◆IL DIVO◆ 神はわがやぐら (プレトリウス)
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Ein feste Burg ist unser Gott / Michael Praetorius
URL : http://papalin.yas.mu/W224/M007/
◇公開日: 2008年10月26日
◇演奏時間: 1分
◆録音日: 2008年10月 (47歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
テルプシコーレで有名な作曲家です。でもこの曲は歌曲でしょう。
使用楽器
アルト メック 黒檀製
アルト メック 黒檀製
テノール 竹山 楓製
バス メック 楓製
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この記事へのコメント
キャロルのように聞こえますね。
マタイの福音書からとられたこの曲も、宗教改革記念日の賛美歌として歌われています。どこかで聴いたことがあるはずです(笑)。
テレプシコーレ、好きですよ。
いつかPapalinさんのリコーダー演奏で聴かせていただけたら、と思います!
讃美歌集では、ルター作曲、となっていたように思います。二人とも同時代の人ですし、プレトリウスの曲に基づいてルターが編曲したということなのでしょうか。
白状すれば、賛美歌で歌った時はこんなに美しい曲だとは思いませんでした。
nyankomeさん、ありがとうございます。
なるほど。確かに。
僕が、4フィートの楽器を使うか、8フィートの楽器を使うか。それは殆ど直感です。でも大概において、後悔とか、やり直しはありません。ナルシストなんでしょうね。
ププッ ( ̄m ̄*)
aostaさん、ありがとうございます。
そんな記念日があるのですね。
キリスト教はすっかり忘れてしまいました。
\( ̄゜ ̄)/どたぁ..
aostaさん、ありがとうございます。
教会で使っている賛美歌集は、音楽的には稚拙なものですからね。それに現場で歌われる賛美歌に、アンサンブルの楽しみはありません。これらの曲が生まれた宗教の伝播の場所で、これらの曲が軽んじられているのを目の当たりにしたPapalinは、教会離れをしてしまいました。全く後悔していませんけれども。(^-^ )
ひとつ大きな発見がありました。
クリスチャンの歌うキリスト教の歌よりも、非宗教的な合唱団の歌う宗教曲の方がはるかに宗教的であること。大発見でした!
「神はわがやぐら」と「マタイ」のコラールを聴かせていただきました
こちらの"IL DIVO"には、よくアクセスしており、そのたびに思うことはあるのですが、普段は大体、島酒(泡盛)の飲みすぎで、コメントすることもままならず…
書いたのですが500字をオーバーしたようで次に続けます。
既に書き込みのある Aostaさんと(多分)同様で、私もこの曲はルター作曲と思っていたのですが(普通の(?)教会で使っている讃美歌曲集には確かに"Martin Luther 1592"と書かれています)--プレトリウス作曲でしたか(眼から鱗)。
編曲は少々違うにしても、この曲は私がかつて高校生(!)であった時から何故か背筋を立てさせるような思いがあります。私が少々長じ、祖父の何年忌だったか、
大阪市のとある教会で(私は沖縄在住ですが、実は大阪市生まれ=告白してしまいましたね)、この曲をうたった記憶があります--この曲を聴くたびに「ああ、オレもチャンとしなくては」などと・・・
宗教の力は社会的には絶大なのでしょうが、音楽の力もまた…(私は既存の宗教に帰依していることは断じてありませんが、もしも私の中に「宗教心」のようなものがあるとすれば、それは音楽の力…)
またまた字数オーバーで次に続けます
長々と申し訳ありません、3部作の最後?--これで終わりですが・・・
さて、今晩はいつもと違ってこちらにアクセスするのは少々早めなのですが、明日も「Back to the Future」の映画セリフの一節のように日曜日の朝の説教をする牧師のごとく朝一番に"しらふ"で仕事をしなくては・・・
重ねてありがとうございます
>もしも私の中に「宗教心」のようなものがあるとすれば、それは音楽の力…
このGeminiさんのお言葉に強く共感いたします。
Papalinnさんの音楽に通低する深く宗教的な敬虔は、特定の宗教への信仰に帰するものではないと思います。そしてだからこそ、多くの人が、より普遍的に深化した宗教的敬虔を体感できるのではないかと常々思うところでありました。本来宗教(信仰)は、魂を呪縛したり偏向させたりするものではなく、解放へと導くものであると思います。そして音楽は、本当に深いところで魂を解放し、輝きへと導くものだと思います。
まさしく「音楽の力」であり、「音楽の神秘」です。
もっとも最近は、私も泡盛ならぬビールでの「解放」を経験することをおぼえましたが(笑)。
http://santa-cecilia.blog.so-net.ne.jp/2007-12-24-2
私もaostaさん同様カトリック圏の人だと思っていたのでプロテスタントと知った時は驚きでした。
プレトリウスの"In dulci jubilo"は本当に敬虔で豊かなクリスマスの喜びを感じさせてくれる曲です。(これはいろいろな人が編曲していていますが。)
又「神はわがやぐら」はメンデルスゾーンの「宗教改革」にも使われていますね!
http://santa-cecilia.blog.so-net.ne.jp/2008-06-09
Papalinさんのこの演奏、宗教曲というより踊りの曲みたいで楽しいです!
Geminiさん、ありがとうございます。
どうぞ、遠慮なさらず、仰って下さい。
あ、美味しい泡盛が原因でしたっけ?
僕も安い酒ですが、「千年の響」というの飲んでいます。ちなみに、「百年の孤独」は、こちらでは一万円します!
