《本のレビュー》 『モーツァルト』 田辺秀樹
この大作曲家を、どう書いたらいいだろう...。
と、ここまで書いて風呂に入って考えたら、僕は勘違いをしていることに気がつきました。このブログは音楽家としての「モーツァルト」について書くのではなくて---それだったら、【クラシック音楽-nnn】のシリーズで書くべき---書籍の「モーツァルト」について、本のレビューをするのでした。ということで始めます。
著者いわく「ひとたびモーツァルトの音楽の美しさにとりつかれると、二度とその魅力からのがれることはできない。限りないやさしさと慰めに満ちたモーツァルトの音楽こそは、神が人間に与えた贈り物である。」
著者の言う通りかもしれない。ところが一方で、モーツァルトとて、神ではなく人間である。神がモーツァルトをして与えたのではなく、人間モーツァルトが人々を魅了したのであると思うのです。
本は、バッハのそれと同じように、ページの半分は写真と写真の解説であり、のこり半分で、稀有の天才モーツァルトの35年の生涯を辿って行きます。随所に、12人の音楽関係者によるモーツァルトへのオマージュも含まれています。
時代を追って書くとすると、幼少のころの神童モーツァルトを誕生させたのは、他でもない、お父さんのレオポルトです。彼はバイオリンの名手でもあり、優れた教則本を残しているようです。何人かの子供のうち、生きながらえた2人の子、姉ナンネルと、ヴォルフガングに、小さい頃から音楽の手ほどきをしますが、いち早く、ヴォルフガング(以下モーツァルト)に類稀な才能があることを見抜いたのは父レオポルトでした。
レオポルトが素晴らしかったのは、モーツァルトに、当代一流の音楽や劇などの芸術を見せ、また、そのために、ヨーロッパ各都市を旅していることです。モーツァルトが後に母親宛の手紙に書いていますが、いい音楽を生み出すためには、優れた音楽と、優れた音楽家にふれるために旅が重要であると。そうです、神童を"天才に育て上げた"のは、ほかでもない父レオポルトの功績でした。
これは私達の生活でも当てはまるような気がします。インターネットが盛んで、世の中の情報が即座に入手できる時代ですが、そこに行ってみないとわからないこと、感じないこと、沢山ありますよね。旅は大事でしょう。私達現代人の仕事におけるローテーションなんかも同じことが言えるかもしれませんね。
こうしてモーツァルトは、旅の行き先々で、チェンバロをはじめとする楽器の演奏、更には既に5歳の頃から始まっていた作曲に対して、絶賛を浴びます。こんなエピソードもあります。
モーツァルトが演奏会の途中で、当時のウィーンの有名作曲家ヴァーゲンザイルに傍聴と譜めくりを頼んだというものです。6歳のモーツァルトに「あの人は音楽のわかる人ですから」と言われた氏はきっと苦笑したことでしょう。
しかし、成人したモーツァルトは、思いのほか不遇な扱いを受けます。当時は、宮廷や大きな教会の専属音楽家になることが、安定的な生活を送る人生でした。モーツァルトも何回か、何人かに雇われるのですが、どうもそりが合わない。あるときは大司祭に暴言を吐いて、役職を捨ててしまいます。特に晩年は---かれは35歳で亡くなっていますので、20代後半から---今日を生きるのさえもままならない中で、とあるパトロンに、何十回と金銭援助を願い出ています。どんなに惨めな思いだったことでしょうね。
それでも、そんな生活に窮した状況でも、モーツァルトの音楽からは、悲鳴は聴こえてきません。むしろ、何かを悟ったような明朗で、快活で、純粋で、淡々とした音楽が世に誕生していったのです。彼の才能を本当に理解して、彼を援助するパトロンがいたらなぁとも思うのですが、もし仮にパトロンの下で、優雅に暮らしていたら、モーツァルトの音楽の素晴らしい多くの作品は生まれなかったのではないかとも思います。貧困から生まれる崇高な音楽。きっとそうに違いないと確信するのです。
この本を読みながら、まだ読んだことはないのですが、tetu5252さんから教わった、小林秀雄さんの著書『モオツアルト』の言葉を思い浮かべていました。
「彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。----彼は両親の留守に遊んでいる子供の様に孤独であった。----」
天才に与えられた宿命、その一つが孤独だったのではないでしょうか。
そういえば、私の大好きなマリア・カラス。このもう一人の天才が歌ったモーツァルトのオペラのアリアで聴いたことがあるのは、1954年12月27日(カラス31歳)に、サン・レモでの公開録音の歌劇「後宮よりの逃走」~第2幕「どんな責苦があろうとも」のただ一曲です。それにしても、若い頃のカラスの高音は力強くて、いとも簡単に歌っているようで、本当に素晴らしいです。ごめんなさい、本題からはそれてしまいましたね。お許しを。
【写真1】 「モーツァルト」のブック・カバー
【写真2】 1789年 モーツァルト最後の肖像画 (ドーリス・シュトック作)
と、ここまで書いて風呂に入って考えたら、僕は勘違いをしていることに気がつきました。このブログは音楽家としての「モーツァルト」について書くのではなくて---それだったら、【クラシック音楽-nnn】のシリーズで書くべき---書籍の「モーツァルト」について、本のレビューをするのでした。ということで始めます。
著者いわく「ひとたびモーツァルトの音楽の美しさにとりつかれると、二度とその魅力からのがれることはできない。限りないやさしさと慰めに満ちたモーツァルトの音楽こそは、神が人間に与えた贈り物である。」
著者の言う通りかもしれない。ところが一方で、モーツァルトとて、神ではなく人間である。神がモーツァルトをして与えたのではなく、人間モーツァルトが人々を魅了したのであると思うのです。
本は、バッハのそれと同じように、ページの半分は写真と写真の解説であり、のこり半分で、稀有の天才モーツァルトの35年の生涯を辿って行きます。随所に、12人の音楽関係者によるモーツァルトへのオマージュも含まれています。

レオポルトが素晴らしかったのは、モーツァルトに、当代一流の音楽や劇などの芸術を見せ、また、そのために、ヨーロッパ各都市を旅していることです。モーツァルトが後に母親宛の手紙に書いていますが、いい音楽を生み出すためには、優れた音楽と、優れた音楽家にふれるために旅が重要であると。そうです、神童を"天才に育て上げた"のは、ほかでもない父レオポルトの功績でした。
これは私達の生活でも当てはまるような気がします。インターネットが盛んで、世の中の情報が即座に入手できる時代ですが、そこに行ってみないとわからないこと、感じないこと、沢山ありますよね。旅は大事でしょう。私達現代人の仕事におけるローテーションなんかも同じことが言えるかもしれませんね。
こうしてモーツァルトは、旅の行き先々で、チェンバロをはじめとする楽器の演奏、更には既に5歳の頃から始まっていた作曲に対して、絶賛を浴びます。こんなエピソードもあります。
モーツァルトが演奏会の途中で、当時のウィーンの有名作曲家ヴァーゲンザイルに傍聴と譜めくりを頼んだというものです。6歳のモーツァルトに「あの人は音楽のわかる人ですから」と言われた氏はきっと苦笑したことでしょう。

それでも、そんな生活に窮した状況でも、モーツァルトの音楽からは、悲鳴は聴こえてきません。むしろ、何かを悟ったような明朗で、快活で、純粋で、淡々とした音楽が世に誕生していったのです。彼の才能を本当に理解して、彼を援助するパトロンがいたらなぁとも思うのですが、もし仮にパトロンの下で、優雅に暮らしていたら、モーツァルトの音楽の素晴らしい多くの作品は生まれなかったのではないかとも思います。貧困から生まれる崇高な音楽。きっとそうに違いないと確信するのです。
この本を読みながら、まだ読んだことはないのですが、tetu5252さんから教わった、小林秀雄さんの著書『モオツアルト』の言葉を思い浮かべていました。
「彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。----彼は両親の留守に遊んでいる子供の様に孤独であった。----」
天才に与えられた宿命、その一つが孤独だったのではないでしょうか。
