◆IL DIVO◆ <吹奏楽> 組曲「いしずえ」 【1975年録音】

Suite ISHIZUE
URL : http://papalin.yas.mu/W204/#M103
◇公開日: 2007年1月20日
◇連続演奏時間: 19分42秒
◆録音日: 1975年11月 (14歳)
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第三弾は、同じく中学3年生の時の、文化祭における録音です。
僕に多大な音楽の影響を及ぼして下さったMS先生。先生は当時まだ20代だったと思います。音楽の先生でした。歌は上手いし、リコーダーは上手いし、ピアノは弾けるし、僕にとっては一番身近な憧れの先生でした。
その先生が、なんと、この文化祭での発表のために --- かどうかは定かではないのですが、それでもこのとき以外にこの曲を演奏したことがないので、おそらく正しいと思うのですが --- 組曲を作られたのです。驚きでしょう? 中学生という、まだまだ未熟な音楽愛好家をターゲットに作られて、合唱も吹奏楽も箏もご自分一人で指導されて、それだけでも素晴らしいエネルギーだと思うのですね。第3楽章では、技術の追いつかないパーカッション・メンバーに時折厳しい言葉もありましたが、それも先生の情熱が大きければこそのことだと思います。
当時、僕は報道委員長という生徒会の役員をやっていまして、生徒会新聞にこの素晴らしい組曲について、熱~い文章を書いた覚えがあります。
ジェルソミーナさん、あの新聞、持ってな~い?
僕の住んでいる茅野市は、尖石遺跡など、縄文時代の遺跡が発掘されたりで有名なところです。MS先生は、この諏訪地方の出身ではないと思うのですが、赴任した地域の遥か悠久の歴史を訪ね、紐解き、そしてそれを題材にして、吹奏楽と合唱のために、組曲を作ってしまわれました。
MS先生は、僕らの一学年上のクラスを受け持っておられたのですが、そのクラスの合唱ときたら、それは素晴らしいものでした。特に男子生徒の声が伸び伸びとしていて、しかもみんな楽しそうに歌っていたのは記憶に新しいです。もし先生がもう一年早くこの曲を作られていたら、合唱はきっと混声合唱になっていたのではないかと思うと、ちょっと残念な気がします。
さて、組曲は4つの楽章 --- 章と言った方が相応しいでしょうか --- からなっています。
1章 > フル編成の吹奏楽と合唱で構成される変拍子の曲です。
2章 > 和風な箏と洋風のチェンバロを組み合わせてのユニークな章です。
3章 > 打楽器奏者5人だけという、一風変わった編成での曲です。
4章 > ピアノも加わり、叙情的なメロディで始まり、1章のテーマで閉じます。
カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」をお手本とされたことは明らかですが、僕は、MS先生の作詞・作曲・編曲によるこの曲の初演に携わらせていただけたことを、大変光栄に思います。
そうそう、中学校を卒業して23年後、娘の小学校のPTA役員を務めたとき、その小学校の教頭先生がMS先生だったのです。これも縁ですね。親子2代でお世話になりました。
この録音テープは、先の合唱祭のテープの後ろに、MS先生が気配りをされてダビングして下さったものです。合唱祭の録音だけだったら、短いカセットテープで足りたのに、わざわざ長いテープに入れて下さって ・・・ 僕の宝物です。
話が長くなりました。是非お聴き下さい。歌詞も聴いて下さい。
第一章 : 吹奏楽+女声合唱
(Papalinは、トロンボーンをバリバリ吹いてます)
第二章 : 箏+チェンバロ+フルート+クラリネット+女声合唱
(フルートはジェルソミーナさんかも知れません)
第三章 : 打楽器
(Papalinは、ティンパニとマリンバを演奏しています)
(パンチの効いた迫力ある大太鼓は、すけちゃんです)
第四章 : 吹奏楽+ピアノ+女声合唱
(Papalinは、トロンボーンをバリバリ吹いてます)
宜しければご感想を、コメント願います。
【写真】 中3 教室のベランダでのスナップ写真。 (1976年・・・15歳)
この記事へのコメント
これは大作ですね。
いにしえの黎明を思わせる出だしにまず瞠目。
女声合唱、がんばっていますね。
太古の昔、この八ヶ岳山麓の地で営まれていたであろう生活の喜びや怖れといったものが祝祭的な雰囲気の中で歌われる歌詞も良く考えられ推敲されていますね。まだ20代の中学校の先生がこれだけの作品を作曲されたということにまず驚きました。
トロンボーン、確かにバリバリ(笑)。
フルートはジェルソミーナさんとして、この琴はどなたの演奏に拠るものなのでしょうか>
合唱、斬新な扱いで思わぬ効果。
>もし先生がもう一年早くこの曲を作られていたら、合唱はきっと混声合唱になっていたのではないかと思うと、ちょっと残念な気がします。
女声だけでも雰囲気は十分ですが、確かに懇請になっていれば更なる迫力、力強さが生まれたであろうことは想像に難くありませんね。
琴の響きに対してややチェンバロが弱いのが残念。
papalinさんの才能を育ててくださった、
素晴らしい!!先生がいらした・・・。
きっと素敵な素敵な先生でしょうね。
先生の情熱、しっかりpapalinさんに受け継がれたようですね♪
今はそのような先生、何人ぐらい日本に存在しますでしょうか?