Geminiさん、ありがとうございます。
少年Genimiが目に浮かんで、思わずパソコンの前で笑ってしまいました。
みなさんが仰るので、本当にプレトリウスだったか、思わず楽譜を確かめてしまいました。この楽譜ではそう書いてありました。
私も特別な宗教は持っていません。信仰と呼べるようなものもありません。でも、キリスト教の宗教曲は大好きです。どの作曲家も、同じ歌詞(典礼文)に基づいて曲を創造してきたというのは、これ以外にはないでしょう。音楽家の信仰心であり、宗教心なのでしょうね。
Geminiさん、ありがとうございます。
何ヶ月振りかで、かかりつけ医(もちろん女医さん)に行って参りました。飲みすぎについては散々お説教をされました。想定内でしたが。(^_^;)
帰ってきてから、昼間からプシュ! っとやっている自分は、意志の強い(弱いではありません)人間だなぁと、言い訳しています。
変なお返事になってしまいました。
aostaさん、ありがとうございます。
音楽とはそういうものなのでしょうね。それはハードなロックであっても、民謡であっても、民族音楽であっても、古代の祭りの太鼓であっても、きっとそういうものだと思います。
西洋ではギリシャ時代に、音楽は数学などと並んで、一つの学問だったようですね。確かに、1オクターブの謎は、科学的には説明がつきません!
Ceciliaさん、ありがとうございます。
中の人(キリスト教の中にいる人)は、カトリックとプロテスタントを必要以上に別物のように扱う傾向があるように感じています。プロテスタントが世の中に現れたときにはカトリックという言葉もなければ、プロテスタントもなく、どちらも"正しい"キリスト教という宗教であったはずで、相互に否定したらキリスト教自体がなくなってしまいます。
音楽も、プロテスタントだからといって、カトリックの音楽を否定する筈もなく、また一線を画す必要もなかったのではないでしょうか。
すべてひっくるめて、僕が演奏すると、舞曲になっちゃいますね。(スゴイ論理の飛躍)
今晩はGeminiです―PCの前で思わず笑われたのは
・いい歳をしたGeminiが少年だったころを想像して…
・いい歳になっているのにいまだに少年のままのGeminiを想像して…
どちらでしょうね?
-どちらもまた、然りかも…
ただ、たとえばバッハの同名・同モチーフのカンタータを聴くと
宗教とは無関係に、今でも背筋が伸びる思いがします―
このコラールは、もし宗教的色彩(と見なされるものでなければ)、
是非、以前の仲間には伝えたかった曲でした。
音楽と宗教―それは「音楽と政治」とも相通じるものがあって、
Geminiがホントに少年であった頃、
あるフランスの哲学者が、当時ソビエト連邦の哲学者との論争で
「侵略者(強者)の凱歌は、また同時に弱者(組織されていない民衆)へのレクイエムである」
という意味のことを書いていました
(イイ歳ですので、同じ事を以前にも書いたかもしれませんが、ご容赦を…)
この論争の大哲学者たちを向こうに回すつもりはありません。しかし、同じ事を歌っていても、意味が違う場合もあれば、
どのように立場が異なっていても、同じ気持ちを伝える音楽があるだろうな…
ともあれ、Papalinさん、いつもありがとうございます。
以前"In dulci jubilo"(「甘き喜び」。クリスマスの讃美歌ですね。)についていろいろ調べていた時にプレトリウスが出て来ました。
この曲はバッハのブクステフーデも・・・とにかくいろいろな作曲家が編曲しています。
このような感じでプレトリウスは「神はわがやぐら」を編曲しているのだと思います。
ルターについてですが、確かルターは俗謡をコラールにしていたような記憶があります。
はっきりしたことは言えませんが・・・。
この曲もそうなのだと思います。
この辺は検索すればいろいろ出てきそうです。
Geminiさん、ありがとうございます。
そちらも違います。(^-^ )
Geminiさんが少年だった頃に、いっと背筋を伸ばしてこんなことを思っていたんだなぁと想像してクスッと笑ったのです。
Geminiさんが、泡盛を楽しまれて書かれたコメントって、何となくわかります。いつものキレよりも、楽しさが前面に表れていて好感です。おっと、キレのあるコメントも好きですよ。
かくいう私も、ビール3本を既に平らげ、現在は水割り3杯目でございます。(^_^;)
以前の仲間と、また復活されては?
Geminiさん、ありがとうございます。
さて、難しいコメントを頂戴しました。
この場合のレクイエムとは、鎮魂という意味でしょうか、それとも死者のためのミサ曲?
このフランス人の言葉には、前後の脈略なく、ただ単にこの言葉から受ける印象としては、冷静さを欠いた姿を想像します。それが政治的であり、宗教的であるのかもしれません。
ところでこの曲は一体何でしたっけって、他人事のように、IL DIVOの演奏を聴きなおしたPapalinでした。(^_^;) (^_^;)
Ceciliaさん、ありがとうございます。
それだけ、原曲(メロディ)が美しく、素材に魅力が溢れているということの表われですね。作曲家冥利に尽きるといえますね。
奇をてらうわけれはないのですが、既存の演奏にとらわれない自由な解釈をしたいと思っています。そのために一番いいのは、世に溢れているCDを聴かないってこともあります。もちろん、自分が歌ったり演奏したりというときにです。僕は、憧れは大事だと思っていますが、その人の演奏をゴールにしたら、レプリカに過ぎません。そしてそれは大抵において、原作を凌駕できません。楽譜からのインスピレーション、大事だと思っています。
良い演奏をたくさん聴くことを否定しているわけではありません。念のため。