そういえば、私の大好きなマリア・カラス。このもう一人の天才が歌ったモーツァルトのオペラのアリアで聴いたことがあるのは、1954年12月27日(カラス31歳)に、サン・レモでの公開録音の歌劇「後宮よりの逃走」~第2幕「どんな責苦があろうとも」のただ一曲です。それにしても、若い頃のカラスの高音は力強くて、いとも簡単に歌っているようで、本当に素晴らしいです。ごめんなさい、本題からはそれてしまいましたね。お許しを。
【写真1】 「モーツァルト」のブック・カバー
【写真2】 1789年 モーツァルト最後の肖像画 (ドーリス・シュトック作)
この記事へのコメント
モーツァルトについて何かを語ろうとするとき、何故、こうも同じように小林秀雄の『モオツアルト』をイメージするのでしょう。
この著名な作品を始めて読んだのは、高校の教科書でした。
もちろん全文ではなく、彼とモーツアルトの40番ト短調交響曲との運命的ともいえる“出会い”について書かれたこの著名な作品の冒頭です。
それは、美しくまた不思議な文章でした。
「音楽」が言葉であのように表現されるとは思ってもいなかったからかもしれません。
あの小林秀雄のつむぎだす言葉のひとつひとつさえもが私には“モーツアルト的”に聞こえてきたものです。
>『構想は、実にあざやかに心の中に姿を現わす。私は、一幅の絵を見るようにそれを一目で見渡す。後になればつぎつぎに順を追って現れるけれども、想像の中ではそういう具合に現れず、すべてのものが皆一緒になって聞える』
モーツアルトが、はからずも手紙に記したこの「天才」。光に溢れた彼の音楽。
しかしながら彼のわずか35年という短い生涯で光に溢れていたのはPapalinさんも書かれていますように幼少期のほんの数年だけ。
彼の音楽にとってこの幼少期の「旅」の経験が、後の彼の音楽の出発点なのかもしれませんね。
行く先々での歓迎と、繰り返される演奏会。毎日が花火を打ち上げているような、喧騒と興奮にみちた旅の中で幼いモーツアルトが見ていたもの・・・
あの「無垢」ともいえる大きな瞳で、もしかしたら、すでにその人生を達観していたのではなかろうかとも思ってしまうのです。
「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人也。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる物は、日々旅にして旅をすみかとす・・・」
何故か唐突に松尾芭蕉(笑)!!
でも芭蕉に限らず、古来日本人は人生を旅とみてきました。西行しかり、兼好しかり。
「旅」は「非日常」の連続です。
旅を一種、限りなく凝縮された人生と考えたとき、「非日常」を「生活」として人生を生きたモーツアルトのあの音楽の「秘密」がほんの少しだけ、わかるような気がします。
あぁ、すっかり「朝からモーツアルト」してしまいました。勝手きままな「モーツアルト気分」、一読の後はどうぞ捨て置いてくださいね(笑い)
さて、こうなれば、今日はどうしたってモーツアルト。何を聴きましょうか・・・
窓の外は雨。
では、グールドの「モーツアルト:ピアノ・ソナタ集」にいたしましょう・・・
OH!第一曲8番イ短調、これはあまりにも早すぎます!今日の雨には二曲目の第10番ハ長調のほうが似合いそう。
グールドという選択が間違ったいたようです。
では、ピリスに。
こちらグールドのCDと同じく、11番の「トルコ行進曲付』が入っていますから・・・
小林秀雄の著書『モオツアルト・無常という事』の中に、次のような文章が出てきます。
「彼(モーツァルト)の歌劇には、歌劇作者よりも寧ろシンフォニー作者が立っている」、「(モーツァルトの歌劇が)上演されても眼をつぶって聞くだろう」
このことについて、「モーツァルトの歌劇では、歌の台詞よりもオーケストラの演奏の方が重要なのだ」と仰る人がいます。それは全くの間違いだと僕は思います。この本を読んでわかったのですが、モーツァルトは歌劇「後宮からの誘拐」を作曲中に、父親への手紙の中でこう書いています。
「オペラにおいては、詩は絶対に音楽の忠実な娘でなければなりません」