素晴らしい先生に巡り会えましたpapalinさん、お幸せですね!!!
30年も大切にテープを保存していらしたpapalinさんにも脱帽です♪
不思議な音楽です。
ティンパニ、マリンバがんばっていらっしゃいますね。はっきりしたリズム、間違えたら怖そう~~。
il||li _| ̄|● il||li 面目無い
Papalinたら、こんな飛道具を隠し持っていたとは・・・恐れ入りました。
泣かせやがってぇ~!それでなくても年と共にいろんな所が緩みっぱなしなのに。
Papalinの歌声とMジの声は一発で聞き取れますね。
(思いも掛けず懐かしいものを聴かせて貰ったので、Mジにも連絡しました。是非聴きたいって言ってた。IA先生にも聴かせてあげたいね!)
懐かしいなぁ~ヽ(´▽`)/、昨日の事はすぐに忘れちゃうのに30年前の歌詞は今でもすらすら出てくる(典型的なボケ症状だ)
それと、調子っパズレなお祭りのお囃子的フルートは多分私です(赤面)
ああそうそう、新聞は捜索中だからね!
それにしても、雄大な景色を歌った曲で、色々な楽器での、アンサンブル。さぞや、ご苦労なさったでしょうね。
aostaさん、僕はよく先生に「出だしが遅れる」と注意されたのですが、本人は全くわかりませんでした。確かに録音を聴くと、すっかり遅れていますね。一説によると、管が長いから、音が鳴るのが遅いんだって。それならホルンの方が遅れるよなぁ。
> 20代の中学校の先生がこれだけの作品を
そうですよね。演奏会当時はそんなにすごいことだと感じなかったのですが、今になると、その熱意と実行力に頭を垂れる稲穂です。
先生が表現したかったこと、いまこうして録音を聴いていると、いやというほどわかります。でもそれが技術的にもなかなか表現できないもどかしさ・・・う~ん、もう一度演奏したい、歌いたいですね。
箏は、同学年の"ち~ちゃん"だったと記憶していますが、なんで30年も前のことを覚えているんだろうか。
チェンバロは発弦楽器ですから、ギターと同じで、マイクや電気的な処理をしないとこんなものです。同じ発弦楽器の箏にも負けてしまいます。ですからオーケストラの巨大化に伴って、チェンバロは駆逐され、鍵盤楽器はピアノになってしまったのですね。
はい、影響されやすいPapalinです。
その証拠に、音楽のMS先生に憧れて、マジで指揮者になりたかったし、自分はピアノが弾けないことを致命的に思ってからは、今度は担任の先生に憧れて、数学の先生になりたくて大学4年の6月まで、そのつもりでした。
だけど、先生っていう職業は本当に大変だよ。情熱的な先生もいないけど、しっかり子供を教育できる親も激減しているのではないでしょうか。自分の反省も含めてですが・・・。
今だからバラしてしまいますが、すけちゃんと僕は、この5拍子の曲もへっちゃらで、ほぼ暗譜していました。問題はお聴きの通り、僕ら以外のパーカッション専科メンバーだったのです。本番でも弾けて(叩けて)ないですから。先生がイライラしているのが、見ていても辛くてね。
ジェルソミーナちゃん、深酒はいかんよ。もう若くないんだからな。(笑)
子供に見せたくない親の泥酔姿。(大笑)
あはは。気づいてくれましたか、ジェルソミーナちゃんに捧げたオマージュ・ブログ。なんちゃって。
ソロを歌ったMぢと、ピアノを弾いたじゅんぺ~が音楽の道に進んだことは何とも喜ばしいことでした。フルートはやっぱりジェルちゃんでしたか。よく音出ているじゃないですか。改めて感心しました。魔笛吹きのジェルソミーナちゃんは、どうしてその後も魔性を磨かなかったの?(笑)
歌詞、覚えてるんだよね。不思議と。僕なんか、第三楽章のパーカスだって覚えていたよ。
そうそう、中学2年のときに、歌のテストがあって、一人ずつ第二音楽室に呼ばれて歌ったよね。僕は声変わりの最中で、ジェルちゃんたちが、引き戸の向こう側で耳ダンボになって聴いていたでしょう? 恥ずかしかったなぁ。あのときの曲は「帰れソレントへ」でした。あんな哀歌、中学生じゃ無理だべ?
