《本のレビュー》 『バッハ』 樋口隆一
どうも私には連載ものは向かないようで、編集さんの気持ちがわかります。
危うく月が変わっちゃうところでした。新潮文庫のカラー版 作曲家の生涯シリーズから、あの大バッハについて書かれた本です。写真が半分なので、割りと速く読めるのですが、見開き2ページで本文が書かれ、次の見開き2ページでは、写真の掲載と写真の解説(これが結構なボリュ-ム)があるので、本文のストーリーが度々中断される感じで、僕にはちょっと読み難かったかな。
と、愚痴を言ってはいけませんね。
バッハ、なぜ大バッハと呼ぶかというと、バッハさん(小川さん)の家系はみな音楽家なのですよ。バッハの4人の子供をはじめ、父も、親戚も。だから、それぞれのバッハさんが活躍した地名を冠して、例えばハンブルクのバッハ(佐世保の小川さん)とか、ロンドンのバッハ(大分の小川さん)とか呼んだのですね。そのバッハ一族(小川さん一族)の中で最も偉大な音楽家だったヨハン・セバスチャン・バッハのことを大バッハ(以下、バッハと表記)と呼びます。大Papalinではありません。
バッハについては、学生時代に全曲録音した無伴奏チェロ組曲のブログでも書いています。沢山書けそうですが、今日はバッハの作品や生きかたに隠された数字の秘密を、ほんの少しだけ書きましょう。
バッハの2大受難曲という大曲があります。一つは「ヨハネ受難曲」(1724年初演)そしてもう一つが「マタイ受難曲」(1729年初演?)です。これら2つの大曲が誕生する間には5年(あるいは3年)の歳月が流れています。しかし両曲の間には、隠されたつながり、実は密接なつながりがあるんです。
ヨハネ受難曲は、ト短調(♭♭)で始まり、しばらく♭のまま進みますが、ペテロの否認の場面から♯に変わり、第11曲のコラールでイ長調(♯♯♯)になります。
マタイ受難曲は、ホ短調(♯)で始まり、しばらく#系の調を推移しますが、最後の晩餐の場面で♭に傾き、第10曲のコラールで変イ長調(♭♭♭♭)になります。
この2つ、偶然であるはずがありません。バッハの緻密な計算に基づいているのです。ヨハネで♭2つから♯3つに変わるのも、マタイで♯1つから♭4つに変わるのも、逆回りの関係で同じように5度圏を5つ移動します。非常に数学的と言っていいのではないでしょうか。
それにしても、何という緻密な計算でしょう。もしかしたらこの2つの対照的な曲は、十字架を表しているのかもしれません。バッハは敬虔なプロテスタントでした。神との会話の手段の一つが音楽であり、その音楽を崇高で厳粛なものと考えていたのではないでしょうか。僕の勝手な推測ですけれど。
もう一つ、バッハのこだわりを紹介しましょう。
バッハは、ロレンツ・ミーツラーという人が設立した団体「音楽学術協会」への入会を勧められていました。ILDIVOにも出てきた音楽家、ヘンデルやテレマンといった人たちは既に会員になっていましたが、バッハは故意に入会を延ばして、14番目の会員として入会をしました。
14=B(2)+A(1)+C(3)+H(8)
そういえば、14という数字にこだわった方をもう一人存じ上げています。
このかたのファースト・アルバムも、意図的に14曲にされました。
【写真1】 作曲家の生涯シリーズ 『バッハ』 樋口隆一 著
【写真2】 最も美しい自筆譜と思うバッハの譜面(無伴奏Vnソナタ第1番)
危うく月が変わっちゃうところでした。新潮文庫のカラー版 作曲家の生涯シリーズから、あの大バッハについて書かれた本です。写真が半分なので、割りと速く読めるのですが、見開き2ページで本文が書かれ、次の見開き2ページでは、写真の掲載と写真の解説(これが結構なボリュ-ム)があるので、本文のストーリーが度々中断される感じで、僕にはちょっと読み難かったかな。
と、愚痴を言ってはいけませんね。
バッハ、なぜ大バッハと呼ぶかというと、バッハさん(小川さん)の家系はみな音楽家なのですよ。バッハの4人の子供をはじめ、父も、親戚も。だから、それぞれのバッハさんが活躍した地名を冠して、例えばハンブルクのバッハ(佐世保の小川さん)とか、ロンドンのバッハ(大分の小川さん)とか呼んだのですね。そのバッハ一族(小川さん一族)の中で最も偉大な音楽家だったヨハン・セバスチャン・バッハのことを大バッハ(以下、バッハと表記)と呼びます。大Papalinではありません。
バッハについては、学生時代に全曲録音した無伴奏チェロ組曲のブログでも書いています。沢山書けそうですが、今日はバッハの作品や生きかたに隠された数字の秘密を、ほんの少しだけ書きましょう。
バッハの2大受難曲という大曲があります。一つは「ヨハネ受難曲」(1724年初演)そしてもう一つが「マタイ受難曲」(1729年初演?)です。これら2つの大曲が誕生する間には5年(あるいは3年)の歳月が流れています。しかし両曲の間には、隠されたつながり、実は密接なつながりがあるんです。
