◆IL DIVO◆ ナンシー / トマス・モーリー
≪ 生演奏で・すぐに・全曲・高音質で聴けるページ ≫
Nancie / Thomas Morley
URL : http://papalin.yas.mu/W224/M007/
◇公開日: 2008年09月06日
◇演奏時間: 1分4秒
◆録音日: 2008年9月 (47歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
アマチュアのリコーダー・アンサンブルの、悪魔のサイクル。
リコーダーが上手に吹けるようになってくると、指がまわるようになります。
→ 憧れのバロックのソロ・ソナタなどを演奏するようになります。
→ ルネサンス時代のリコーダー・アンサンブルにも興味が出ます。
→ 指の回るのを活かして、難しい曲を演奏します。
→ こうした「初級編」のような曲集には見向きもしません。
→ では初級編の曲を心地よく聴かせてくれるかというと、そうでもありません。
リコーダーを始めて習い始める人たちが、アンサンブルに挑戦します。
→ オリジナルに近い、こうしたルネサンスの比較的簡単な曲を演奏します。
→ 指使いも慣れていなくて、自分のパートを何とか演奏するのが目的になります。
→ リコーダーは運指なんて二の次で、正しい音程は自ら作り込んでいくのですが、
ビギナーたちは、そういうことを、なかなか教えてもらえません。
→ 結果として美しいハーモニーになりません。
北御門さんが、前文の中で、特に第3音に対して、厳しくというかこだわりを持って書かれています。これこそ、リコーダーのアンサンブルの素晴しさの一つだと。まったく同感です。プロの上手い人たちの演奏は、ハーモニーがとっても美しい。もちろんテクニックもあるから、鬼に金棒ですね。僕はその逆はありえないと思っている人です。ちなみにプロはこれらに、音楽心が加わります。ここは聴き手の感受性に大きく左右されるところで、当然好き嫌いはあるのですが、その領域に到達する以前に、箸にも棒にも引っかからないような演奏をする人が中にはいます。その方々は、例え音楽を生業とされていたとしても、音楽のプロとは呼べないですね。(^_^;)
音符や楽譜だけを見ていては、演奏の幅に限界があると思います。色んな芸術、もっといったら、雑学に長けていること、全然お金とは結びつかないような心の豊かな人生を送っている方、そうした方の"音"って、とてつもなく心に響いてきます。何が大切なのかということでしょうか。
さて私はというと、最近ハーモニーがよくわからなくなってきました。
こだわれば、こだわるほど、難しい世界です。まだまだ全然ダメです。
使用楽器
ソプラノ モーレンハウエル グラナディラ製
アルト メック 黒檀製
テノール 竹山 楓製
バス メック 楓製
"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
この記事へのコメント
>色んな芸術、もっといったら、雑学に長けていること、…心の豊かな人生を送っている方…の"音"って、とてつもなく心に響いてきます
そうなんですよね。これって音楽にだけ言えることではありません。幅広い基礎力の上にこそ応用力のある専門の力が成り立ちます。そういう意味で、最近の日本の教育の方向は間違っていると思っています。好きな科目を選択して、好きな科目の力を伸ばしていけば、専門家が生まれると思っている。そしてそれが個性を伸ばすことだと。でも基礎力という土台を築かない内にそんなことをしても「砂上の楼閣」だと思っています。
nyankomeさん、ありがとうございます。
その通り、同感です。
今の日本の教育が間違った方向に進んでいるという警告を鳴らしている方が何人かいらっしゃり、実際に教育のご担当にもなって変えようとされるのですが、残念なのは、教育界出身の方々が聴く耳持たずという状況のようで、四面楚歌になってしまっているようです。
例えば、算数が苦手な子に理解を示し、他の得意な教科を伸ばしてあげる・・・なんてのは大間違いで、九九なんかは四の五の言わずに、右も左もわからない子供の頃に叩き込まないといけないと思っています。七の段なんて大変でしたよ。おかげで九九は忘れません。
スーパーのレジで、インプットはバーコードを読ませ、客からお金もらって、おつりはレジが計算してじゃらんとレジから自動でお釣りが出る・・・こんなの見ますと、この国の将来を憂いでしまいます。(^_^;)
簡単な曲だからというのは、軽んじられる理由にならないと私も思います。むしろ単純な曲、技術的に平易な曲に深く共感することが少なからずありますもの。
単純であればあるほど、演奏する側にも聴く側にも、より豊かな感性が必要とされるような気がします。
aostaさん、ありがとうございます。
音楽も絵も、聴く人観る人という人格があってこその芸術なのかも知れませんね。発する側から放たれたものを、受け取る側がその人の人生でもって受け止める。う~ん、浪漫だなぁ。