◆IL DIVO◆ 愛唱曲集 Part 1

Male Songs Part 1
URL : http://papalin.yas.mu/W303/
◇公開日: 2006年04月10日
◇連続演奏時間: 9分15秒
◆録音日: 1997年5月5日 (36歳)
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1997年に結成された、男声合唱団「やまびこ」で歌った曲から、皆さんよくご存知の曲も含めた5曲を紹介致しましょう。
「美しき天地」
うるわしきあめつち・・・と読みます、シューベルトの曲です。ハーモニーがとっても綺麗ですよね。シューベルトの歌の特徴ではないでしょうか。
「婆やのお家」
邦人の曲です。バラード:譚詩曲:ものがたりの歌ですね。5757・・・と続く歌詞が韻を踏んでいます。一拍目が休符というのも珍しい曲ですね。三重県の田舎(今は松阪市のようです)のお話です。ちなみに婆やとは、おばあさんではなくて、昔の女中さんのことです。
「自由の歌」
男声合唱の定番だとか。Maestoso:厳かに...という指示があります。
「菩提樹」
シューベルトの歌曲集『冬の旅』の中の有名な曲です。リート形式:歌謡形式の曲です。二部形式でもあります。
「野ばら」
ウェルナーのこれまた有名な曲ですね。野ばらは、園芸用の薔薇のスタンダード仕立てには欠かせないです。この曲とは関係ないですね。こちらは一部形式の曲になります。
歌っているのは、みんなPapalin。 別称 "ムトウテツヤズ" とも言います、架空の仮想的な実在し得ない混声合唱団です。
録音は、1997年5月5日 長野県茅野市の「武藤音楽ホール」にて。
みなさまのご感想を、コメント欄に是非書いてください。
【写真】 1961年 Papalinが超Chibilinだった頃。髪の毛が立っています!
![]() 多重唱(合唱) |
この記事へのコメント
どうしましょう!!
誰にでもみんな、こんな無垢な時代があったんですよね。もちろん、私にも。
はい、aostaさんの講評が楽しみです。
私にも...というところを突っ込めというご指示ですね? 突っ込みませんよ。誰でも3歳までは、超可愛くて、超能力を備えていて、誰にでも無邪気に振舞いますからね。aostaさんも決して例外ではありますまい。
しっています!この曲。
でも、シューベルトの曲だったとはついぞ知りませんでした。
私のシューベルトのイメージは、曲にもよりますが、こうした小品の場合は、軽やかで清澄、どちらかといえば女性的なたおやかなメロディーといった印象でした。でも軽快に明るく、希望に満ちたこの曲はどこか男性的な力強さがあります。そしてシューベルトなればこその美しいハーモニー。
何の疑いもない神への賛美と、率直なまでの神への信頼。これはシューベルト自身の信仰ゆえのものなのでしょうか?
病に苦しみ、経済的には貧窮していた生前のシューベルトを思うとき、こうした歌の晴れやかさ、健康的といってもいい率直さが、彼のどの部分に、また、どのように隠されていたのか不思議に思えてなりません。
また、こうした悩みや苦しみの中から、このように美しく心が清められるような音楽が生まれてくるのか。それはまるで一つの幸せな奇跡のように思えてきます。
見たことのない風景。見知らぬ時代の歌であるはずなのに、どうしてこの曲はこんなに懐かしさで胸を熱くさせるのでしょう。
かつて、幼い自分を手塩にかけてそだててくれた婆やをたずねる青年。貧しいけれども、暖かく整えられて、青年を迎えるばあやの家。おそらく過去に何度か遊びに来て、見知っているその家で、彼は思い出の中のムクイヌの、牛の消息をたずねます。ばあやはきっともう相当な年齢になっているのでしょう。青年の問いかけの言葉ひとつひとつに、温かい思いやりとねぎらい、懐かしさがにじみ出るような、なんとも美しく優しい歌です。
彼の作品に限らず、私たちが小学生のころ教わった童謡や「文部省唱歌」はどれも芸術性の高い素晴らしいものだったと思います。
北原白秋、西条八十、野口雨情といった一流の詩人によって書かれた美しい歌詞。滝廉太郎や山田耕作、中山晋平など、その時代を代表する作曲家(もしかしたら、彼らを超える作曲家は未だあらわれていない?!)たちによる音楽。
童謡は素晴らしい日本の文化であったと思います。
にもかかわらず、最近の小・中学生の音楽の教科書ではほとんど見かけることがありません。
