◆IL DIVO◆ 黒人霊歌 Nigro Spiritual

Nigro Spiritual
URL : http://papalin.yas.mu/W303/
◇公開日: 2006年04月02日
◇連続演奏時間: 14分8秒
◆録音日: 1997年5月5日 (36歳)
◆上記の英語の曲目名をクリック
すると、Papalinの音楽サイトに
直行できます。
1997年に、高校時代の恩師(物理の!)の指揮による、男声合唱団が発足しました。恩師が若い頃に、岡谷にある2つの男子高校で教鞭を取っていたのですが、そこで男声合唱を始められました。その当時の生徒達(といっても殆どの方は50代)を集めて、記念演奏会を開こうということになったのですね。僕はその恩師には合唱を指導されたことはないのですが、たまたま高校時代に、リコーダー・アンサンブルのクラブの顧問をされていました。名前だけでしたが。(笑) そんな関係もあり、トップ・テナーの応援を頼まれ、嫌とは言えず、参加することになりました。
私は当時、ある混声合唱団に所属していましたが、この男声合唱団では、普段出来なかった暗譜で歌ってみようと決意したんですね。ですので、自分の暗譜用にテープを作成しました。それがこれです。こんな練習用の録音を聴かされて、皆さんはいい迷惑ですよね。すみません。
歌っているのは、みんなPapalinです。 別称 "ムトウテツヤズ" とも言います、架空の仮想的な実在し得ない男声合唱団です。
演奏・録音・編集は、1997年5月5日 長野県茅野市の「武藤音楽ホール」にて。
【曲目・演奏について】 男声合唱、いわゆるグリークラブで人気があった(らしい)、黒人霊歌です。英語でありながら、黒人の発音する英語で歌う、一風変わった歌です。ベースに流れるのは、白人の奴隷として働く黒人達にも、神様は存在し、自分達をお守してくださる...そう信じて辛さに耐えしのんで歌う歌です。まさにSpiritual・・・魂の歌です。歌詞には、あからさまではないのですが、そうした辛さが滲み出ています。
全5曲を歌いましたが、最後に一曲、アンコールとでも申しましょうか、どこにも入れられない作品なので、ここに入れさせてもらいました。シューベルトの「ドイツ・ミサ曲」の中の一曲で、オリジナルは管楽伴奏の混声合唱の曲なのですが、その美しさをより引き立てる無伴奏男声合唱に編曲されたものを歌っています。合わせてお聴き下さい。
みなさまのご感想を、コメント欄に是非書いてください。
【写真】 1996年 Sweet Ten でGUAMを訪れた時の、ご機嫌なPapalin。
![]() 多重唱(合唱) |
この記事へのコメント
やはり、この曲を創った、あるいは歌ってきたひとたちに対して、大変失礼な「行為」だったかな、と。
辛い魂を鎮める為の「霊歌」
まさに「Spilitual」ですよね。
Papalinの声が、とても崇高です。
「ムトウテツヤーズ」は僕の最も好きな
コーラスグループのひとつです。
(「のひとつ」って書くとPapalin、不満?笑)
ひとは辛い事に出遭うと誰か(何か)にすがりつきたくなります。人間って基本的に精神が弱い生き物なんですよね。
僕の場合も、それは「音楽」だったり、親友の「言葉」だったりします。
最近は、ここPapalinのブログの皆さんのコメントだったりします。
Papalinは「井戸端会議」などと称していますが、ブログ記事の内容と全く異なる場合でも、Papalinは、それを寛大な気持ちで許してくれるのです。
本当に心から感謝します。
Papalin、ありがとう。
よく覚えていますね。(笑)
そうですよ、魂から生まれた歌、霊歌です。僕の歌が崇高かどうかは別として、黒人(今は何て言ったら適切かな...)があの独特のちょっとくぐもった声で歌うと迫力があります。歌詞は本当に読むのも辛いですね。
井戸端会議ですよ。特に先日のマリア・カラスのブログでの井戸端は凄かった。僕は僕なりに、出だしの一行が、みなさんの関心を引き寄せたと自画自賛しています。僕のブログは、生活とか、生きていくのに、何かの足しになればいいんです。直接的なコメントでなくても、全然構わない、むしろ歓迎なのです。そういえば、lavieさんと、おとのしずくさんが近頃見えませんね。寂しいです。
追記:一番の寂しがり屋はここにいます。
>一番の寂しがり屋はここにいます。
僕も一緒です。(って書くと、なんだか「電車男」みたいになってきた!?)