沙羅さん、たぶん先生の苦労は並大抵ではなかったものと推察されますが、一方の中学生だった僕たちは、恐いもの知らず。苦労のクの字もなかったかもです。大人になるって、余計な力が入っていけませんな。(笑)
あのときの先生の自筆楽譜が懐かしいです。パート譜は確か、スコアから切り貼りして作った覚えがあります。
曲がまた何とも言えない趣があって、気に入りました。
しかし、とても中学生とは思えないハイレベルで私はうなってしまいました。
全国大会なんてまだなかったのですか?
そんなの、存在さえ知りませんでした。(笑)
ところで、もし全国大会っちゅうのがあったとしたら、これは合唱コンクールでしょうか、それとも、吹奏楽コンクールでしょうか、それとも、邦楽コンクールでしょうか。今晩寝られなくなっちゃいますね。
(=^_^=) ヘヘヘ
この演奏に当時はたぶんメロフォンで参加していました。
この演奏の少しあとにひと月ほど入院することがあって、病院にM先生がこの曲と合唱祭でやった「青きドナウ」の録音を入れたTDKの120分テープを持って見舞ってくださいました。
何度も何度見聴いて伸びてますが、今でもわが家のどこかにとってありますよ!
それにしても、全曲聴くのはたぶん20年以上ぶりです!
皆さんに会いたいですねえ。郷愁に駆られてしまいますわ・・・。本ともう一度やりたいですねえ、いつか実現させませんか?できれば、先生の指揮で!
我々の頃、中学校も高校もそうでしたが、コンクールなんていう他との比較でどうのこうの満足度を考えるようなものについては意識したことがなかったですね!
ただただ、先生と友達と、音楽と、自分と。いい世界でした。
都さん、ありがとうございます。
ひょんなことから、ネットで繋がりましたね。一年前は、同じ高校のリコーダー仲間だった"わっちゃん"に再会しました。そうして一年後に"くにちゃん"とも会えるとは。2年前には、中学校の同窓会で"すけちゃん"とも再会できました。みなニ十数年振りでした。
このサイトが一般の方から見て充実しているかどうかはわかりませんが、作っている方は命をかけて(?)、は大袈裟ですが、ライフワークだと思ってやっています。くにちゃんのような本格的な歴史的演奏ではありませんが、これが僕の持ち味のようだと納得したのでね。(^-^ )
都さん、続きです。
おかしいなぁ、僕のは確かTDKの90分テープだったような・・・。(^_^;)
くにちゃんが怪我をして入院したこと、覚えていますよ。合唱祭でくにちゃんたちの歌った美しく青きドナウも。一年生なのに、上手かったね。
クラス対抗の合唱祭では、すけちゃんも、くにちゃんも、そして僕も指揮をしたっけ。課題曲と自由曲があって、くにちゃんたち一年生の課題曲・・・なんだっけ、♪響く~響く~空に響く~♪って曲、可愛かったなぁ。
あの録音テープ、ちょうど僕らのクラスの自由曲のところでマスターテープが一杯になっちゃったみたいで、つなぎ合わせてあるんですよ。今ならちょちょいのちょいですけれど、当時は切った貼ったの世界ですからね。宮下先生のそういうところ、今になっても嬉しく思います。
都さん、続きの続きです。
嬉しいなぁ、そういう情熱的な人がいてくれて。僕はマジで考えているんだよ。まだ何も動いてないけれどね。(^_^;)
先生が定年を迎える(た)頃がチャンスかなと。演奏は当時のメンバー(くにちゃんや、すけちゃんや、ジェルソミーナちゃん・・・ってわからないかも知れないけど、僕の同級生&悪友・・・それから文彦教授なんかも頼って)を中心に、今の中学生なんかも参加できたらいいなぁとか、合唱は当時の宮下先生の受け持ちのクラスのメンバーを中心に・・・な~んてね。
その際は宜しく頼みます。 <(_ _)>
都さん、ありがとうございます。
そうでしたか。
私はいまだにコンクールのようなものには出たことがありませんし、多分これからもないと思います。選にもれてみっともない自分の姿を見たくないという、逃げ口上です。もっとも自分の実力もわかっていますし、その世間の方々の実力との差も理解しているつもりですから、無謀なことはしないということでもありますけれど。(^-^ )
> ただただ、先生と友達と、音楽と、自分と。
それは今でも可能だと思います。
演奏するときだけでも、変な大人の見栄とかプライドの衣装を脱いでしまえばね。(^-^ )