◆IL DIVO◆ オトテール / 組曲 ニ短調
≪ 生演奏で全曲聴けるページ ≫
J. H. Hotteterre / Premiere suite de pieces a 2 dessus sans basse
URL : http://papalin.yas.mu/W180/
◇公開日: 2007年11月24日
◇演奏時間: 17分16秒
◆録音日: 2007年11月 (46歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
斉藤さん制作のヴォイスフルートによる一人二重奏、第一弾。
この曲を演奏するのが一番だと思った。
Papalinが最もフランスを感じるデュエット曲。
退廃的。楽譜はこちら。
テレマンのそれとも、ヘンデルのそれとも、かけ離れたところにある。
フランスのバロック時代の曲は、楽譜通りに吹いてはいけないというか、楽譜通りに吹いたらフランス・バロックの音には聞こえないというのを知ったのもこの曲。ちなみに作曲者のオトテールは1674年生まれ、1763年没。バッハとほぼ同年代。
この曲には、僕にとって不思議なことがいくつかある。
まず、組曲なのだから全部で6つの舞曲から成っているというのはいいのだが、最後がパスカーユ(仏語。イタリア語だとパッサカリア)という、ゆっくりした三拍子の曲で終わることである。普通ならその1曲前のアップテンポのジーグで終わるのが終止感を与えてくれるだろうに、なぜだろうか。
次は、各曲に舞曲の名称がついているのだが、"Gai"という指示が2つ出てくる。これはゲというフランス語で、陽気なとか快活なという指示なのだが、どう演奏してもこの曲を陽気に演奏することはできない。快活、ちょっと弾むような感じで・・・というのが関の山だと思う。
もうひとつ。最後のパスカーユの、そう3分15秒くらいのところから、この組曲で初めての、そして唯一の長調のメロディが出てくる。初めてで唯一だからなのか、この部分がそれはそれは愛おしく感じる。天に昇るような気持ちで演奏してみた。ところがそれも束の間、また暗転して組曲を閉じるのである。
これがフランスのエスプリ・・・なのだろうか?
ヴォイス・フルート、いい音だ。右手も左手も指が届かないけど・・・。(^_^;)
★使用楽器★
(1) ヴォイス・フルート 斉藤文誉 木製
(2) ヴォイス・フルート 斉藤文誉 木製
"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
この記事へのコメント
短調だからという単純な理由ではなく、もっと深いところに揺れているやるせない哀しみのようなもの。
Papalinさんの言うフランス的な退廃??
ヴォイス・フルートの音色も関係しているのでしょうか。ヴォイス・フルートの演奏を聞かせていただくのは初めてだと思うのですが、柔らかい響き、とてもよく鳴っていますね。揺れる音というか、減衰というか、眩暈を誘うような感覚。でもきちんとコントロールされた知的な演奏のように思います。
狂おしささえ感じてしまうジーグを宥めるかのようなパスカーユのメロディにも明るさ暖かさはありませんね。つかの間の長調もなぜか心穏やかに聴くことが出来ませんでした。この6つの組曲を支配しているのはもしかしたら憂鬱?それもかなり重く、深い。
時代を飛び越えた音楽という感じかも知れません。
随分独断に満ちたコメントになりました。
きっと、それはこの曲を聴いたから。
何か焦燥感をあおる音楽です。
aostaさん、ありがとうございます。
予想もしていなかった感想を戴いたので、考え込んでしまいました。音楽を聴いて感じることは、やっぱり人それぞれですし、それでいいのだと思います。きっとその人が通ってきた人生と密接に結びついているのではないかというのが私の考えです。どんな音楽が好きか、どんなジャンルが、どんな演奏家が・・・、みな同じですね。音楽に限ったことではないですが。
焦燥感かぁ・・・。
aostaさん、ありがとうございます。
こちらの最初の方のコメントが書き込まれましたという通知メイルが何故か後から届いたので、順番が逆になってしまい、申し訳ないです。
僕はこの曲でフランスバロックを刷り込まれました。
例の北御門さんのルネサンスの曲集と同じシリーズでフランスバロックの作品から、アルトリコーダーの二重奏のための曲集があって、よく高校生の頃、わっちゃんと演奏したものですが、そのときにはフランス的な音とか演奏とか、知りませんでした。
でもブリュッヘンの演奏を聴いて、何これ? というショックがありました。以来、耳から離れません。
決して真似しているわけではないのですが、やっぱり似ちゃいます。上手さは雲泥の差がありますけれど。(^_^;)
フランスのエスプリはその中に身を投じてみないとわからないものなのかもしれません。
理屈っぽいようでいて理屈では割り切れないような不思議な哲学がフランスにはあるように思います。
だからバロックに限らずフランス音楽は楽譜どうりというわけにはいかないんじゃないでしょうか。
アルマンドでその官能的な流れを感じました。
万華鏡のようにめくるめく変化する音の模様に魅了されます。それからバスカーユその長調の部分が、ある日突然やってきて空を見上げたいような気持ちになります。
これは決して真似事でできる演奏ではないですよ。
