阿波の國 徳島 3月16日 (3)
大塚美術館の付加価値を思い切り絞ると、最後の晩餐でしょう。
世界広しといえども、椅子に腰掛け、正面を見ると最後の晩餐。翻って背後を見ると、違った最後の晩餐・・・というのは、大塚美術館だけでしょうね。こんな美術館がどこにありましょう。二重丸です。徳島の人に声を大にして僕は言いたい。これだけで3150円の価値があるでしょう!
上の写真は、修復以前の、私たちがよ~く知っている最後の晩餐です。そして科学と技術の粋を結集して復元されたレオナルドの最後の晩餐は下の写真。
僕らの年代だと恐らく上の最後の晩餐がしっくりくるのではないかと思います。僕は修復された下の絵を見たときに、これは違う、ダ・ヴィンチではないと思ったくらいです。そのくらい上の絵に"慣らされて"しまっていたのです。
科学の力によって、原画は10年と持たない画材で描かれていたものと判明し、それゆえ、五百年にも渡って、何人もの修復士がこの絵を"アレンジ"し続けてきたこと、中には修復ではなく、自らの絵に変えてしまった作業者もいたようです。
イエスの袈裟(?)は鮮やかなブルーだった。
イエスは口を閉じていなかった。
背後の壁らしきものは実はタペストリーだった。
弟子たちの顔は実はこんなに違った。 など。
そういうことが明らかになったのは、喜ばしいことでもあり、一方では私たちの認識が足元からすくわれてしまったような悲しさもあります。悲しさというか、僕の場合は、うろたえる心をどう理性的に落ち着かせたらいいのか、戸惑いさえしました。違和感、違和感、違和感。去年も、そして今年も。だけど、本当はこうだったんだって認めざるを得ない。そのジレンマ。
僕はまたこの部屋で随分と長いこと立ち止まってしまったのです。
ほらね。
これだけだと、Papalinらしいブログぢゃないので、締め括りはこれ。
この美術館に訪れたら、誰もが用を足すでしょう。
その時間さえ、楽しませてくれるのです。
そう来たら、女性の方も知りたくなります。
さすがにそれは確認できませんでしたので、男性の方で・・・。
でも、これじゃ用を足しているときに見えないよなぁ・・・・・。(^_^;)
まだ書きます。
つづく (3月27日 記)
世界広しといえども、椅子に腰掛け、正面を見ると最後の晩餐。翻って背後を見ると、違った最後の晩餐・・・というのは、大塚美術館だけでしょうね。こんな美術館がどこにありましょう。二重丸です。徳島の人に声を大にして僕は言いたい。これだけで3150円の価値があるでしょう!
上の写真は、修復以前の、私たちがよ~く知っている最後の晩餐です。そして科学と技術の粋を結集して復元されたレオナルドの最後の晩餐は下の写真。
僕らの年代だと恐らく上の最後の晩餐がしっくりくるのではないかと思います。僕は修復された下の絵を見たときに、これは違う、ダ・ヴィンチではないと思ったくらいです。そのくらい上の絵に"慣らされて"しまっていたのです。
科学の力によって、原画は10年と持たない画材で描かれていたものと判明し、それゆえ、五百年にも渡って、何人もの修復士がこの絵を"アレンジ"し続けてきたこと、中には修復ではなく、自らの絵に変えてしまった作業者もいたようです。
イエスの袈裟(?)は鮮やかなブルーだった。
イエスは口を閉じていなかった。
背後の壁らしきものは実はタペストリーだった。
弟子たちの顔は実はこんなに違った。 など。
そういうことが明らかになったのは、喜ばしいことでもあり、一方では私たちの認識が足元からすくわれてしまったような悲しさもあります。悲しさというか、僕の場合は、うろたえる心をどう理性的に落ち着かせたらいいのか、戸惑いさえしました。違和感、違和感、違和感。去年も、そして今年も。だけど、本当はこうだったんだって認めざるを得ない。そのジレンマ。
僕はまたこの部屋で随分と長いこと立ち止まってしまったのです。
ほらね。
これだけだと、Papalinらしいブログぢゃないので、締め括りはこれ。
この美術館に訪れたら、誰もが用を足すでしょう。
その時間さえ、楽しませてくれるのです。
そう来たら、女性の方も知りたくなります。
さすがにそれは確認できませんでしたので、男性の方で・・・。
でも、これじゃ用を足しているときに見えないよなぁ・・・・・。(^_^;)
まだ書きます。
つづく (3月27日 記)
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この記事へのコメント
ワタシは復元前の褪せた方が好きかな?
