして、現在のピアノが楽器として完成されたのは、バッハの時代を過ぎてからのこと。カザルスの指揮について何もコメントできないのですがチェンバロのかわりにピアノとはあまりに安易にすぎる発想だと思います。
aosta001
2006年01月26日 11:31
私がクラシック音楽への興味に目覚めたころ、家にあったのは、ほとんどがモノラルのSP盤ばかりでした。
 指揮者では、フルトヴェングラーはじめ、トスカニーニやストコフスキー、ワルター。ピアニストは先ほどのゼルキン、バックハウス、ケンプ、リパッティ、ハスキル。そして、作曲家はと言えば、これまたベートーヴェンが全部といってもいいくらい。もちろん、リパッティやハスキルのショパンやモーツァルトもあるには、ありましたが、あくまでもメインはベートーヴェンの、シンフォニー。
 父のコレクションのなかでは、カラヤンもベームもまだ、指定席を得ていなかったように思います。
 フルトヴェングラーの、今聴くと「悠長」にさえ聞こえるテンポ。とにかく「速い」といわれたトスカニーニの演奏も今聴けば決して速過ぎない。
 私にとって、「オーケストラ音楽の変遷」とは、この速さの感覚の相違といってもいいかもしれません。
 音楽はよく「時間の芸術」と言われますが、最初に刷り込まれたこのテンポから開放されるまでにはずいぶん時間がかかりました(笑)
2006年01月26日 12:40
◆◆ ゼルキンのピアノ... aostaさんへ

 大は小を兼ねない例ですね。aosta説に、まったく異論はございません。同じように僕も感じました。

 それでね。そのことを突き詰めていくと、極論かも知れないのですが、1960~1980年のクラシック演奏そのものが否定されちゃうのですよ。でも、それはそれで、僕自身も非常に感じた演奏だったので、良しとしましょう...そんな風に思っています。でないと、古楽器やピリオド楽器の演奏が正しくて、モダン楽器での演奏は...ということになります。

 例えば、バッハの平均律クラヴィア曲集やシンフォニア、ピアノで聴いても美しいと思いませんか?

 カザルスの試みは失敗だったと思うのですが、中にはオリジナル楽器での演奏をも凌駕してしまうケースがありますよ。
2006年01月26日 12:45
◆◆ 私がクラシック音楽へ... aostaさんへ

 初めて聴いた演奏への執着は僕もあります。あるなんてもんじゃなく、それがGOLDでした。だから他の演奏はみんな違和感を感じました。それを克服できたのは、FM放送で色々な指揮者/演奏者の演奏を聴くようになってからです。

 僕はカラヤン派なので、ベームの特に晩年のテンポにはついていけませんでした。遅すぎてね。

 トスカニーニは楽譜に忠実な指揮者と言われていましたが、当時は彼の演奏でも速かったのですね。
aosta001
2006年01月26日 13:47
papalinさん
 >それがGOLDでした。
GOLDって?GOULD ではないですよね?
2006年01月26日 17:50
◆◆ GOLDって?... aostaさんへ

 GOLDで合っています。金メダルって意味。銀でも銅でもなく、金色なのです。GOULDも大好きだけどね。(^.^)
aosta001
2006年01月26日 21:05
papalinさん、
 >バッハの平均律クラヴィア曲集や、シンフォ二ア、ピアノで聴いても美しいと思いませんか?

 もちろんですとも、papalinさん。
私が↑のコメントでGOLDからGOULDを連想したのも、彼の演奏による平均律クラヴィア曲集やシンフォ二アの印象が強烈だったからに他なりません。
 チェンバロのために作曲されたものだからといって、チェンバロで演奏しなければその素晴らしさを表現できないと思っているわけではないのです。
 でも、アンサンブルの場合はちょっと違うような気がします。
アンサンブルとして作曲された作品はその時点で、各々の楽器の音の響き方、重なり方をイメージして作られるものではないでしょうか。
aosta001
2006年01月26日 21:24
ブランデンブルク協奏曲はチェンバロを想定して作曲されたもの。
ヴァイオリンにせよフルートにせよ、チェンバロの音色と融和することで、最高に魅力的な音楽が完成するのだと思うのです。
 だからといって、決してモダン楽器の演奏を否定しているわけではありませんよ。
  
いつものように、だんだん何をどうかいたらいいのかわからなくなってしまいました(泣)
 papalinさんのほうがよっぽどスマートに説明なさいますよね。
生兵法は怪我のもと。尻尾を出さないうちに退散することにいたしましょう!
2006年01月27日 00:01
◆◆ もちろんですとも... aostaさんへ