合唱曲の作曲家としても有名な林光さんもおっしゃっていますが、これは劇と音楽との重要性の比較ではなく、劇の自然な展開や登場人物の行動の必然性を無視するような、おかしな歌詞や、韻をふむための韻や、語呂合わせのための語呂合わせなどは、劇として本末転倒だと言っているのだと思います。「オペラでは音楽の方が重要である」というのは、早計な思い込みでしょう。
ごめんなさいね。Papalinの引用は時として誤解を招くかもしれません。「人生を達観していた」についても、前後の文章を読んでいただきたく... > 読者のみなさまへ。
本文に書いた、ウィーンの有名な作曲家が6歳のモーツァルトに「あの人は音楽のわかる人ですから」と言われたのも、そんな一例かと思いますし、他にも旅先のパリから父親宛に出した手紙に、こんなことが書かれています。
「僕は断言しますが、旅をしない者は(少なくとも芸術や学問にたずさわる人々の場合は)実にあわれむべき存在です。・・・・・凡庸な人間なら、旅をしようとしまいと、しょせん凡庸なままでしょう。しかし優れた才能の持ち主は、いつも同じ土地にいたらだめになってしまいます。」 ザルツブルクのような小さな街は、モーツァルトにとっては、窮屈だったようですね。
ほほう、いいですね。庭仕事のできない雨降りにはいいかもしれません。
ちなみに僕は、昨晩は、カール・ベームのレクイエム、アーノンクールの交響曲第40番、第41番、カラスのアリアほかを聴きました。今はベームの第39番、第40番、第41番がかかっています。
不思議ですね。2つ前に僕がコメントしたのも旅について。まだこのaostaさんのコメントは読む前でした。
あらら。ではいつグールドは聴けるのでしょうか。(笑) 一方、スペインのピアニスト:マリア・ジョアン・ピリスのモーツァルトは、自然で、驚くほどシンプルで、好感がもてます。僕はコンチェルトよりもソナタの方が好きです。
実にうまいことを仰るものですね。
我が家の通称パソコン部屋も如何ですか? ステレオもありますよ。でも、問題なのは、去年の年末の大掃除以降、まともに掃除してないことと、歩くスペースはおろか、椅子もないですが。
今日は冷たい雨が降っていますね。
先ほどまで、風も強く吹き荒れてせっかくの日曜日、庭仕事の予定もあったのですがこのお天気ではちょっと無理ですね。
といってはみても、本来怠惰なaosta,
予定が変更になって急に時間が出来ることはむしろ大歓迎?!
これで、長いこと読めずにいた何冊かの本が読めるかもしれません(嬉)!
それとも薔薇の図鑑を眺めながら、「薔薇の園を夢見て」いましょうか・・・
サイド・テーブルには香りたつ紅茶。
雨音と一緒に流れるモーツァルト・・・
なんてわけありませんよ!(笑)
一週間のツケが回って部屋は片付いていませんし、外に出せない洗濯物がぶら下がって、どう取り繕ってみてモーツアルト的とは言い難い光景です。
papalinさんの引用に応えなくてはと小林秀雄の「モオツァルト」を探しているのですが、どこに紛れ込んだのでしょう、見つかりません!
あちらこちらに引っ張り出した本が散らばって、ますます優雅なティータイムとは無縁の有様です(泣)
モーツアルトのレクイエムはじめとして、私にとって最初に聞いたものが、ベーム/ウィーン・フィルの演奏によるものが圧倒的に多いのはもうPapalinさんもご存知だと思うのですが、
Papalinさんから彼の名前を聞くことはあまりなかったような気がいたします。
そしたら、いきなり、39番から41番ですか?レクイエムも?
私は一度にたくさんの音楽を聴くことはできません。同じ曲を、繰り返し聴くタイプです。例えば一週間くらい同じ曲を聴き続けることも珍しくありません。
カラスのアリアとは「後宮よりの逃走」のアリアだとは思いますが、同じモーツアルトの曲でも、私には一緒に聞けないと思います。
一つの曲にはまるとなかなか抜け出せないaostaです。
心の目で見ればいいのです!
心の目には、部屋干しの洗濯物も、ちらかったものも見えません。見えるのは、モーツァルトと本と紅茶。そうでしょう?