すっごく眠いのに、眠れない。
こんな日がたまにあります。
明日は「新年度」一日目なのに・・・。
早く寝なきゃ。Papalinもね!
ではでは、おやすみなさい♪
そうでした。はつらつと出勤したいものです。それでは、お約束を53分オーバーしましたが、本日はこれにて店じまいとしましょう。おやすみなさい。
悲しい主婦の習性です(笑い)
おきると、これまたPCを開くのが習い。
PapalinさんのNigro Spiritual 、大好きといったら歌の内容からして不適切かも知れませんが、やっぱり大好きです。
とても深い歌、魂の井戸からくみ上げる悲しみ、天上への憧れ、救いを求める心を感じさせてくれる歌だと思います。
人間ではなく「奴隷」という商品として、遥かふるさとを離れた見知らぬ国に売られていった人々。
最底辺の「奴隷」という生活の中で彼らを救ったのが白人から教えられたキリスト教であったという事実には大きな皮肉を感じます。
「隣人愛を説くクリスチャン」が奴隷制度によって富み栄え、こともあろうにその黒人に向かって「神の愛」を語る・・・
こんな「不遜」が許されるでしょうか。
今でもな、高みから「アメリカ流の教えを説く」姿勢に変わりはありませんが。
“Nigro Spiritual ”単純な繰り返しの多い歌です。
だからこそ、ただひたすらな祈りの歌です。
動物以下の「この世での人生」から肉体は逃れることができない。けれども、その魂は「父なる神」を求め精神の高みに放たれる。
歴史を知れば知るほど彼らが歌にこめた悲しみ、苦しみの深さを思います。そしてその悲しみの歌が、何故にこれほど明るく美しいく歌われるのか胸を突かれる思いです。
やがてジャズの影響を受けてうまれたGOSPELも、もとの意味は“God Spell”。
このspellという単語には私たちがよく知っている「綴り」という意味のほかに「言葉」という意味もあるのです。
God Spellとはつまり「神の言葉」です。
最近流行りの「ゴスペル」はまったく違うもの、形だけ借りた偽者です。
アフリカから連れて来られた労働力、その彼らに、救いの道として祈りを教える。なんとも皮肉ですね。でも、彼らが白人と同じ教会で祈れるはずがありません。毎日の過酷な苦役を終えて、夜中に、寝る時間を削って仲間と会っていた、祈っていた、かれらの精神的な教会で...。
ジャズそのものが、ルーツは黒人の音楽でした。それをいとも簡単に自分たちの音楽にしてしまう・・・こういう節操のないところは、あまりいただけませんね。自分たちのものにするなら、先駆者(黒人)を尊敬すべきですよね。
Papalinさんの声は、ほんと魅力的ですよね~
お世辞抜きに。
曲自体は知りませんが、聴いててうっとりという感じです。
もちろん、努力もすごくされていると思いますが、でも努力だけではどうにもならないでしょ?
