◆IL DIVO◆ 大きな古時計 - モーツァルト風
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Grandfather's Clock
URL : http://papalin.yas.mu/W210/
◇公開日: 2007年12月20日
◇演奏時間: 2分9秒
◆録音日: 2007年12月 (46歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
ごめんなさい、はっきり言わせてもらいます。
つまらない編曲です。音楽高校の一年生が授業の宿題で、モーツァルト風に編曲しましたって感じです。この編曲でお金を取ってはいけません。一曲目のラピュタがとても洗練された編曲だったのに、雲泥の差です。古い箪笥の中からでてきた楽譜を使っちゃったのかなぁ。山中さんには、アマチュアの方の編曲作品だけど、こういうの聴いてほしいなぁ。なんだかリコーダーという楽器を教育楽器の範疇に押し込めてしまって、アンサンブルの本当の美しさとか楽しさを封じているような気がしました。
言いたい邦題言ってますね。だって、優れた編曲作品が無料で配信されている時代ですから、有料で提供される方は、もっと真剣に取り組んでいただきたいと思うのです。
一つだけ言えるのは、モーツァルトの音楽って、紙一重なんですね。
それっぽい曲は、往々にしてつまらないことが多いです。
山中さん、あなたはモーツァルトを尊敬していますか?
★ リコーダーの編成 ★
1.ソプラノ モーレンハウエルのグラナディラ製
2.アルト メックのエボニー製
3.アルト メックのエボニー製
4.テノール 全音の桜製
5.バス メックのツゲ製
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この記事へのコメント
リコーダーという楽器は教育楽器だからこそ、いい編曲でいい音で伝えたい。
先日、お酒の席で隣り合わせた方がサックス奏者なのですがリコーダーも大好きということで編曲もしてmidi伴奏でCD作って1000枚売れたそうで盛り上がりついでにCD1枚いただいちゃったのですけれど楽しい工夫がされているCDでした。この人は教育楽器を楽しい音楽として伝えたいというコンセプトでCDを作ったのだそうです。
そういう気持ち大事だと思いました。
私自身、NHK・FMでバロックに出会って、ブロックフレーテが、リコーダーの事だと知らされなければ、同じだったかも知れません。
鳴らせば誰でも音が出る楽器として軽んじられてしまうのでしょうか。常々Papalinさんが仰っていることを思い出してしまいました。誰でも音が出せるかもしれないけれど、美しい音を出せるかということは全く別の次元の問題なのですね。モーツアルトの音楽はド・ミ・ソばかりでつまらない。というのと似ています。
いろいろ難はあるのでしょうが「大きな古時計」、楽しませていただきました。
さいごのフェルマータの後、ため息が聞こえたように思いましたが気のせいでしょうか?
リコーダーという楽器はもちろん古楽器なのでバロック時代やルネッサンス時代の音楽を演奏するのが本来の形です。学校での呼び名も数年前から「縦笛」ではなくリコーダーに変りました。
でも古楽の演奏は決まりごとが多く子供たちには難しかったりします。そこでどんな曲でも演奏できちゃうぞ・・ってことが重要になってくるのです。Papalinさんのようにジャンルを超えて楽しい演奏を聴かせていただけることはリコーダーにかかわる者すべての勇気につながります。
PapalinレーベルでCDを売り出したら1000枚といわず2000枚でも3000枚でも売れちゃうのではないでしょうか。??????
教育楽器としてはリコーダーはそろそろやめにしてお琴やお三味線を。という文部科学省の自分勝手な考えがあるという噂を聴きました。Papalinさんにはそのオリジナリティーでますます頑張っていただきたいと思います。
モーツアルトは可能性を無限に秘めた素晴らしい音楽です。いい編曲だったら良かったのにね・・・
duftさん、ありがとうございます。
それはすごいですね。僕のCDは、それでも、○十枚くらいは出回っていますか。でも、1000枚はすごいですね。定価3000円で300万円。美味しいなぁ。
楽しい・・・でいいんですよね。なのに私はゴネテしまう小さな人間です。
もう少し毒を吐かせて戴きますと、○○風と宣言して編曲するなら、○○を越えて欲しいと思うんですよ。○○以上に○○であってほしい。贅沢ですね。でも、この編曲は、モーツァルトのようではあるけれど、モーツァルトなら、こんなに同じパターンを繰り返しはしません。和音的にも、対位法の語法のお約束をちょっと逸脱したところもあるように思います。簡単な音の編曲でいいんですけれど、こういうところにもっと神経を注いで戴きたい。少なくとも販売楽譜として売るなら、ご自分のもっておられる音楽の知識を総動員して、どうだ!っていうものにして戴きたい。言葉は悪いですけれど、この程度でいいだろうという気持ちが見え隠れしているように思えたんですよね。
aostaさん、ありがとうございます。
日本の一般社会においてはそういう認識が多いと思います。そしてそれに異を唱えるつもりもありません。でも私は、たかが教育楽器なんだけど、こんなこともできるという可能性を皆さんにお知らせしたい・・・という大それたことを考えていますし、少しずつではありますが、考えているだけでなく、丸ごと演奏を公開しています。自分が中学生の頃に音楽の先生の吹くリコーダーの音に感動したように、身近な何かから自分の琴線に触れるようなものがあってもいいじゃないかと思うのです。それでから僕がブリュッヘンのレコードを買ったように、世の中で最高といわれるものの音を耳にしたらいい。だから IL DIVO Papalin はその入り口の一つになれたら最高だと思っています。
aostaさん、続きです。
最後のフェルマータのあとのおふざけ・・・これもヘッドフォンのおかげでしょうか?