ええ、自分でも珍しく手にしました。
僕がクラシック音楽を聴き始めた頃は、ドイツにカラヤンが君臨し、オーストリアにはベームが皆から愛されていました。ベームの来日演奏会がNHKテレビで生放送されたときは、VHSもβもない時代。叔父の8mmフィルムにテレビの画像を録画しました。ベーム/ウィーン・フィルは、僕の中でも実は定番です。ただ、時間がないときにはベームの演奏はゆっくり過ぎて聴けないんですけれどね。
Papalinさん、我が家が何故、いつも片付かないのかが、今わかりました。
「心の目で」見ていたのですね!!
僕の部屋はいつも心の目で見ています。
指揮をするときも、ほとんど動かずに手の先だけが団員だけがわかる微妙ななサインを出しているという状態だったように思います。
そのベームが、指揮をしている最中に指揮台から転がり落ちて怪我をする、というアクシデントに見舞われたことがありました。
当時、ベームは一体何歳だったのでしょう。
いずれにしても、ほとんどの人が「再起不能」と長嘆息した思いがけない事故でしたが、人々の予想を嬉しく裏切る形でベームは再起を果たしました。
87歳の生涯を終えるその最後のときまで人々から愛された本当に素敵な“マエストロ”
だった、ベーム。彼とウィーン・フィルとの最後の演奏会(確か、その死の前年)が日本でのものだったということも、彼の死を悼む感情を深いものとしたような気がいたします。
そうでしたか。僕の知っているベームも高齢でした。(笑)
何故、ベーム/ウィーン・フィルの組合わせがいいのか、当時の少年Papalinにはわかりませんでしたが、とにかく来日公演はテレビでもFM放送でも、聴かなくちゃいけないという思いに駆られました。私はカラヤン/ベルリン・フィルのファンだったのですが...。
ある意味、対照的な指揮者でしたね。
ベームの最晩年のこの頃、すでにカラヤンはーンスタインとならべて評されることが多かったように思います。
この二人は、お顔もどこか似てましたし、パフォーマンスも同様にはなやかでした。
けれども、「ウィーンフィルとベルリンフィル」「ベームとカラヤン」の図式には、緊張感とともに、どこか“文化史的な御ひいき”の重みがありました。
確か、ベームは一度だけベルリン・フィルを振ったような気がします。でも、カラヤンはウィン・フィルを振ることはできませんでした。
ウィーンの人たちにとってウィーンを巡る音楽家たち、特にモーツアルトはそれこそ「おらがモーツアルト」であって、いかなカラヤンであっても、その「ウィーン気質」を破ることが出来なかったのかもしれません(笑)
「謹厳実直」を絵に描いたようなお方でした。華やかでドラマティックなカラヤンやバーンスタインとはまるで異なる「古色蒼然」としたその指揮法。
特に、脳卒中を患ってからは、その身振りも最小限のものとなりました。
けれども、あのモーツァルトのレクイエム。
まだ、80歳にはなっていなかったにしても、
(今計算してみたら77歳でした)
あの鮮やかなまでの、気高さ、深さ。
ウィーン・フィルの弦はしっかりとソリストたちを支え、ときにそれを超えて、激しくまた敬虔に、あたかも祈るがごとく、ベームについていきます。
ほかの人の演奏に比べ確かにテンポはずいぶんゆっくりですね。
でもこの“テンポ”がベームです。
本当にお上手に言葉で表現されますね。確かにそういうの、ありましたよね。
でも、カラヤンは若い頃はウィーン・フィルを振っていますし、最晩年も確か和解していたように記憶しています。
一方のベームですが、彼もまたベルリン・フィルを何度か振っています。同じく若い頃です。僕が同居していた叔父の25cmLPレコードで見たのは、ベーム指揮ベルリン・フィルの運命だったように思います。
えぇそうです。大概において、ベームのテンポ設定はスローです。演奏する側からすると、歌える遅さはいいのですが、それを越えてしまうと、間延びしてしまいます。そうならないように、緊張感を維持しながら演奏するのは容易なことではなかったはず。一流の楽団員をしても決して容易いことではなかったことでしょう。
実は、若い頃のカラヤンのモーツァルトのレクイエムの演奏を聴いたときに、これはベームが指揮してるの? と思ったくらいのテンポ設定でした。意外でした。
ベーム指揮ウィーン・フィルのモツレク、1971年の録音、Sopはエディット・マティス。同じCDを持っています。
一方のカラヤン指揮ベルリン・フィルのモツレクは、1961年録音ですから、そうとう古いですね。僕の生年です。
全部、モーツァルト。
中に一枚、まったく聞いたことのないピアニストがひとり。
マルセル・メイエルという女流ピアニスト、Papalinさん、ご存知でしょうか。
とても気品のある、清らかでエレガントな音です。
それから、「モーツアルト弾き」として有名なハイドシェックの二枚組み。ピアノ・コンチェルト20,21,23,25,27番の5曲。
この人の演奏も流麗で、どこかしら私が昔よく聴いたリリー・クラウスに似た感じです。
そういえば、モーツァルト生誕250年を記念してリリー・クラウスのモーツアルト全集が発売されたような・・・
すぐにでも、CD屋さんに駆けつけて確認しなければ!