ヨハネ受難曲は、ト短調(♭♭)で始まり、しばらく♭のまま進みますが、ペテロの否認の場面から♯に変わり、第11曲のコラールでイ長調(♯♯♯)になります。
マタイ受難曲は、ホ短調(♯)で始まり、しばらく#系の調を推移しますが、最後の晩餐の場面で♭に傾き、第10曲のコラールで変イ長調(♭♭♭♭)になります。
この2つ、偶然であるはずがありません。バッハの緻密な計算に基づいているのです。ヨハネで♭2つから♯3つに変わるのも、マタイで♯1つから♭4つに変わるのも、逆回りの関係で同じように5度圏を5つ移動します。非常に数学的と言っていいのではないでしょうか。
それにしても、何という緻密な計算でしょう。もしかしたらこの2つの対照的な曲は、十字架を表しているのかもしれません。バッハは敬虔なプロテスタントでした。神との会話の手段の一つが音楽であり、その音楽を崇高で厳粛なものと考えていたのではないでしょうか。僕の勝手な推測ですけれど。
もう一つ、バッハのこだわりを紹介しましょう。
バッハは、ロレンツ・ミーツラーという人が設立した団体「音楽学術協会」への入会を勧められていました。ILDIVOにも出てきた音楽家、ヘンデルやテレマンといった人たちは既に会員になっていましたが、バッハは故意に入会を延ばして、14番目の会員として入会をしました。
14=B(2)+A(1)+C(3)+H(8)
そういえば、14という数字にこだわった方をもう一人存じ上げています。
このかたのファースト・アルバムも、意図的に14曲にされました。
【写真1】 作曲家の生涯シリーズ 『バッハ』 樋口隆一 著
【写真2】 最も美しい自筆譜と思うバッハの譜面(無伴奏Vnソナタ第1番)
この記事へのコメント
今月はバッハなのですね!
「バッハは"小川”(ドイツ語でバッハ)ではなく大海"メール”である。」といったのはベートーヴェンでしたでしょうか。
その意味するところは、言うまでもなくバッハの大きさ偉大さに対する、ベートーヴェンの敬愛の念に他ならないと思います。
バッハ以前にも、素晴らしい音楽、偉大な作曲家はあまた存在していることについて依存のあろうはずもないのですが、やはり『バッハは、別格』なのですね。
バッハの自筆楽譜の美しさ。
バッハの楽譜は、確かに絵画的な、造形的な美しさをも喚起させます。
そもそもろくに楽譜も読めない私ですから「音楽的に」楽譜を読むことなど、はなから不可能。「絵画的に」「視覚的に」楽譜を見ることしかできません。
視覚的に音を感じる、というか「音を見る」というか聴覚とは別の器官にまで、音楽を感じさせる楽譜だと思います。
「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」。
Papalinさんの説明で、この二つの大曲の間に綿密な計算があったことを始めて知りました。
私が知っていたことと言えば、“Herzliebster Jesu”心より愛するイエスよ、と始まるあの受難節のコラールが共通しているということくらいでしょうか。
「マタイ」に比べ、何故か「ヨハネ」はあまり聴く機会がありません。
もとになっている福音書から言えば、個人的には「ヨハネによる福音書」のほうが好きなのですが、曲としての構成は「マタイ」のほうが入りやすく、CDも「マタイ」しか持っておりません。
おはようございます。
昨夜は家族交わした不可侵条約:12時には寝る・・・を全うしたため、今朝のお返事となりましたこと、お許し下さい。
はい、バッハは別格です。音楽の父、大バッハです。ところが、これについても一ブログかけますが、テレマンさんやヘンデルさんの方がバッハさんよりも当時は人気があったということ、そして、バッハの音楽を、バッハを偉大な音楽家、偉大な芸術家として、ここに書いた受難曲などを復興させたのは、かのメンデルスゾーンだったこと、その後、バッハの一大研究が、2~3回に渡って実施されていること、案外知らないと思います。
今日暮らす我々が大バッハの素晴らしい曲を聴くことができるのは、メンデルスゾーンさんをはじめとする後の人々の功績によるところが大なのですね。
まだ頭の回転が未熟ですが、BACHの書く楽譜の美しさ、それは音楽を音楽たらしめているものであると思います。音楽=神への捧げ物、それは美しくあるべき、ということのように僕は思います。音楽家たちはこぞって、原譜のコピーを欲しがります。それは、印刷された、校正された楽譜とは異なる、作曲家の意志(筆の力の入り方や、フレージングのヒントや、音符の旗の続き具合、美しさの度合い)などを求めるのでしょうね。僕の好きな無伴奏チェロ組曲は、BACHの自筆楽譜が今もって見つからないのが残念です。