舞台裏はつまんない話なんですよ。この楽譜の譜読みをしているときに、フェルマータの和音を見たんですよね。そうしたら、あのサウンド・オブ・ミュージックの「自信を持って」でしたっけ? あの曲のエンディングによく似ていて、パクリだなぁと思ったんです。そして吹き始めて、このフェルマータのところまで来たときに、つまんない編曲だなぁと思っちゃって、自然と出た溜息だったのですね。そういえばサウンド・オブ・ミュージックでも、同じところでマリアが溜息ついてます。これは結果として同じようになったということなのです。最初からの狙いではありませんから。
そのまま公開しちゃうあたりが、Papalinらしいところでしょ? (^_^;)
duftさん、ありがとうございます。
私が中学生の頃から、長野県ではリコーダーはリコーダーでしたよ。クラリネットもオーボエもファゴットも縦笛ですから、こうした総称で呼ぶことには私としては抵抗があります。フルートもピッコロも日本古来の笛も横笛では・・・と思います。
何だかπが3になっていくのと同じ発想のような気がして、日本の教育の負の一端を垣間見たような気がしています。
この人はCDを作るのに300万円くらいかけて実際2000
枚作って売れたのが1000枚家に在庫の山が1000枚だって・・・CDの値段は2500円です。だから儲かってはいませんでした。でもこのCDのおかげで来年秋に表参道で演奏会ができることになったと喜んでいました。
楽しい演奏ですが音色の美しさはPapalinさんにかないません。aostaさんのおっしゃるように美しい音を出せるかどうかは大切なことですね。とくにピアノなど無雑作に音の出る楽器は気をつけなければいけないと思っています。
♪この程度でいいだろうという気持ちが見え隠れ・・
頭が痛いです。Papalinさんの演奏を聴いてすぐにそう思いました。モーツアルトというよりディアベリ(ピアノ連弾楽譜がよく出回っています)を連想しました。お行儀のいい古典のおさらいにちょうどよい小品集です。モーツアルトとはスケールが違いすぎます。モーツアルトはサプライズの人。モーツアルト風で退屈を感じさせてはいけません。悲しくなります。
さすが教育県!