美声を持って生まれていらっしゃったこと、感謝しなくちゃね?(笑)
正直言ってうらやましいわ~~
美声ですか~? 特に低音に迫力がなくてコンプレックスなんですけど。でも、そう言って頂いたので、感謝するっていうもんですかね。(^^ゞ
Papalinさん、作やはブルックナーで盛り上がってしまいましたが順序として、コメントはまずはこちらからですよね。ここのところ立て続けにIL DIVOがアップされるので嬉しいやら、空恐ろしいやら・・・
Load, I want to be a Christianとひたすら繰り返されるこの曲。美しくまた物哀しい祈りの歌ですね。
いったいどういう状況でこの歌は歌われていたのでしょうか?日曜日に教会でという事は100パーセントあり得ません。今現在あってなお「白人の教会」と「黒人教会」の区別が人々の意識の中にある国です。
夜が明ける前から、そして日没後真っ暗になるまで働きどうし働かされた奴隷たちが、夜集まって賛美の歌を歌うことが許されていたとも思えません。おそらく日曜日・安息日という一時の平安さえもあたえられていなかったのではないのでしょうか。
ぎらぎらと容赦のない太陽の光。汗は拭いても吹いても滝のように流れ落ち、目に入る。それをぬぐうことも許されず、手はひたすら機械にように綿を摘み続ける。彼らの労働の成果である綿花の山。これを運ぶのも並大抵のことではなかったでしょう。膨大な量の綿花。つんでもつんでも、運んでも運んでもその仕事は終わることがないかのようです。まるで「シジフォスの神話」の世界・・
疲れも痛みも極限に達した中で、祈るように、つぶやくように歌われる歌が聞こえてくるようなきがします。最初は一人が、それにまた一人が声を合わせていく、最後にはその畑で働く奴隷たち全員の歌となって低くうめくように流れていたのではないかしら。
それはまさしく祈りであり、魂の、肉体の呻きであったに違いありません。
これは私の勝手な想像に過ぎないのですが、それぞれのパートが美しく歌われる現在の現在のNigro Spiritual のような「形」ではなかったのではないかと思えて仕方ないのです。
私の記憶で申し訳ないのですが...
その昔はるかアフリカ大陸から、人間としてではなくって、あたかも船荷のごとくぎっしり詰まれて、黒人たちがアメリカへ連れてこられました。同じ人間としての扱いを受けなかった彼らは、いたく人間としての誇りを傷つけられ、労働力として閉じ込められた彼らが、それでもかろうじて失わずにいた魂の叫びを、深い信仰に救済を求めて詩に高めたのが黒人霊歌。
というと格好良すぎますね。恐らく自然に生まれた歌詞、自然に生まれたメロディなのでしょう。楽譜なんてものは存在しなかったはずです。奴隷として生きる彼らが、自分達の主と同じように持てるもの、それは尊厳なる魂であり、主はそれをわかって下さっておいでである...そういう祈りが根底に流れているのだと思います。
答えになっていませんね。奴隷解放から時が経つこと、なだなんとわずかに一世紀半。その歌は今を生きる私達の心を深く揺さぶり、人間というものへの真摯な問いを胸の内に抱かざるを得ませんね。
ご名答です。こんなに美しいハーモニーがつけられていたはずがありません。みんな単旋律でしょう。
「時には母のない子のように」という黒人霊歌の名曲があります。自分達のおかれた状況、つまり遠く家(アフリカの地)を離れていると、時には母のない子のような気がする...胸をしめつけられるような悲しい歌詞。でもその歌が力強く歌われると、美しいスピリチュアルの音楽と化します。現代私達が聴くこれらの曲、編曲されて美しいハーモニーとなって耳に届く曲、それはまちがいなく白人による編曲でしょう。
Sometime I feel like a motherless child
A long way from home
きちんと説明しておくべきですね。
1619年に、20人の黒人がアフリカからオランダの船によって運ばれてきて、アメリカのヴァージニアの農園に売られたことが発端です。アメリカに渡った白人の開拓に伴う人的資源の補給策として、以来続々と多くの黒人がアメリカに運ばれました。
