◆IL DIVO◆ トリオ Op.87 / ベートーヴェン
≪ 生演奏で全曲聴けるページ ≫

Beethoven / Trio for 2 oboes and cor anglais
URL : http://papalin.yas.mu/W203/
◇公開日: 2008年02月15日
◇演奏時間: 20分2秒
◆録音日: 2008年2月 (46歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
不思議なことがあるものです。
新しいグレートバスが来たら、もう一度演奏してみようと思っていた曲がいくつかありました。その中の一番の大曲がこれです。これからやったら後が楽かななんて思って、演奏してみたんですね。そして今こうして、ネットにアップしようと思って、昔の録音のページを見たら・・・不思議です。この曲を以前録音したのは、今からちょうど20年と一日前だったのですね。26歳のPapalinと46歳のPapalin。さて、演奏は変わったでしょうか。写真は前回のもの(26歳当時の写真)を使っちゃいました。(^_^;)
それと、演奏時間なんですが、前回が20分6秒。そして今回が20分2秒。
殆ど変わりないでしょう? これには自分でもビックリです。
でも、楽章ごとに見ますと、こんなに違います。
1988年版 2008年版
--------------------------
第一楽章 8分01秒 7分24秒
第二楽章 4分10秒 5分15秒
第三楽章 3分07秒 3分07秒
第四楽章 4分48秒 4分16秒
--------------------------
合計 20分07秒 20分02秒
速い曲がより速くなって、ゆっくりした曲がよりゆっくりになりました。
ちなみに、第三楽章は、時間こそたまたま同じですが、トリオ部分をゆっくりめに演奏していますので、やっぱり全部の楽章が変わったってことです。
20年の歳月ですかぁ・・・。
★ リコーダーの編成 ★
テノール 全音の桜製
バス メックの楓製
グレートバス キュングの楓製
(2月15日 記)
"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
この記事へのコメント
人間も成長するということなのでしょうね。
20年振りの演奏・・気合の入れ方とか、楽器の種類とかということだけではなく、音楽の語法(お喋りの仕方)が こんなにも違うものかとびっくりしました。
20年前の演奏は少し緊張気味に楽譜に忠実に演奏しているという感じで、いかにも生真面目なベートーヴェンですが、新しい演奏は多少指が回っていなくても
沢山の音楽の喜びが詰まっています。
Papalinの音楽だなぁと思いました。
私自身、振り返ってみれば20年前くらいは、どんなに恵まれた演奏のチャンスがあったとしても自分らしい語法からは遠い演奏をしていたように思います。
いいものはいい。 好きなものは好き。
自由な表現があるからこそ可能性は広がります。
今はそんな可能性溢れる表現に身をゆだねたい
そんな演奏をしてみたい気持ちでいっぱいです。
この演奏は決して派手な演奏ではないけれどリコーダーだということを忘れてしまいそうなくらい、いろいろな表現が自由に歌われていますね。
デュナーミックが生き生きと感じられます。
ベートーヴェンが雄弁に語りはじめたようです。
薫風さん、ありがとうございます。
そうでしたか。(^_^;)
20年前は、Papalin自体も少し緊張気味で生真面目だったのかも知れません。20年も経ちますと緊張も緩み、真面目さも失われ・・・。それじゃぁちょっと悲しすぎますよね。
演奏を楽しむ/楽しんだという点では、20年後に軍配が上がります。20年前はこの曲を多重奏でできた・・・というのが大きな喜びでした。
薫風さん、ありがとうございます。
いろいろやってみるのも面白いですね。全曲で20分×3パートで一時間。練習なしで録音しましたから、2時間くらいでしょうか、3時間はかからなかったように思います。
第二楽章でテナーパート(つまりグレートバスで演奏したパート)に旋律が沢山回ってくるのですが、息が足りなくて、どうしてもスラーで演奏できない。じゃあということで、ちょっと違法の語法を使って演奏してみたら、これがまた面白い。瓢箪から駒・・・ということでしょうか。
リコーダーという楽器、決してデュナーミクできない楽器ではないですね。音程だけちょっと気をつければ、表現力のある楽器に思えてきました。
(^-^ ) ニコッ
さすがの早業ですね。インスピレーションがいきてますね。
♪ちょっと違法の語法を使って演奏してみたら・・・
聴きなおしてみました。中間部の短いスラーの連続のことでしょうか?