 作曲家の頭の中では、間違いなく"特定の"楽器の音がなっていることでしょう。ですので、バッハはピアノの音を知りません。モーツァルトも、ハンマークラヴィーアしか知らないでしょう。(もちろん、ハープシコードはそれ以前の楽器ですので既知です。)新しい楽器が誕生したときに、その作曲家が生きていたら、そしてその新しい楽器を知っていたら...ということで、新しい楽器での演奏を試みるのだと思います。一方では、Papalinもそうですが、間違いなくチェロのために書かれた組曲をリコーダーという全く類似性のない楽器で演奏したりします。とどのつまりは、気に入ればいいんですよね。
2006年01月27日 00:02
◆◆ もちろんですとも... aostaさんへⅡ

 aostaさん、「レコード芸術」誌の2月号を読んでいたら、266ページに、1945年~1950年に録音されたバッハのブランデンブルク協奏曲のCDの紹介が載っていたのですが、何と、5番だけでなく、全6曲とも、通奏低音はピアノで演奏されているようです。カザルスのオリジナルな挑戦ではなかったようです。1896年生まれのキャサリン・ロング(女性かな?)がピアノを弾いているようで、紹介者はその演奏の素晴らしさを絶賛していました。
2006年01月27日 00:12
◆◆ チェンバロを想定して... aostaさんへ

 仰るとおりです。私が言いたいことは、一つ前のコメントへの返信で書いたとおりです。

 Papalinは体型がスマートなので、文章も、生き方も、スマートなのです。(?)
aosta001
2006年01月27日 05:54
papalinさん、
 先日、CD屋さんで、バッハのピアノ協奏曲というタイトルのCDをみてびっくりいたしました。
ピアノで演奏しているからって「ピアノ協奏曲」はないですよね。
2006年01月27日 07:12
◆◆ 先日、CD屋さんで... aostaさんへ

 バッハのピアノ協奏曲ですか...。それは確かにビックリしますよね。ただ、そのタイトルからして、ヒストリカルな演奏だということは容易に想像できます。そうでないとしたら、眉唾ものですね。(笑)
aosta001
2006年01月27日 10:15
papalinさん、
 私の大好きな曲の一つ、シューベルトのアルペジオーネ・ソナタ。
ヴィオラ・ダ・ガンバはめでたく復権してその音色を楽しむことができますが、この、アルペジオーネはどうなんでしょか?
 私は聴いたことがありません。すぐ次の楽器に取って代わられ楽器としての寿命が短かった、演奏するのに難があったというような話ですが・・・
 もちろん、チェロが大好きな私としてはチェロによる演奏で充分満足はしているのですが、一度聴いてみたい楽器です。
2006年01月27日 12:30
◆◆ 私の大好きな曲... aostaさんへ

 シューベルトは、はっきりとチェロを意識していることと思われます。バッハの時代には、すでにヴィオロン族(バイオリン族)がガンバ族を追いやっていたでしょうから、バッハ以降の作曲家であるシューベルトは、もちろんチェロでしょうね。

 ガンバは弾いたことがありませんが(もっともチェロもバイオリンもですが)、ギターのようにフレッドが付いています。なので、音程の狂いはなく、初級~中級の演奏家にとってはチェロよりは容易だったのではないかしら。あくまで想像ですが。
2006年01月28日 02:12
◆◆ ヴィオラ・ダ・ガンバは... aostaさんへ

 書き忘れました。ガンバはyasさんが弾きます。プレ王でyasさんを検索してみて下さい。彼の演奏が聴けますよ。もちろん、ここから呼び出して頂いても宜しいかと思いますが...。
aosta001
2006年01月30日 05:42
papalinさん、
 ヴィオラ・ダ・ガンバの説明ありがとうございます。
でも、私が伺いたかったのはむしろアルペジオーネの方なのですが・・・
そのあたりは、いかに?
アルペジオーネは、現代では演奏されないのでしょうか?
2006年01月30日 07:02
◆◆ アルペジオーネの... aostaさんへ

 ごめんなさい、質問の意図が今ク理解できないでいます。アスペジオーネ・ソナタの時代はチェロ全盛なので、間違いなくチェロで演奏されるものとは前書いた通りなのですが、...。
2006年01月30日 07:02
◆◆ アルペジオーネの... aostaさんへ

 ごめんなさい、質問の意図が上手く理解できないでいます。アスペジオーネ・ソナタの時代はチェロ全盛なので、間違いなくチェロで演奏されるものとは前書いた通りなのですが、...。
aosta001
2006年01月30日 09:25
papalinさん、
 おはようございます。
アルペジオーネ、チェロとギターの中間のような楽器、ということで興味がありました。
アルペジオーネの製作者からの依頼でこのソナタが作曲された、と聞いています。
 アルペジオーネのために作曲されたものでも、シューベルトがイメージしていたのはチェロの音だったということなのですね?
どちらにしても、すでに失われた楽器なのでしょう。ちょっと、残念です。
2006年01月30日 12:28
◆◆ アルペジオーネ... aostaさんへ