白人の奴隷となった彼らは、逃亡を防ぐ鉄の鎖につながれ、主として南部の各地にさながら牛馬の如く酷使され続けてきたのですね。彼らが幸福や自由どころか、人間としての生きる希望までも失ってしまったことは、極めて必然的なことでした。
やがてこうした結果に幾らかの良心の呵責を感じた白人たちが、奴隷たちに Good Book(聖書)、つまり宗教を与え、完全に精神的な幸福という希望を教えました。読書ということができなかった黒人達は、牧師や物知りの長老が聞かせる聖句や聖書中の物語にメロディをつけ、歌うことによって信仰を深めて行きました。こうして生まれたのが、 Nigro Spiritual です。
黒人たちは、スピリチュアルを歌うことによって、敬虔な、そして時には熱狂的な宗教的感激とか、法悦を感じて、肉体的にも精神的にも現世での苦悩を逃れて行ったのでしょう。スピリチュアルは文字通り魂の叫びであって、深い心からの感動の裏づけを持つ歌・・・ということのようです。
以降、これらの歌に目をつけ、商業的に広めていったのも白人です。
生まれたときの肌の色が違うだけで、どうしてこうも違うのでしょう。いたたまれないです。
アメリカは黒人を単なる安価な労働力とみなして酷使しましたが、その開拓の黎明期にあっては「先住者」であるネイティヴ・アメリカンの大量虐殺が平然と行われていました。
アメリカ人が「野蛮人」と蔑視し、虐殺の挙句彼らの先祖伝来の地を奪いって、生き残った老人や女子供を居留地に押し込めて平然としていた歴史があります。「奴隷開放」の大儀を掲げて戦われた南北戦争、実際は南北の経済格差が生んだ内戦でしたね。
戦争が終わったあと、ならず者のような軍人崩れや「正義の味方」騎兵隊がお墨付きを得て行った「西部開拓史」。文明進歩しても文化は後退するときがある、とは最近読んだ本「国家の品格」の中の言葉です。美術館に飾られた数々のタピストリー。その手仕事の確かさには目を見張るものがあります。洗練された色彩感覚。それぞれのモチーフにこめられた願いや物語。自然を畏敬し自然との美しい共生関係を守って生きていたネイティヴ・アメリカン。
どちらが「野蛮人」かは自明の理です。
昨日、東京から来客があり、一緒に行った「ナバホ展」そしてこの題名にある「幌馬車」から前記の感想となったのですが、私にはこの「幌馬車」という日本語訳があまり納得できないのです。
人間として生きる尊厳さえ奪われた人生の中で、奴隷たちが、帰ることを夢見待ち望んでいたのは「この世」のふるさとではありません。それは、魂のふるさと、信じるものすべてに約束された「神の国」です。
ほこりを巻き上げながら、隊列を組んで旅をした幌馬車が目指したのは「神の国」ではなくまだ見ぬ新天地西部でした。
確かに、chariotには幌馬車という意味もあるのですがもともとは軽量の二輪馬車のこと。
ギリシャ神話の中で太陽神アポロンが駆る太陽の車をイメージしたほうが当たっているような気がします。
天使たちが、また先に逝ったともたちが迎えてくれる天の御国に帰るためには、天翔る二輪車こそが相応しいと私には思えるのです。
まぁ何て言うか、その、過去のご先祖様が歩いてきた道を、今現在の我々が、きちんと受け止めることは大事なことだと思うのですが、過去はいつかきちんと許さないといけません。それが簡単に出来ないのが人間の弱いところ。アメリカ然り、朝鮮然り、日本も然り、中近東然り...。歴史を前に進めるためには、"許すこと"がとても大事だと思うのです。そして繰り返さないこと、当たり前ですよね。
私の持っている楽譜の訳では、Chariotを幌馬車としていますが、CDのライナーノーツを見たら、"戦車"と訳されていました。aostaさんの仰る通りです。
戦車が越えるのはヨルダン川。この川は、現世とあの世との境にある川。来世の幸せを夢見る黒人の切ない感情を歌った歌...でしょうか。
そうです。映画「ベン・ハー」に出てきた、ベン・ハーと宿敵メッサラとの戦車での戦いのシーンに使われていた二輪車、あれが私のchariotのイメージにもっとも近いかもしれませんね(笑)
この曲はバス、テナー二人ずつの四重唱なのですか?