デュナーミック豊かに表現されていてドキッとさせられました。
ベートーヴェンの時代から楽器の表現力がずいぶん進歩したように思います。だからこの時代から長いスラーが増えますが音型を考えると語法としては短いスラーでも違法とはいえないと思います。
ロマン派になるとスラーがさらに長くなり長いスラーのなかに短いスラーが書かれているということもありますね。
音楽の流れを見誤らなければリコーダーの表現力を生かした語法が必ずあるはず・・・
そう考えるとリコーダーは心から愛すべき楽器です。
薫風さん、ありがとうございます。
20年前の演奏のブログもしくはそのコメントのやりとりで書いたかもしれませんが、僕がこの曲を初めて聴いたのは学生の頃で、安原力さんという一風変わったオーボエ奏者と、そのお弟子さんと思われる若い女性のオーボエ奏者とN響のちょっとやくざっぽいお顔のコールアングレ奏者の演奏でした。小さなホール一杯に響き渡る力さんの澄んだオーボエの音と、対照的なコールアングレの力強さに驚いたといいますか、感動しました。
そのコールアングレが、ぷすぷす口から息が漏れるくらいのフォルテで演奏されて、すごいパワフルだなぁと思ったものです。
ベートヴェンの音楽は、明らかにそれまでのバロック時代の音楽とは違うんだなぁと、室内楽でも感じた瞬間でした。
ベートーヴェンの時代は音楽のことだけではなく、人の生き方世界観が変ろうとしていた時代だと思います。感情表現も音楽表現も自由な気運が高まって・・・だからベートーヴェンもはりきって曲を作ったのでしょうね。
鍵盤奏者としてはやっぱりピアノという楽器の進歩に感動を覚えました。その感動はなんと言ってもPapalinさんのテーマでもあるデュナーミック。ピアノという楽器の正式名称・・ピアノフォルテ・・。
これはまぎれもなくピアノ(小さい音)と、フォルテ(大きな音)が表現できるという意味ですから。
その前の時代、モーツアルトやハイドンがピアノソナタを作曲したとしても室内楽のイメージが鍵盤に投影されただけだったりします。でもベートーヴェン以降はピアノそのものの音楽になっていくのですね。
人間も個々を大切にすべきだと考え始められた時代。
音も楽器もそれぞれの個性で歌いだした。
そんな自由が美しいということ。
ベートーヴェンは、それを生き方、楽曲とともに最大限、示してくれた人だと考えます。
薫風さん、ありがとうございます。
作曲家が宮廷や教会に帰属して生活するのが当たり前な時代から、同じパトロンとはいえ、そうした権威からある程度離れて生きた作曲家がベートーヴェンでしょうか。
僕はそんなベートーヴェンの音楽の特長としてスケルツォを上げたいと思います。どうでしょう、ベートーヴェンの3拍子って、とてつもなく速いですよね。それまでにはなかったリズムだと思うのですが・・・。
そうそう。
スケルツォってベートーヴェンの個性みたいなものですよね。
風刺 冗談 気まぐれ・・などという表現もベートーヴェンだからこそ堂々と情熱的に主張できたのかもしれません。
「ベートーヴェンとゲーテが散歩していて向こうから高貴な方たちがやってきた。ゲーテは慌てて道を開けようとしたけれどベートーヴェンは道を譲ることなく悠々と歩き続けた。」
私はこのエピソードにベートーヴェンの反骨精神を感じます。そして人は誰しも反骨精神を持ってあるべきだと。それは決して奢った考えではなく本来の自分自身に出会うために大切な事なのだと思うのです。
若い頃にベートーヴェンの音楽に出会った時の感動は人間としての心の成長にも響くのでしょうね。
薫風さん、ありがとうございます。
そういう時代に変わりつつあったとも言えるのでしょうね。それにしても大胆不敵。目は見えていたんでしょうから。
このエピソードはけっこう有名な話ですが、確かにドキドキしますね。ベートーヴェンはどういう態度でこの主張を通したのでしょう。