俗的な発言ですが
ワタシはどうしてもヨハネが
マグダラのマリアに見えて仕方ないです
(ダヴィンチコードの影響出てしまってます)
最後の晩餐の修復前と修復後は素顔の私と化粧後の私のように全くちがっております。私も「修復前」の姿に見慣れていたので、「修復後」のものは何だかのっぺりとした印象で、当初とても違和感がありました。でもダ・ヴィンチが描こうとしていた生き生きとした彼らの姿が今では好きになりました。というのも、昨年の上野の「受胎告知」展で、最後の晩餐における弟子たちの動きとかグループ化を科学的に(?)説明したりしていて色々と納得したんですね。
ヨハネはどうしても女性的に描かれますね。
でもこれがマグマリちゃんだとするとヨハネくんはどこいっちゃったんだろう。トイレ?(結局トイレに戻る・・・)
Papalinさんのかわりに
♀WCレポート提出しませう(笑)
unaさん、ありがとうございます。
僕もダ・ヴィンチ・コードの影響があります。
ヨハネ、どう見ても女性ですよね。
もっというと、イエスも女性的な優しい表情をされています。
Fu Shuseiさん、ありがとうございます。
後世の修理屋さんたちが、ダ・ヴィンチの色ではない色を使って描いてしまったというのは残念です。使徒たちの表情も全然違っていて・・・。でも、それほどまで痛みが激しかったのかもしれませんね。
新しい絵にも、大分慣れました。(^-^ )
沙羅さん、ありがとうございます。
なるほど、素晴しい解釈です。
最後の晩餐の絵に向かって右端にいるシモン。修復された絵では別人のようです。ギリシャ時代の哲学者を彷彿するような顔立ちですね。
unaさん、恭悦至極にござりまするぅ。
苦しゅうない、良きに計らえ。
どっちがお殿様じゃ?
どちらかといえば地味でこじんまりとした教会の薄暗い礼拝堂。寒々とした空気とほのかな光の中でこの絵を見ていると、時間に話しかけられるような不思議な感動がありました。剥落や退色の後も時間の流れ、歴史そのもを語るかのようでした。
後年、修復がなされ、(それも確か日本人のグループによる修復技術が一役も二役も買ったようなのですが)新たに蘇った「最後の晩餐」は、あのときのイメージと大きくかけ離れていました。色はともかく、キリストや使徒たちの表情は、今でも復前の方がより内省的だと感じてしまいます。最初の刷り込みが強かったのかもしれません。(笑)
aostaさん、ありがとうございます。
この絵は2つあるんでしたっけ? どこぞの食堂にあるとか・・・勘違いかな?
私たちは修復前の絵を見過ぎましたね。
初めてこの絵と接する若い人たちは、どんな印象をもつのでしょう。
一つの部屋に修復前と修復後があるというのをとても楽しみにしていました。
この冬、私は、イタリアで最後の晩餐を観たばかり。
最近観た絵の方が懐かしくもあり、なぜか、修復前の絵に懐かしさを覚えたり・・
修復前の絵が完全に刷り込まれているんですね。
でも、本物の臨場感を出すなら、この絵が一つの部屋の中に描かれ、サイドの壁にも絵が描かれている方がいいなと思いました。
システィーナのような展示を環境展示方法といって、実物の空間の広さも再現している展示なんだそうです。だから最後の晩餐も!と思ってしまいました。
初めて観た「最後の晩餐」にいたく感動したので。
lavieさん、ありがとうございます。
それはちょっとおねだりし過ぎでしょう。
ププッ ( ̄m ̄*)
システィーナ礼拝堂はそのもの全てが絵画という芸術で占められていますから、大塚さんの狙いと一致したものと言えるでしょう。