でも指導要領というものはそうはなっていませんでした。自分の考えで先生ができるということは先生にとっても生徒にとっても幸せなことです。
♪何だかπが3になっていくのと同じ発想・・
何かのレセプションかなにかの時に琴の演奏を聴きながら中学生が笑った~~なんてことがきっかけなんだそうです。「リコーダーなんてやってる場合じゃない。邦楽だ」というのが偉い人達の考えなのだそうです。ただでさえ音楽の時間は減らされて困っているのに琴や三味線をやらなきゃならないとすると・・中学校ではもうリコーダーをやらないところがあるとも聞きました。業界としては教育楽器としてのリコーダーの生産をセーブしなくてはなりません。そしてそういうことが話題になるくらいですから、展開は速いかもしれません。
リコーダーを愛する者としては情けながっていても始まりませんから、いいものはいいんだと。美しい音で奏でる斬新な演奏をするしかないでしょう。
プロでもアマでもその人がいいと思って楽しんで演奏していれば心に伝わるものです。
duftさん、ありがとうございます。
ピアノに限らず、そしてまた声もそうですが、どんな楽器でも無造作に音は出るもんだと思います。リコーダーもピアノも、共通点があるとすれば、誰でも何の苦もなしに音が出るということでしょうか。だからピアノもリコーダーも、音にこだわらない人が多いのかも知れませんね。
duftさん、続きです。
2000枚で300万円ですか。
CD制作の値段って、大量生産にかかる費用じゃないんですよね。スタジオ代とか、機材の賃借とか、録音をしてもらうとするとその人件費・技術料とか、そういうのが結構かかる。だからきっと1000枚でも250万円以上とかでしょうね。
僕はシコシコ自分で作っています。家内製手工業だと、ジャケットや曲目一覧を作ったりするのに意外と時間がかかるものですね。
duftさん、続きです。
全く共感です。
モーツァルトは僕にとっては、身近な天才です。でも演奏家に問題があると台無しに成りかねない曲が沢山あります。まさに紙一重のところなのでしょう。
duftさん、ありがとうございます。
きっかけが何なのか、笑ったということがどういうことを意味するのか、僕にはわかりませんが、日本古来の楽器に親しむことはいいことだと思います。箏も三絃も横笛も素晴しい楽器ですね。リコーダーは小学校だけでもいいような気がします。教育楽器でなくても、好きになる人は好きになりますから。中には、音大に入るのに、ピアノ科は倍率が高くて無理そうだからといって、楽器を変える人がいますが、それは本末転倒のような気がします。変えた楽器が好きになれば、それはそれでいいのですが・・・。
中学校では、リコーダーはサークル活動でやればいい。そんな気もします。(^-^ )
リコーダは、日本ではまだまだ子供の楽器と思われているようですが、実は非常に表現力の大きな楽器のように思われます。アーティキュレーション1つで表情ががらりと変わるのですから。また、音の強弱がつけられないといわれますが、少なくともオリジナル楽器や忠実なレプリカ楽器に関してはそのようなことはないと思います。
自称筋肉マンさん、ありがとうございます。
構造的に、音の強弱がつけられない楽器であることは間違いありません。それはレプリカも同じだと思います。ただ、自称筋肉マンさんが仰るように、人間の耳の許容範囲というのがあって、たとえば、ヴィヴラートも一つのデュナーミクを表す手段の一つなんですね。ヴィヴラートの山を、狙いの音程の周波数に合わせることによって、人間の耳は、その音は心地よいと感じることが出来るようです。逆に、谷側をその音に合わせますと、強い大きな音にはなりますが、演歌のこぶしになってしまいます。(^_^;)
デュナーミクのつけられない楽器で、狭い範囲の中でデュナーミクをつけるのが僕の密かな楽しみでもあります。替え指も使えますしね。(^-^ )
お金のかけ方はいくらでも・・きりがないようです。
1000枚で400万円っていうのを聞いたことがあります。ジャケットのデザイン料がプロに頼むと40万円とかね。
Papalinレーベルは手作りがいいですね。
注文したい時はどうしたらいいのですか?
まだ童神と言われた頃のモーツアルトが可愛いお姫様後のマリーアントワネットに「僕が大きくなったらお嫁さんにしてあげる」と言った話。
モーツアルトらしくて無邪気で大好きです。
モーツアルトは一生そんな風に音楽を率直に楽しんできた人のように思います。
音楽ができてよかったね・・音楽を楽しむ事ができてよかったね・・演奏する立場でも聴く立場でも音楽があれば人生は豊かになる。楽器がひとつでもできればそれにこしたことはない。
