◆IL DIVO◆ <合唱> 荒野のはてに 【1975年録音】

Angels we have heard on high
URL : http://papalin.yas.mu/W204/#M101
◇公開日: 2007年1月19日
◇連続演奏時間: 1分38秒
◆録音日: 1975年11月 (14歳)
◆上記の英語の曲目名をクリック
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第一弾は、中学3年生の時の合唱祭からお贈り致します。
この年はじめて、市民会館の大ホールを借りて合唱祭が開かれました。全校12クラス+教職員による合唱が披露されました。
Papalinは3年4部。課題曲と自由曲がありまして、この曲は3年生の課題曲で、混声四部合唱曲でした。各クラスとも、この課題曲は色んな工夫をして歌いました。Papalinのクラスは、サビのところを本来のソプラノからテノールに移して、ソプラノには楽譜にないオブリガートを歌ってもらいました。そして2番は4人の独唱者に歌ってもらって、ちょっと色を変えて。そして最後のコーダは、ちょっとドラマティックに。
あれ?
これって、昨年フォレスト・ベツレヘムのメンバーで歌った「さやかに星はきらめき」と同じ曲想づけジャン!
どうして?
そうでした、この課題曲の指揮をしたのはPapalinだったのです。
なるほど~、そうだったのか。今はじめて気づきました。これは大発見です。
こんなところにルーツがあったとは・・・ !!!
Papalinは、中学校では色んな行事や式典で、校歌だとか生徒会歌だとか応援歌の指揮をしていました。クラスで合唱の指揮をしたのは、これが最初で最後です。ちなみに娘は小学校の音楽会で1回、中学校では1年のときと3年のときに合唱コンクールで計2回、指揮をしました。
<(_ _)> マケマシタ
そうそう、こちらにたまにおいで下さるジェルソミーナちゃんも一緒に歌っているのですよ。あのころは可愛らしい女の子でした。
お聴き下さい。
混声四部合唱 : EM中学校 1975年 3年4部
ソプラノ・ソロ : たぶん、めろじ
アルト・ソロ : だれだかわかんない
テノール・ソロ : たぶん、こーいっちゃん
バ ス・ソロ : たぶん、しげじろー
指 揮 : Papalin
宜しければご感想を、コメント願います。
【写真】 中1 高歯下駄を履いてもまだチビでした。 (1973年・・・12歳)
この記事へのコメント
Papalinさん14才のときの感性はいまだに色褪せていないというわけです(笑)。
もちろん、後年の「さやかに星はきらめき」のほうがずっと洗練されてきているようではありますが・・・
aostaさん。
感性は研ぎ澄まされることはあっても、色あせないものと信じておりますが、如何に。
今も決して自信はありませんが、14歳の少年では、これがやっとでしょう。(笑)
私、滑り止めで受けた私立のカトリックの高校に通ってたんです。
その時、毎日のように歌わされてた曲ですよ。
でも確か日本語じゃなかったような気がします。
カタカナで振り仮名がついてた記憶が。。。
あぁ、懐かしいです。
ちょびママさん、ほう、僕と全く逆です。僕は日本語以外の歌詞を全く知りません。サビ(というのかどうかしりませんけれど)はラテン語だから、ラテン語でそふかね。ドイツ語でしょうか。英語もあるか。いずれにしても、貴重な体験をされましたね。
何十年もして、また賛美歌を歌うことになるとは、思ってもみませんでした。(笑)
音楽活動がさかんな中学校だったんですね。
伝統なのか、土地柄なのか、よほど情熱のある音楽教師がいたのか・・・。
中学校のクラス合唱でこれほどのものが仕上げられるとはすばらしい。ソロがきちんと4人も揃うってのもスゴイ。
校内合唱コンクールとかは私の県でもやってるけど、こんなに高度じゃないです。昨今の音楽教育はどうなっておるのか・・トホホです。まあ、授業数も少ないですしねえ。
でも、音楽に限ったことではなく、ひと昔前の中学生、高校生は、今の子達よりもっと精神的に大人だったように思うんですよね~。
ねこまっくさん、やっぱりそうかなぁ。
僕らの時代(ねこまっくさんより、きっと一昔前)は、遊ぶものも今ほど豊富ではなかったからね。パソコンもケイタイもゲームもなかったから。男の子はギターに走る、女の子は男の子に走るのが定番でした。(?)
答えになっとらんな。
女の子は大人だった様に思います。
男の子は幼稚でした。
さて3択ですが、一番最後の「よほど情熱のある音楽教師がいたのか」が正解でしょう。どこもかしこもというわけでは決してなかったと思います。それは僕より一昔前のaostaさんのコメントからも伺えます。
(o_ _)o ドテッ!!
ねこまっくさんは、どこから見ても熱血先生。
でも、燃え尽きないでね。(笑)