◆IL DIVO◆ 小夜曲 "Standchen"
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H.A.Marschner / Standchen
URL : http://papalin.yas.mu/W903/M015/
◇公開日: 2007年11月17日
◇演奏時間: 3分25秒
◆録音日: 2007年11月 (46歳)
◆上記の英語の曲目名をクリック
して、Papalinの音楽サイトから
お聴き下さい。(視聴?・試聴?)
昨夜、友達から電話があった。
大学時代の同級生が逝っちまった。46歳。
具合が悪いから仕事を休むと家族に告げ、そのまま寝床で冷たく・・・。
ワーカホリックじゃなかったろうか。
教育関係の仕事で激務だったのではないだろうか。
色が白くて、小柄で痩せてて、髪の毛は厚いのにさらさらエメロンヘア。
いつも中立的な位置にいた、いい奴だった。
みんなでまた会おうと言っていた矢先なのに。
驚いた。ショックだった。
お別れには行けないので、彼のために歌った。
あえてこの歌(Dr.中野さんのサイト:リンクは音が出るので注意)を手向けたかったから。冥福を、心から祈ってる。
★使用楽器★
(1) グレートバス ヤマハ 木製
(2) グレートバス ヤマハ 木製
(3) グレートバス ヤマハ 木製
(4) コントラバス ゼンオン 木製
注:歌詞を読むと疑義が生じると思うが、僕は異性愛者である。
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この記事へのコメント
低音リコーダーだけの響きも、静かな眠りにつく人をそっと見守るような、そしてその眠りの安らかなることを祈るような演奏ですね。
最後のグーテナハト、おやすみ、の繰り返しとそのハーモニーがなんとも言えません。
夜の雰囲気が漂う感じが、いいですね。
そして、遠くなってしまった愛しい人を思う気持ちが、聴く人に伝わってきます。
若くして亡くなった、お友達が、今は安からん事を、お祈りいたします。
この曲を聴いてそう思いました。
先に逝ってしまった人たちのこと―Papalinさんのお友達のこと、そして私の大切な人たちのこと―を考えていたら、涙がぽろりと零れました。
aostaさん、ありがとうございます。
グレートバスが3本、最低音パートがコントラバス。こんな編成をリアルで見たら、きっと圧巻でしょうね。なかなか見られないアンサンブルができてしまうのは、Papartetによるバーチャル・カルテット、ひいては IL DIVO Papalinの一つの売りかも知れませんね。
(^-^ ) ニコッ
ありがとうございました。
また「小夜曲」リンクしていただき、
ありがとうございました。
演奏聞かせていただきました。
すばらしいですね。
とても現代的な演奏のように感じました。
沙羅さん、ありがとうございます。
同い年だったり、年下だったり、そうした人が逝ってしまうとガクッときます。まだまだ早すぎると思うのですね。
歌詞はご覧の通り、愛しい人を想う内容なのですが、何故か彼にこの曲を贈りたいと思いました。何故だか自分でも全然わかりませんけれど・・・。
Fu Shuseiさん、ありがとうございます。
このコメントを頂戴して、実はずっと考えていました。近頃は月に一回行くかどうかの教会なのですが、教会での決まりごとの礼拝というのがちょっと鼻についてきました。礼拝の中で、信仰の長いクリスチャンによる専門用語満載の"立派な"祈りの言葉を聴いていますと、なんだか虚しくなるんです。それは素晴しいことを仰るんですよ。でも薄っぺらに感じてしまう。これは一体何なのでしょう。
僕の中では、祈りとは、他人に見せるものではありません。部屋に入って鍵をかけて暗くして静かに行なうもの・・・。だから、一人黙々とこの曲の音を積み重ねたのは、僕にとっては"祈り"そのものだったのかも知れないと思いました。そうか、僕の音楽の中には確かに祈りの音楽があるな、すべて愛情の表現と捉えていましたが、Fu Shuseiさんに気づかせてもらいました。ありがとうございます。
Dr.町田さん、ありがとうございます。
今回この曲の検索で貴サイトに辿り着いたのですが、実は以前にもお邪魔したことがありました。とても充実されたサイトで驚いております。音楽も大好きなんだとおいう思いが伝わってまいります。
これからも宜しくお願い致します。
<(_ _)>
嬉しい時、感謝したい時、愛したい時、悲しい時・・・? もしかしたら歌や音楽は、人間の心から最も自然な形で湧き上ってくる「祈り」の一形態なのかもしれません。
Papalinさんにとっては音楽は呼吸のようなものでしょうか?呼吸するように祈れる形態が、その人にとって最も心を込めることができる祈り方ではないか?と私は勝手に思っています。
歌手には歌が祈りとなり、画家には絵が、詩人には詩が。「祈りそのもの」としか捉えられない作品を私たちはいくつも知っています。
呼吸するように歌えない、絵も書けない、詩もつくれない私は、長い歴史を掛けて磨き上げられた祈りの言葉で祈ります。けれど、口ではすらすらと唱えても、心の中は疑問や葛藤でいっぱいです。でも、その葛藤自体が私の祈りとなる。最近はそんなふうに思っています。
Fu Shuseiさん、ありがとうございます。
祈りという言葉を狭義に捉えますと、信者が祈る姿を想像してしまいますが、私たち日本人だって、太古の昔から八百万の神さまに祈ってきたわけですね。そしてその神は、神さまであったかも知れないし、自然の驚異的なものであったかも知れないし・・・。あるいは対象は明確にはなかったのかも知れませんね。
僕の音楽が祈りだとしたら、それはとても嬉しいことだと、改めて思いました。
葛藤自体が祈りと仰るFu Shuseiさん。
これまた深い言葉であり、祈りです。