フランスの女性ピアニストです。どこかで聞いた名前だな・・・・・と考えたら、僕の愛するプーランクが彼女に曲を献呈していました。「5つの即興曲」といいます。
僕はマルセル・メイエルのピアノは聴いたことがありません。ネットの検索では、優雅で流麗なピアニストで、モーツァルトが結構出てきますね。
メイエルの二枚組み、よく見たらモーツァルトだけでなく、Debussy や Poulenc の名前が・・・
Poulenc って“プーランク”のことですよね?外版のため、すべてフランス語です。したがって、それ以上のことはわからないのですが、もしかしたら、「5つの即興曲」かもしれませんね。
英語だと、5 Impromptusです。
フランス語、似てませんか?
"Deux novelettes en ut majeur et si bemol majeur" と、ありました。
これは、ノヴェレットと訳される曲のようです。プーランクの作品一覧で、即興曲は、Impromputusと書かれています。
大ヒットした映画「アマデウス」以来、彼の、“軽佻浮薄”な面、“女好き”の借金魔、そして極め付き“下品なスカトロジスト”といった面にスポットを当てた評価や解釈が珍しくなくなりましたね。
もともと、彼のこうした性癖は事実として記録に残されているのでしょうが、あの「神聖なモーツァルト」像を汚すものとして、あまり表にでてこなかったのでしょうか。
確かにこの映画はショックでした。
多少はモーツァルトのこうした”一面”を知っていたとはいえ、実際の映像としてみるのとでは大違い。
もちろん、「映画」ですからフィクションも含まれてはいたのでしょうが(特に、サリエリとのくだり)あのけたたましく笑うモーツァルト、コンスタンツェと晩餐会の支度が整ったテーブルの下で、じゃれあうシーン。
いまでも、強烈に憶えています。
(そうはいっても、もう何年前の映画でしょうか、忘れているところのほうが多いのですが・・・)
それは私ならずとも、誰もが感じ、また衝撃を受けたことと思います。
あの崇高にして天上的なまでの音楽、メロディの流れの底に沈んで、砂金のようにかすかな光と放っている哀しみ・・・
「それとこれ」がどう繋がるのかまったく理解を超えていました。
でも、だからと言って、彼のこうした傾向を精神病理学的に分析し、レッテルを貼って、彼と、彼の病理を別のものとして「評価」することには、疑問を持ちます。
「それとこれ」は本来不可分のもの、モーツアルトそのもの。だれよりも、そのアンバランスに翻弄されたのは彼自身だったと思えてなりません。
単純に旅先で見聞きしたことだけでなく、借金を懇願する手紙、愛する人の死を嘆く痛恨の手紙、さながら、モーツァルトの心の奥深くを覗き込んで万華鏡を見るかのようです。
モーツアルトの「幼児性」あるいは「胎内望」
わたしたち誰にも内在している、太古に繋がる「精神の闇」。そのどこにこうした原初的ともいえる衝動が刻まれているかだれにもわかりません。
あまりにも長い漂流の果て、波打ち際に打ち上げられたまま、だれからも省みられない「遥か遠い昔」の記憶や色褪せた衝動。
その「記憶」や「衝動」を手にしたまま、打ち寄せる波が足元をぬらしていることにも、気がつかず、呆然と、もしくは訝しげに立ち尽くす、絶望の眼差しをした幼い子供としてのモーツアルトを思います。
もちろん、例によってこれは私の勝手な思い込みです(笑)
おはようございます。
この映画ほどショックな映画はありませんでした。それまで私はモーツァルトについては神童~天才というイメージだけで見ていたので、それはもう想像を絶するショックでした。(笑)