ヴォイスフルートが心の揺れを運んでくれるのを手伝ってくれていますね。
フランスのエスプリ。やっぱりその人の感性で受け止め表現されてそれが自然体で有ることが共感をよぶのでは。とパパリンさんも私も思っている。。。と感じた演奏でした。
薫風さん、ありがとうございます。
アルマンド、傑作&名演だと思ってます。
*o_ _)oバタッ
演奏裏話をするのは本意でないのですが、
ここでは書かせて戴きます。
アルマンドの楽譜を見て下さい。(URL)
何の変哲もない8分音符と16分音符が規則的に並んでいるだけです。それをこれだけテンポ・ルバートに多重録音で演奏することがどれだけ難しいか、きっとお分かりになると思います。特に、どちらか一方だけのソロになったときに、一方の休符が続く方のパートを先に録音する場合、頭の中で相棒の音がきちんとルバートで鳴っていないと、長い休符が終わっていざ演奏し出した時に、全く合いません。上のパートにも下のパートにも長い休みがありますから、どちらを先に録音してもこの問題に直面します。
逆にこれがばっちり合ったときには、多重録音オタクとして、この上ない喜びと化すわけです。
やっぱり書きすぎましたね。(^_^;)
されてそれが自然体で有ることが・・・
musicaさん、ありがとうございます。
musiaさんにとっては、フランス・バロックが音楽の原点なのですね。ちょっと驚きました。ここから入るか~って感じです。でも言い方を替えますと、これ以上はないよというくらい感性が研ぎ澄まされる音楽がmusicaさんの音楽の原点だったということでしょう。素晴しいです。
そんなmusicaさんに、今更申し上げるまでもありませんが、是非このアルマンドの楽譜をご覧になりながらアルマンドを聴いて下さい。(URL)
楽譜ありがとうございました
全曲、楽譜を見ながら聴かせていただきました。
これは多重録音だったのですね。
1曲目を聴きながらそのことを思い返しました。
でも2曲目のアルマンドからは、すっかりそんなことは忘れてうっとり聴き入っています。うっとりという言葉が一番似合う音楽です。
音の揺らぎが自然で、その揺らぎに身をまかせたくなりました。音が絡み合う事になんの違和感もなくその融合するところでは胸の奥に熱いものを感じます。
もしこれが多重録音でないならばその融合が演奏する二人の喜びの瞬間になると思います。
フランス音楽の光と影を知らない方がこの楽譜を見たら、この曲をお行儀よく連想することもあるかもしれないということ。そしてこの光と影というのは人それぞれの人生によって感じ方が違うということ。
同じ楽譜でも全く違う音楽が生まれる可能性があるということになります。
もしPapalinさんがブリュッヘンの演奏を知らなかったら。もし私にクープランの演奏経験が無かったら楽譜を見ても音楽を聴いても共感できるものは生まれなかったかもしれません。
フランス音楽の作法のようなものには私も最初違和感を感じました。でもやり始めると不思議な魅力にとりつかれ音楽の表現の奥の深さを感じます。
ジャズだったらスゥイングというものがありますしブルーノートの和声進行が心に響きます。どちらにしても人間の感情の色を音楽に託して感性で表現するもの。音楽の面白さですね。
薫風さん、ありがとうございます。
IL DIVO Papalinの良いところは、
私の感性の塊であるところです。
自我の違う個体とのリアルの演奏では
それは実現できません。(^_^;)
薫風さん、ありがとうございます。
それがイコール音楽だと思っています。
IL DIVO Papalinの醍醐味ですね。
透明感のある音楽を感じます
それは多重録音を完成させる喜びそのものなのでしょう。
「その融合は演奏する二人のPapalinの喜びの瞬間になると思います。」
言い直させていただきます。
アルマンドから先は小節線を越えての旋律の絡み合いみごとなテンポルバートに感動しました。
多重録音でこの絡み合いが表現されていることが感動です。
そして音楽が心に帰ってくる
嬉しい時は嬉しい音楽を。
悲しい時は悲しい音楽を。
そして心が揺れている時はフランスのエスプリ。心地よく吸い込まれてしまいました。
薫風さん、ありがとうございます。
この作品は、多重録音という観点からすると、上級演奏です。2本ならまだ何とかなりますが、ドビュッシーのように5パートとかで、しかも3パートくらいが協力してピアノのアルペジオを奏でるなんてことになると、超上級になって、僕も歯が立ちません。
薫風さん、ありがとうございます。
心が沈んでいるときに短調の音楽を演奏してもダメです。乗り越えて昇華できたときに、いい短調が奏でられます。
それでは超上級演奏を聴きにいってまいりましょう
短調ばかりが悲しい曲というわけでもないけれど心が沈んでいる時に聴く曲は悲しい曲がなじみます。
元気になろうとしてはずんだ曲でも聴こうものなら心に棘がささります。
乗り越えて昇華するためには、その通過点もまた重要。いい短調奏でてみたいですね。
薫風さん、ありがとうございます。
演奏は低級ですから・・・。
薫風さん、ありがとうございます。
落ちるところまで落ちるのも手ですね。
それは確かに・・・
落ちてみないとわからないことがありますから・・
落ちただけの価値のある音を鳴らしてみたいですね
薫風さん、ありがとうございます。
そうですね。