もし万が一自分が器用かどうかとか音痴かもしれないとか思い悩んでいる人がいたら、まずはやってみればいいのになと思います。シンバルだってトライアングルだって立派な楽器です。
楽器を好きになるきっかけが大事なのだと思います。
音楽にこめる憧れの気持ち。
胸に秘めて少しずつ膨らませてかけがえのないものになるように・・出会った楽器と共に、だいじにしたいです。
duftさん、ありがとうございます。
そうなんですよね。確かにその差は大きいかもしれませんが、僕のCDのジャケットは自分で撮った写真を使います。つまり、何から何まで自分で作ります。お問い合わせはメイルで戴いてます。
<(_ _)>
duftさん、ありがとうございます。
似てるんですよね。その性格。(^_^;)
duftさん、ありがとうございます。
僕は音痴だけど、リズム音痴でもあるので、ボレロのスネアドラムなんて神業です。シンバルだってトライアングルだって、僕にはある意味もの凄く難しい楽器なんですけどね。
悩んでいたらやってみる・・・同意です。
duftさん、ありがとうございます。
楽器を始める子供はみんな持っているだろう気持ち。でも、それを活かすか殺すかは師の資質にかかっていて、楽しいだけじゃない練習についていけるかどうかは、弟の頑張り次第。最近の子供はすぐキレちゃう子が多いようだから、どうでしょうか・・・。
了解しました。
その節はよろしくお願いします
いい性格ですね。
苦労も多いことでしょう・・・
でも音楽が正直にはずんでいます。
音痴っていうのは思い込んだらまっしぐらだったりします。子供の時、特に変声期の時期に心無い大人に「音痴」と言われたとか、朝ちょっといやなことがあったというだけでフラットになったとか、リズム感だてノリのいい日も悪い日もあります。
頭で悩まないで深呼吸でもして笑ってみるとうまくいったりするから不思議です。
♪僕にはある意味もの凄く難しい楽器・・・
どんな楽器でもその難しさがわかってくると思い悩む日が増えるものです。難しいと思うのはやりたいことの奥が深いから・・素晴らしいことだと思います。
キレちゃうこともたまには必要なのじゃないでしょうか?キレるということはそれだけ自分を表現しているということ。欲があるということです。
最近は欲の無い子が増えました。私はその方が心配です。
ただキレてしまった子供を受け止めることのできる大人が減りました。
それからいい子すぎる子を心配する大人も減りました。子供はいい子になる方法を知っているのでストレスを貯めています。これは大人も同じですね。時々ガス抜きをしてやらないと誰でもキレるんだと思います。
音楽の中にはあらゆる感情の要素が含まれています。
子供は子供なりに大人は大人なりに、演奏するにしても聴くにしても音楽にかかわることで精神的に成長できるものだと考えます。
そういえば私と連弾をして家に帰ると優しくなれるお嬢さん。お母さんからお礼のメールをいただいたことがあります。
duftさん、ありがとうございます。
音楽サイトで演奏を聴いて頂くのなら、最低でも64kbpsの音質、できれば96とか128がいいと思います。それ以下だと劣悪な視聴サイトと同じになってしまいます。
duftさん、ありがとうございます。
本当にこれと同じ台詞を言ったことを覚えています。5~6歳の頃。だけど、相手は未来の王妃ではありませんでしたけれど・・・。
duftさん、ありがとうございます。
人間には好みがあるから、人類が生きながらえているそうです。僕みたいなひ弱な人間でも生き残っていられるのはそういうことなのかもしれません。これが動物と同じように、強い=優秀な子孫を残せるという判断だけだったら、僕なんか今頃、両手に余っていたことでしょう。
(._・)ノ コケ
duftさん、ありがとうございます。
表現の仕方が稚拙であることを、
キレる子に大人は諭すべきなんだと、
僕は思っています。
アドヴァイスありがとうございます
私はkbpsをそんなに下げているわけではありません。
500kbps以下ならwebにあがるという基準でエンコーダをかけています。だからさげたとしても128kbpsくらいです。同じバイト数でもピアノの音が完璧に割れてしまったことがあったので使うソフトを変えてみたらうまくいったことがありました。録音段階がよくないのでしょうか?難しいです。
5~6歳の頃「お嫁さんにして・・」は私もありです。でも小さい時に可愛かった男の子、大きくなってもかっこいいとは限らないんだよね。
それが個性ってことでしょうか?