 きっと私は勘違いしています。ちゃんと調べないといけないですね。(笑)
2006年01月30日 22:04
◆◆ アルペジオーネ... aostaさんへ

 調べました。私はこの作品はチェロ曲とばかりずっと思っていましたが、違いましたね。

 アルペッジョーネ(Arpeggione)とは、aostaさんが仰る通り、チェロの大きさをした胴がギターに似た6弦の擦弦楽器で、1823年に考案されたようです。シューベルトがアルペッジョーネ・ソナタを作曲したのが1824年ですから、彼がすぐにとびついたのか、あるいは、彼が楽器誕生に絡んでいたか、いずれにしても、素早いですね。ちなみにこの曲は今はもっぱらチェロで演奏されます。(ですから私はすっかりチェロ曲だと思っていました。アルペッジョーネはアルペジオ:分散和音のことかと思っていました。全然違いましたね。)
aosta001
2006年01月31日 09:59
papalinさん、
 調べてくださったのですね。
ありがとうございました。
私もあのあと、インターネットで検索して見ました。
出てくるのは、「アルペジオーネ・ソナタ」のことばかりで、肝心な楽器についての情報はまったくみあたりません。
 ふと思いついて、AmazonでCDを探してみました。
そうしたら、あったんです!
復元されたアルペジオーネでの演奏が。
 クラウス・シュトルクという人のアルペジオーネ、ハンス・マルティン・リンデのピアノによる74年の録音だそうです。
 「頼りなげなこの音で聞くアルペジオーネ・ソナタは本来のメランコリックな性格が・・・」云々の解説もありました。近いうちに買えればいいなと思います。一体、どんな音がするのでしょう。
2006年01月31日 12:44
◆◆ マルティン・リンデ... aostaさんへ

 何と懐かしい響きが。彼は大学の先生で、僕がリコーダーをはじめた頃に出会ったリコーダー奏者です。その彼が鍵盤で伴奏を? ありえない話ではないですね。音楽を奏でる人の何割かは、鍵盤楽器が弾けますものね。でもなぜ天は、特定の人にだけ二物を与えるのでしょうか。(嫉)
aosta001
2006年01月31日 15:16
papalinさん、もしかしたら、今度はわたしの勘違いかもしれません。
「アルペジオーネ・」ソナタ」のCD、ほかのもう一曲「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲、が入っていました。
 こちらで、木管フルートが使われています。
リンデの名前があったのは、この「しぼめる花」での演奏からだと思います。
ピアノ奏者はおそらく別人でしょう。
はやとちり、ごめんなさい。
 でも、papalinさんにもご縁があった方なのですね。ますます聞きたくなりました。
2006年01月31日 15:46
確かに・・・かの平均率もレコードで残された当時の有名なものは・・・エドウィン・フィッシャーの弾いたピアノによるものでした。(^^♪
2006年01月31日 18:03
◆◆ 今度はわたしの勘違い... aostaさんへ

 あはははは。aostaさんも最近はとても"人間"らしくて、距離が縮んでよかったなぁ。どんな話題で挑戦(別に戦いを挑んでいるわけではないのですが)しても、必ずレスが付く、それも私の数倍多くの、あるいは比重の高い内容のレスが。

 でも、たまにやってくれる"早とちり"がホッと胸を撫で下ろさせてくれるんですよ。よかったな~。

 ハンス・マルティン・リンデが鍵盤を弾いても、まったく不思議ではないのです。僕が最近ブリリアント・レーベルの超安いCDで聴いて、一発でファンになってしまったリコーダー奏者がいます。苦手な英語のライナーノーツを読んでみると、何と彼はオルガンやチェンバロ、いわゆる鍵盤楽器奏者なのです。たまげましたね。リコーダーも超上手く、超叙情的です。天才だよね。
2006年01月31日 18:04
◆◆ 今度はわたしの勘違い... aostaさんへ

 ところでリンデさんは学者さんです。同時代に有名だった僕のリコーダーの神様:フランス・ブリュッヘンの対角位置にいたリコーダー奏者と言ってもいいかもしれません。aostaさん流に言うなら、大鵬と柏戸、僕的には...まぁいいや、つまり、非常に骨格のしっかりした、知的な演奏をする人でした。嫌いではありませんでしたが、知的というより優麗な演奏をするブリュッヘンの方が僕には魅力的でした。
2006年01月31日 18:12
◆◆ かの平均率も... tetu5252さんへ

 大変ご無沙汰をしておりまして、申し訳ないです。自分のブログを転がしていくだけで精一杯、アップアップでございます。tetu5252さんの写真、好きなんですけど、ちょっとご無沙汰しちゃってます。

 古楽器が登場する前までの音楽演奏、僕はあれでいいのだと思っています。古楽器を用いているけれど、本当に当時の演奏を模倣しているかどうかなんて知ることができませんもの。仮に間違いなくこうした演奏だったということが立証されても、あの時代は、ああいう風に、何もかもが華やかな方向側で演奏されていた...それでいいじゃないですかね。

 僕も、グールドがピアノで演奏するゴールドベルクには涙が出ましたし、また、昨年のクリスマス・イヴのコンサートでは、僕自身もピアノ伴奏でリコーダーを演奏しましたし、何でもありだと思います。

 作曲家は楽譜という書物を演奏家に公開しているのであって、演奏方法までは規定していないと思います。楽譜からインスパイヤされて、演奏家が個性的な演奏をする。それが時代考証として正しくなくても、全然問題ないと思っています。

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