しかし一方で、モーツァルトも"人の子"だったんだという安心感みたいなものも抱いたのを記憶しています。
もうひとつは、誰かに似ているなぁって。
そうなのです、どちらもモーツァルトなのです。でも、それを受け入れることはそんなに難しくありません。人間の歴史において、過去、天才と呼ばれてきた人たち。それぞれ意外な一面というのがあったように思います。そして、僕らにも、他人には理解しがたい部分が、少なからずあるでしょう。とすると、またこの議論で恐縮ですが、光と影をみな自分自身の中に共存させて生きていると思うのです。光が強ければ、影もくっきり。まさにモーツァルトはその典型だったのではないでしょうか。だから、そのことに彼自身が翻弄されていたかどうかは、僕は殆ど気にしていなかったのではないかと思っています。両方受け入れてしまっていたのではないかと。
う~ん、そういう説もあるかぁ。
彼は、幼い頃、いわゆる神童と呼ばれていた頃には、横柄な態度をとっていましたよね。本文の、演奏会で譜めくりをさせたエピソードなんかがそうです。
しかし、成人して天才となってからは、私は分別を弁えていたのではないかと思います。当時熱を上げていた女性との、お尻の穴や○んこで満たされた手紙などは残っていますが、それは私信だから、普通は暴かれませんよね。そういう可愛い一面が残っていたのも彼だと受け入れてしまっているのが僕ですね。少し似ているから。(笑)
どこが似ているのですか?
私には、しかとわかりかねますが(沈黙)
いいんですよ、言わせておけば。
似ているところが山とあるのですが、
お下劣でとても書けましぇん。(笑)
もちろん、薔薇の話です(笑)
南側の庭から北庭に。
もう元気な葉を繁らせている、「モーツァルト」、本来でしたら、植え替えなどとんでもない時期なのでしょうが、今年はいつまでも、暖かくなりません。
おまけに、ここに来て連日の雨。植え替えても、大丈夫かも?
南の庭は、日当たりがいいので、どうしても、あれこれ植えてしまいちょっと、手狭な状態。
大きく枝を伸ばしてあげたい「モーツアルト」、思い切って、お引越しすることにいたしました。
北とはいえ、今朝、伸びすぎて日陰を作っていたブッドレアの枝を大幅に整理いたしましたので朝日がよく当たるようになりました。
上手くこの場所になじんで、自由に枝を張り
こぼれるように花をつけてくれますように!
それにしても、朝から大仕事、疲れました~!
頑張りましたね。薔薇の移植は大変です。なにせ、棘をもっていますからね。確かに仰るようにまだ移植しても大丈夫かもしれません。でも今年はどうしてしまったのでしょうか、寒い寒い。
昨日の夕方は、ちょっと元気がなかったモーツァルト。
今朝見にいってきましたら、昨夜来の雨が功を奏したのか、少ししょんぼりしていた葉っぱもすっかり元気になっていて、一安心。
まだまだ油断はできませんが、はじめが肝心です。
実は仲良しのペンションのオーナーから頂いたこのモーツァルト、ザルツブルグから、小さな小枝で持ってきて(内緒、内緒!)挿し木したものだということです。
薔薇は育てたことがないから、という理由で私のところにやってきました。
中心が白く抜ける濃い目のピンク。小さな一重の花をいっぱいにつけます。
モーツァルトの初期のピアノ・ソナタを思わせる明るく無邪気でリズミカルな花つきです。
結構派手な花ですよね、モーツァルト。そうでしたか、由緒ある家柄の株なのですね。元気よく瑞々しく力強く葉が茂っているのは何よりです。開花しましたら是非見せて下さいな。