私は本当にたくさんの童謡を、口伝えに母から教えてもらいました。童謡は世代を超えて感性を共有できる素晴らしい財産だと思います。童謡を知らずに育つ世代の、なんと寂しく悲しいことでしょう。
男性合唱の定番とのお話ですが初めて聴かせていただきました。
行進曲風の、なかなか勇ましい歌ですね(笑い)
大好きな歌です。歌曲集「冬の旅」の中で「春の夢」と並んで、あの陰鬱な絶望の歌の中で僅かに明るい光を投げかけて来る曲ですね。
でも、この曲を単独で聴くとまた違う印象です。
若々しい青春の希望と憧れを感じさせてくれる曲だと思います。シューベルトらしい美しいハーモニー。
Papalinさんの声も若々しく、のびのびと歌われていますね。
私が聴いた「野ばら」はシューベルトの作曲によるものでした。ウェルナーによる同名の曲があることを知ったのはずいぶん後のことです。
詞は、同じゲーテにもの。でも、曲のイメージはちょっと違いますね。シューベルトの「野ばら」はどこかあどけなく無邪気な感じ。ウェルナーの曲には憂いを感じます。Papalinさんの「野ばら」この憂愁をとても美しくはかなげにうたわれています。どちらが好きかと問われれば、迷いながらもこのウェルナーになるのかもしれません。
野ばら・・・ながいこと白くて一重の、あの日本の野ばらをイメージしておりました。
この歌で歌われる野ばらの色がピンクまたは赤と知ったときは、曲そのものの印象がかわるほど驚きましたが、ヨーロッパでは、野ばらといえば“ピンク”なのですね。どちらも強い丈夫な薔薇、スタンダード仕立てに限らずいろんな台木に使われるようです。
そうですか、ご存知でしたか。ちなみに僕は知りませんでした。綺麗な曲ですよね。讃えよう天地(あめつち)
逆境にあるから、幸せな曲を書けるってこと、ないでしょうか。このことはシューベルトに限らず、ベートーヴェンでもモーツァルトでも言えるような気がします。
それはね。日本人の中にあるリズム、五-七-五-七のリズムで、この曲が作られていること。それから、aostaさんが気づかれている、古きよき時代の暖かな光景を歌っていること...でしょう。
もう一つあえて付け加えることを許されるならば、Papalinの郷愁を誘う歌唱...ですかね。(笑)
補足です。ムクイヌは、こちらを振り向く犬・・・という意味です。
しかし、いつも感心することなのですが、aostaさんは、初めて聴く曲でも、きちんと歌詞を把握されて、ストーリーだけでなく、その曲の背景まで感じ取って、考えてつかんでしまう・・・そしてそれは、日本語だけでない、英語だけでない、ラテン語までも。詞よりメロディが先に入ってくるタイプの僕としては、驚き以外の何ものでもありません。敬服しています。
そうですね。言われてみると、そう思います。そして、当時の日本の曲には、しっかりとした"和製"という色がありました。それらは、特に西洋から入ってきた音楽と上手いこと融合して、それでも"和製"の音楽を留めていたように思います。
最近の音楽の教科書がどうなのか、娘の教科書を開いてもいないのですが、最近のいい曲の走りと言いますか、それは「翼を下さい」だったように思います。
これはフォークソング(といっていいのかな? 正しくはフォークソングを歌う歌手が作った曲・・・ですかね)です。そしてSMAP系の一連の歌に続いている。それはそれでいいと思うのですが、一方で秤にかけて、昔のこうした唱歌が歌われなくなる、教わらなくなるというのは、寂しい気持ちになります。
はい。ちょっと軍事色がないわけでもないですが、というか、戦勝後の喜びの歌という感じがしないでもないですが、いずれにしても若者の歌です。
シューベルトの菩提樹ですね。
原曲は、歌曲集「冬の旅」に入っている静寂な曲です。昨秋、カノラホールでペーター・シュライヤーの歌う菩提樹を聴きましたよね。あちらの方は、しんみりとした感じがしますし、短調に転調しますので、曲の深さが出ています。一方、Papalinが男声合唱で歌っている方の編曲は、割りとアゴーギクの効いた、青春の歌らしい編曲になっています。
実は困ることがありまして、こういう文語で書かれた歌詞なのですが、漢字でなくすべて平仮名で書かれていること。意味をきちんと考えないといけない、それも文語で。それが大変なんですよ。
みきにはえりぬ > 幹に生えりぬ ×
みきにはえりぬ > 幹には彫りぬ ○
こよいとしとも > 今宵としとも ×
こよいとしとも > 来よ愛し友 ○
ほらね?