ゲーテはどちらかというと貴族の管理社会にうまく溶けこんで勤め上げ出世できるタイプ。ベートーヴェンはそんなことには無頓着。
ベートーヴェンはゲーテに
「どうしたんですか?僕達だって同じ人間ではありませんか?芸術を志す僕達はもっと堂々としていましょう」と静かに語ったと聞いています。
お偉い方たちとすれ違う時は会釈ぐらいはしたんじゃないでしょうか。
いくら時代が変りつつあったとしても、まだまだ過渡期。ベートーヴェンの作品もそれまでのスタイルとは一変していますから裏では陰口も言われたことでしょう。自分の信念を通すこと。
今となれば、それが普遍的に感動を伝えるものに成長するとしてもベートーヴェンだって傷つくことも沢山あったのではないでしょうか。
薫風さん、ありがとうございます。
ベートーヴェンに限らず、およそ芸術家とか作家もそうでしょうけれど、あたらなものを生まないと評価されないのが一般的。そういう中での、いわゆる"世間"とのギャップを感じて時には"誰も自分(の芸術)を理解してくれない"とも思ったことででしょう。芸術家、特に音楽家に自ら命を絶ってしまう人が多かったのも頷けます。でも、しっかり後世を見つめていた人、普遍的なものを基準に見据えて創作してきた人々って、やっぱりすごいなぁと思います。ひょっとしたら私たちが知らないだけで、もっともっと凄いことをやってのけた人も居たかもしれませんね。
モーツアルトもベートーヴェンもシューベルトもシューマンも・・・・・
苦悩の中にあった芸術家たちは、みんな感じやすく傷つきやすく。それでも今に生きる私達にこんなにも美しいものを残してくれている。
時に私達も苦しまなければその音楽の真髄には近づけないような気がするのです。
確かに凄いことは凄いのですが、ただ凄いという言葉ではかたずけられない人の想いの深さを感じます。
彼らは決して「凄い」と言われても喜ぶことはない。
もっと密かに心の深いところで彼らを讃え念じていたいと思うのです。
薫風さん、ありがとうございます。
本物ですね。
僕など、褒められたらすぐに木に登って、降りて来られなくなってしまいますもの。(^^ゞ
たとえ木に登って降りられなくなるほど喜んだとしてもその嬉しさと同じくらい傷ついていることだってあるんじゃないでしょうか?
私は複雑な心模様の表も裏も大切にしたいと思います。
モーツアルト「アマデウス」の映画の中で音楽の成功。サリエリの思わくはともかくとして、陽気にふるまうモーツアルトの心の底にはいつも影があるように思いました。
近々「エリザベス」を見にいこうと思い、前作「エリザベス」の前編を見ました。
この映画全体にルネッサンスの香がただよいリュートやリコーダーの楽隊。演奏にダンス。びっくりするくらい濃厚なダンスを見ることができます。
恋多き、乙女心を封印して石のような女性君主として成長していくその心の変化は凄まじいものがあって
凄いと讃えられれば讃えられるほどに言葉では言い表せることのできない苦悩を想います。
この歴史がなかったら今のイギリスは在りえないでしょう?
「エリザベス」そろそろ封切りされているはずですので後編を見るのが楽しみです。
薫風さん、ありがとうございます。
え、そんな映像が出てくるのですか?
まるでつくばのアンサンブ夏合宿みたい。
第一作、是非観てみたいと思いました。
後編(?)は、もう封切になってますね。
是非一度観てみて下さい。
愛や恋に音楽はつきもの・・・
そんな場面には必ず楽隊の調べが聴こえてきます。
以前Papalinさんが演奏した、私も好きな曲なんですがスザートも流れていました。
後編は今日、明日にでも観る予定です。
薫風さん、ありがとうございます。
良さ気ですね。何度もお勧め下さり、
ドモヽ(∇⌒ヽ)三(ノ⌒∇)ノドモ