確証のないまま聞いてしまうという大胆なaostaです。まちがえていましたらごめんなさい。どこかに書いてあるかしらと探してみたのですがどこにもその記載はありませんでした。
一番有名な「黒人霊歌」のひとつなのでしょう。いろんなアレンジがされて多くの人が歌い、愛され、そもそもが「黒人霊歌」であったことも忘れられている曲。それはそれでいいのですが、そもそもは色濃く奴隷の想いが反映されている音楽です。Papalinさんの艶のある声が、軽快なリズムと相まって独特の雰囲気ですね。
奴隷としての生活に甘んじていたイスラエルの民を、エジプトから、ふるさと、父祖の地へと連れ出し導いたのが「十戒」で有名なモーセです。何年にもわたる長い過酷な旅の途中で彼は志を果たせぬまま帰らぬ人となります。
そのモーセの意志を引き継いだジョシュアは、民を率い、ついに「約束の地」イスラエルに帰りついたのでした。ふるさとを失い、奴隷として牛馬のごとき扱いを受けていた黒人奴隷にとって、この開放の物語こそ自分たちの究極の夢そのものであったのでしょう。
夢の中で開放を願い、いつか自分たちのジョシュアが現れることを願って歌われたこの歌には、戦勝の喜びに重ね合わされている彼らの思いの強さを感じます。
そして今週の木曜日は「最後の晩餐」の日。
そして金曜日13日は、十字架刑によってキリストが亡くなった「聖金曜日」
教会では「静かな一週間」と呼ばれ、キリストの受難に思いを馳せるときです。黒人奴隷にとってもネイティヴ・アメリカンにとっても受難のときがありました。赦す事の大切さについてPapalinさんはいっておられましたね。お言葉の通りです。しかしながらゆるすこと、ゆるされることは、なかったこととして忘れ去られるものであってはならないと思います。
その痛み、苦しみ、悲しみをわすれないこと、ともに担っていくこと・・・
「受難節」の棕櫚の日曜日に思いを新たにしたことです。
ぼくも、ベン・ハーを思い出していました。
でも、あれでswingってのも、ちょっと雰囲気合わないよなぁ。あの2輪の戦車は、いやでも揺れそうですものね。
仰るとおりの曲です。戦勝の喜びと同じように、いつかはあの紀元前のお話と同じように、自分達も解放されることを祈っていたのでしょう。
曲ですが、楽譜が間違っていて、間違ったまま歌ってしまったので、ちょっと修正しています。(デジタルはこういうことも楽に出来ます。所謂切った貼ったですからね。昔は本当にテープを切ってつなげたみたいですよ) なので、貼ったところがちょっと違和感があると思います、済みません。
Papalinには字も読めませんが、大切な意味のある日曜日だったのですね。そしてこれからの一週間がまた大切な週になるのですね。思いを馳せて下さい。私が言うまでもありませんが...。
これは、エルサレムに入場したキリストを歓喜の中でむかえた群集が、キリストの通る道に自分の衣服や、折り取った棕櫚の枝を敷き詰めて迎えたという聖書の記述によるものです。当時、ローマ帝国の支配下にあったユダヤの人々は、この他国の支配から自分たちを解放してくれる「ユダヤの王」として、キリストをホサナの歓呼を持って迎えました。けれども、彼の言う「王国」が、この世のものではない「神の王国」であることに失望した群集は、ローマ総督ピラトの下に裁かれようとしているキリストに死刑の判決を願うのです。時はまさに「ベン・ハー」の時代。この映画に中でも、キリストの十字架の道行きのシーンが出てきました。正面からのカットは一枚もない、いつも後姿のキリストであったにもかかわらず、もっと印象的で、鮮明なイメージとして記憶されています。
一生懸命歌詞を聞き取ろうと耳を澄ませてはみるのですが、なかなか思うようには聞き取れません・・・
悩みの多いこの世の人生を終えて、神とともに生きる日の来ることを願う歌、でしょうか。
懐かしい母や兄弟との天国での再会を待ち望む歌。
現実の世界では、家族が家族として一緒に暮らすことさえ許されない奴隷としての生活。彼らを支えていたのはまだ見ぬ天国での、祝福と平安に満ちた自由な生活。神の御前で、人としての誇りを回復し、こうべを高く掲げて神とともに生きることへの熱い祈りと希望の歌、私にはそんな風に聞こえて来ました。