はい、そのようですね。何とも用意周到で、シンメトリーの美なのでしょう。これは驚きの発見でしたね。
当時のバッハさん、毎週4つの教会で演奏する作品を用意し続けた、それだけでなく、先々4年分も作曲してしまったという偉業を成し遂げています。月・火で作曲をし、譜面を書き、水・木で家族や学校での教え子を動員して、パート譜を作り、金・土で練習、そして日曜日の礼拝に披露する・・・毎週日曜日に初演を続けるようなものです。バッハさんの場合、いいものは他へ転用したり、楽器の編成を買えて編曲したりしています。それにしても4年分(300曲近いカンタータ、コラール・・・現在はまだ200曲強しか見つかっていない)とは恐れ入りました。毎日苦労することなくブログが書ける僕でも、4年先までは書けません。(笑)
長男フリーデマンに書かれた「平均律クラヴィーア曲集」。また二度目の妻であり、バッハの最期を看取ったアンナ・マグダレーナのためには、その名も「アンナマグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」。
王侯貴族や教会のためばかりでなく、愛する家族のために、それぞれの器量に応じた音楽を作曲し、家族での小さな演奏会を、心から楽しみ慈しんだバッハ。
そこには天才にありがちな破綻はありません。
暖かくな笑いに満ちた家庭。
共通する音楽への尽きざる興味と愛情。
そこには、緻密な計算と恐るべき直感によって信じられないような深みに達した作品を残した「偉大なる音楽家バッハ」とは違う、円満で親和的なエネルギーに満ちた家庭人バッハがいたのですね。
その名の通りどちらかといえば平易な曲が集められた小さな曲集です。
でも私は、このひとつひとつの作品に込められたバッハの深く暖かな愛情を感じます。
終生この楽譜を手放すことがなかったと言われるバッハの妻アンナ・マグダレーナ。
彼女もまた夫バッハを心から愛し、大勢の子供を育て、おそらくはバッハが理想とした家庭を築き、守った女性であったのだろうと思います。
私が好きな曲はト短調のメヌエット。
そしてアリア。
そこには余分なものを一切そぎ落とした原点のようなきららかさがあるように思われます。
バッハの家庭が血の通う温かな家庭であったことは、様々なエピソードから推し量れます。バッハが家族を愛しただけでなく、家族もまた彼を愛していたのですね。本文に書いた、毎週のカンタータ初演に当たっては、家族はパート譜作成の役割を果たしていますし、妻のアンナ・マグダレーナ・バッハは、写譜をせっせせっせと行なったようです。バッハのあの美しい自筆楽譜の筆跡を真似して書いたというのですから素晴らしい。ただ、結構写し間違いもあったようです。でも、チェロ組曲は自筆楽譜が見つかっておらず、彼女が写譜した楽譜は一つの重要な手がかりであり、それがあったから今日のチェロの独奏楽器としての地位が築かれたといっても過言ではないように思います。
素晴らしいものに共通すること、それはシンプルであること。言い過ぎかもしれませんが、よくそう思うことがあります。余分なものはいらない、ないと足りないものだけ含める。
僕の撮る写真も基本的にそうありたいと思っているのですけどね。
>僕の撮る写真も基本的にそうありたい・・・
写真についての知識は皆無なので、たいしたことは言えませんが、Papalinさんのお写真、下手すればそこらへんの雑誌に載っているプロの写真家の作品より素晴らしいと思うことがよくありますよ。
写真を拝見していていつも感じることは対象への愛情と、同じ花を撮っても「同じ」と感じさせない、そのたびごとの新しい出会いと発見です。
光に透ける花びら、雨にぬれて俯く花、名残の花の一瞬の輝き・・・
すべて、花へ愛情と暖かな観察を感じさせる写真ばかりです。きっと、こうした写真を撮られるときのPapalinさんは優しく微笑んでいらっしゃるに違いないと勝手に決め込んでいます。
「なんて綺麗なんだろう!」というPapalinさんのときめきが伝わってきます。
そして、花たちもときめき、何かを語りかけてくるようです。
おはようございます。今日はこれからご一緒にハイキングですね。何と健康的な響なのでしょうか。(笑) 少々寝不足ではありますが。
写真、花の写真。お花たちが僕を呼ぶんです。単発で咲く水仙だとかチューリップはいいのですが、例えば、梅や桜や桃やマグノリアは、一本の木に沢山の花をつけるじゃないですか。しかも木自体が何本も何十本も何百本もあったりして...。そういうときに、木の花が僕を呼ぶんです。「あたしを撮って。あたしはここよ。」となぜか女性形。僕はその声につられて、ベスト・ポジションに導かれ、これまた最初から決っていたかのように、アングルを決めて撮っているだけです。身に余る賛辞を頂いて、光栄です。