みんなそれぞれ違っていいのだからおもいっきり自分を好きになって自分らしい人生を選びたいものです。
諭す事のできない大人が増えました。
その前に自分がキレちゃうからね・・・諭すというより一緒に考えていけたらいいのかな?なんて思います。これは子供と大人でなくても大人どうしでも同じこと。大人どうしで諭すなんておこがましいから、やっぱり一緒に考えていきたいです。
duftさん、ありがとうございます。
ファイルのサイズと、音質については、違う概念です。
1)音質について
デジタルの音質は、どれだけアナログに近くデジタルで近似しているかで決まります。bpsとは、Bit per Second、つまり、一秒当たり、何ビットのデータで近似するかです。IL DIVO Papalinの場合、それはそのまま、一秒間に何ビットのデータをサーバからパソコンに送るかということと同等になります。
私が書いたのは、一秒当たり64kbitが音楽を心地よく聴くための最低のデータ量ということです。16kbpsとか8kbpsは、劣悪サイト(大抵24bps)以下です。
ではなぜ私がIL DIVO Papalinで128kbpsのファイルのほかに、公称24kbpsのファイルを用意しているかというと、それは、インターネットの回線の能力が低い環境にある方への配慮です。ISDNの電話回線が、64kbpsです。この環境にある人が、128kbpsの音楽を聴くと、ぶつ切れになってしまうからです。
duftさん、続きです。
2)ファイルのサイズについて
高音質にするためには、できるだけアナログのリニアな波形に近づけたいので、当然細かくデジタル化したいわけです。それには当然のことながら大きな容量を必要とします。単純に考えてもいいのですが、同じ曲を16kbpsでファイルにすると、64kbpsのファイルの4分の1になります。128kbpsのファイルのサイズは、16kbpsのファイルの8倍の容量になってしまいます。
16kbpsで490KByteの音楽ファイルの例だと、仮に64kbpsにすると490KByte×4=約2MByte、128kbpsにすると、490KByte×8=約4MByteになります。
こういう大きなファイルを扱ってくれる無料のブログは限られます。ブログ(アップする場)を選ぶべきでしょう。音楽を聴いていただくのに、ファイルサイズが最大500KByteというような制限のあるサイトは使えないと考えるべきでしょう。
duftさん、続きです。
最初はちょっと戸惑いますね。でも、音質とデータ量の関係は比例するってことだけ覚えておいて下さい。耳のいい人のことはわかりませんが、私の場合だと、64kbpsと96kbpsの違いはわかりますが、96kbpsと128kbpsの違いはわかりません。CDの音質が128kbps相当だということで、IL DIVO Papalinでは128kbpsにしています。MDはもっとずっと粗い圧縮になります。つまり音質は悪いです。
ちなみに、録音時に64kbpsでデジタル録音した場合、それ以上のビットレート(96Kとか128Kとか)に上げてもそれは無意味です。
私は「デジタル・レコーディングの全知識」という本で勉強しました。そんなに難しくないと思います。Amazonにもありますよ。この本くらいの知識があれば、ネットで音楽を公開するには充分だと思います。
(^-^ ) ニコッ
最初は難しそうだと思いましたが何度か読み返して私にもなんとか理解できそうです。
まずは大きなファイルをアップロードできるブログを探してみたいと思います。
本も読んでみようと思います。
duftさん、ありがとうございます。
格好よさ・・・年代によってファクターがかわりますよね。(^-^ ) ニコッ
duftさん、ありがとうございます。
頭ではわかっていても・・・ですかね。
duftさん、ありがとうございます。
両者とも大人なら不必要ですね。
duftさん、ありがとうございます。
ちゃんとした本で体系的に学ばれては?
トマス・ゴードンのコミュニケーション論というのをご存知でしょうか?
一時「親業」という本が話題になりました。
アメリカでは複雑な人間関係をスムーズにするためにこんな研究もされているのかと、いかにも合理的なお国柄だと感心しながら読みました。これは人間関係全般に渡る研究ですから大人どうしのコミュニケーションに重きがおかれた研究なのですが、日本では親子関係の方が直面した問題として話題になったようです。
この本の中で「お互いが同格でなければならない」ということが語られています。どちらかが優位に立ってしまった時、その人間関係は先に進む事ができなくなります。
子供が相手であっても大人は考えるヒントを提示するに留め指導的立場を示さない。
そうすることで子供は自分で考え答えを出していきます。その時大人が出すヒントが重要なのですが、大人がなにもかも答えを用意してしまったら子供は考えなくなり自信をなくすのでキレやすくなります。
子供は子供なりの考えを持っています。その独創的な発想で私は感動したことがありますが、そこではじめて大人の側からもメッセージを送ることができ一緒に考えていくことができるのだと考えます。
両者とも大人なら・・とは言っても、これは大人どうしだからこそ難しいのかもしれません。
duftさん、ありがとうございます。
読んだことがないので、わかりません。
私はアメリカで受け入れられているというだけで毛嫌いしてしまう偏見をもっていますので、アメリカモノにはあまり手を出しません。でもどなたかが書かれていましたが、アメリカという世界を牛耳っている国に魅力を感じて世界から集まってくる人が実は優秀なんだと。皮肉ですね。
duftさん、ありがとうございます。
普段の日常生活の中では、duftさんが仰ることはごもっともだと思います。私が最近感じるのは、考えさせるなんて暇も与えず、有無を言わせぬ威圧感で子供に常識を植え付ける大人が減っていることに対する憂いです。
「弱いものはいじめてはいけない。理屈じゃないんだ、いけないからいけないんだ。」という一見無鉄砲とも思えるような教えです。これも人間が育つためには重要なことだと気づきました。そしてそれは日本に脈々と伝わってきた日本人の誇るべき倫理観なのですね。