Papalinでも知っています。なぜならこの人、ミサ曲の通常文に登場しますよね。ポンツィオ・ピラート。
Papalinが十戒を見たのは多分小学生の頃。それも白黒テレビで。キリストが自分が処刑される十字架を引きずって、小高い丘を登っていくシーンだけ、よーく覚えています。何故か不思議と覚えています。
aostaさんの理解で合っています。よく聞き取れましたね。この黒人霊歌は、英語でありながら英語でない、発音は当時の黒人の発音で歌われるのが好ましいとされています。これは、日本人が the, think などの発音が正確に出来ないのと同じです。The は Da と書かれていますし、with は wid です。
天国では、お母さんに会いたい、そしてキリストに会いたい...そういう願いが叫ばれます。ですので、Papalinも叫んでいます。
誰も知らない 私の悲しみ 。けれどイエス様は知っているてくださる。 グローリー ハレルヤ! ある時は元気に 時には落ち込む・・・主は、それも皆ご存知でいらっしゃる。
なんて美しい歌でしょう。Papalinさんの声の魅力がもっとも発揮された曲の一つかも知れませんね。
緩やかに流れるようなメロディー。
そこで歌われているのは、神への信頼。賛美。遠くには、かすかな諦観・・・
この美しく悲しみに彩られた曲を、Papalinさんの声は、時に甘く優しく清らかに歌っていきます。
胸が痛くなる甘さ、優しさです。
心が清められるような素晴らしい歌ですね。
声自体が持つ魅力・・・これは私が歌手を愛するための必要条件かもしれません。マリア・カラスがその代表例でしょうね。どんなに歌が上手くても、声自体に魅力があるかないかで、それだけで、好きになるか、はたまたそういう感情は持たなくなるか、極論したらそうなのかもしれません。生まれ持ってきた声、それをさらに磨き上げた声、声は人の数だけ音色があります。
バリトンパート(低い方から2番目、高い方から3番目)に旋律がくる曲です。Papalinの声の質はテノールなので、この旋律はちょっと低目なのですが、それが逆に肩の力が抜けて歌えたのかもしれませんね。あぁ自分の演奏を講評するのは苦手です。(笑)
この曲も美しい曲です!
Papalinさんのテナー、この曲でも本当に素敵です。
ここまで、ずっとNigro Spiritual を聴いてきて、ここでこのシューベルトを聞くと、まったく違う色の風が吹いてきたような気がしました。
メロディー?ドイツ語の響き?シューベルトだから?何色の風であっても、深い信仰によって染められかぐわしく香る風であることに変わりはありません。
Nigro Spiritual そしてこのシューベルト、「静かな一週間」に相応しい音楽を心から楽しませていただきました。
そうですか、そういう意味のある一週間だったのですね。
実は僕、今度の日曜日に開かれる、八ヶ岳中央高原キリスト教会でのイースターのお祈りに、リコーダーを演奏させていただくことになりました。また急な話なのですが、牧師夫人が素晴らしい曲集をお持ちで、2人の意見が一致して、聖歌582番を演奏させて頂きます。練習は土曜日にばっちりして、恥ずかしくないように演奏したいと思います。偶然ですが、僕もこの曲を知っていたのですが、聖歌だとはついぞ知りませんでした。
シューベルトのこの曲は旋律の美しさはさもありなんですが、ハーモニーの美しさも特筆です。基本的なコード進行なのですが、十分盛り上がりのある形式をとっています。ドイツ語がピッタリのミサ曲です。
イースターはクリスマスにもまして大きなお祭りです。その素晴らしい日にPapalinさんのリコーダー演奏を聞くことがで来ることはなんて大きな喜びでしょう!
>聖歌だとはついぞ知りませんでした
聖歌、賛美歌とは知られずに歌われているもの、まだたくさんありますよ。「西洋音楽」が始めて日本に入ってきた明治時代、宣教師たちによって紹介された多くの賛美歌が、そのまま日本語の歌詞をつけられ歌われたためもあると思います。
そうですか。いや、僕にはちょっと意外だったですね。え、これ聖歌だったのって。メロディはもちろん知っていますので、情感を込めて演奏しますね。ほかにもあるという曲、また教えて下さい。