野ばら・・・あの棘の凄まじい、見るからに強そうな薔薇。手をかけなくても全然平気な薔薇だから、野ばらですね。園芸用の薔薇たちも、ぬくぬくしてないで、少しは野ばらを見習うべきです。(笑)
この「野ばら」と「菩提樹」、こういう皆さんがよくご存知の曲を歌うのは大変なのです。しかも、男声だけで歌うわけなので、旋律になるトップテナーの音の高さと来たら、オペラのテノールのアリア級です。歌い手にとっては、曲の感じとは似ても似つかない、苦労があるのですね。(笑)
こよいとしとも > 今宵としとも ×
Ppalinさん、笑ってしまいました!
「幹には彫りぬ」、これはその通りの意味、解釈で聞き、また歌っておりましたからよしとしても、
「来よ、愛し友」だったんですね!「今宵としとも」だと 信じて疑わないままで 何十年も来てしまいました! 「こよい、としとも」「こよ、いとしとも」句読点一つの位置で全然違う意味になってしまったのですね。まだありそうです。これと同じような勘違い!
思い出したら、また書きましょう。
すごく意外です。aostaさんともあろう人が、そんなこともあるのですね。ちょっとホッとしたりなんかして、あはは。
僕は、最近になってやっと歌詞に気を遣うようになりました。それまでは音符に乗っかっている音くらいの意識しかありませんでした。そうして考えてみると、知らず知らずのうちに覚えている唱歌なんかでも、意味のわからない歌って意外とあるものです。
この2つの例は、僕が両方とも間違っていた例でした。なので、僕もあははです。
えぇっ!そんなはずは・・・と本気でもう一度聴き直してしまいました。
そんなはず、ありませんよねえ。
向く犬...ですよ。男声合唱の指揮者にそう教わりました。婆やのお家へ行くと、家の前に犬がつながれていて、私(主人公)が行くと、こちらを振り向いた、向く犬・・・これホント!
はじめまして。そしてようこそ!
大好きな銘柄のHNです。
「婆やのお家」・・・いい曲ですよね。日本の合唱曲も捨てたもんじゃありません。男声合唱というのも、変な色気がなくていいです。
そちらにも、これから伺ってみます。
(^(=・T・=)^)
コールJUNブログの2007年2月3日記事の最後の方に、「ここ」という文字がありますので、これをクリックしていただくと、音源を入れたホームページが出ます。この中で、JUN akapella070203の文字をクリックしていただけると、音が出ます。というか、ダウンロードできます。下記ホームページです。
http://www.asahi-net.or.jp/~qy8n-mhr/onsei.html
千葉県流山市合唱連盟主催のアカペラ・アンサンブル交歓会(2/3開催)という催しに出たとき歌ったものです。
あのー、それと柏市民コンサートコンサートのモツレク、参考にしていただいております。厚かましく、モツレクの練習に参加して…。本当にバカでしたが…。やってみて分かりました。でも、コンフタティス大いに参考になりました。
kilimanjarocafeさん、こんばんは。
はい、聴かせて戴きました。
こうして聴いてみますと、自由の歌って、歌う方は全然自由じゃなくて、大変な歌なんだなって、再認識しました。緊張から開放されたせいか、二番の方がいいハーモニーですし、アンサンブルも揃っているように思いました。巨人の星も楽しそうでいいですね! ブラボーの歓声も上がって、素晴らしいです!
モーツァルトのレクイエム、頑張って下さい。
素晴らしい作品ですものね。