◆IL DIVO◆ 「ゴールトベルク」から 第13変奏
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Variation 13
URL : http://papalin.yas.mu/W218/M988/
◇公開日: 2009年01月02日
◇演奏時間: 5分49秒
◆録音日: 2009年01月 (47歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
第13変奏です。
今日も全然インターネットが使えませんでした。
元日、そして今日も、プロバイダーの方が見えて、対応して下さいました。
技術者っていいですね。事実に基づくことしか言わないから、
つながらない原因がどこにあるのか、なぜなのか、理解できます。
「・・・かもしれない」でもいいんです。
なぜ「かもしれない」なのかを説明してもらえると僕は満足します。
それを隠されると不満に思います。騙されているみたいで。
おっと、これは昨日のブログそのものですね。
言葉の足りない人は、おうおうにして、専門用語しか知らない人。
言ってもわからないだろうと、最初から説明を放棄してしまっている人。
それに対して、説明の上手い人は、専門用語を知らない人に対しては、
専門用語を翻訳してわかりやすい平易な言葉に置き換えたり、
例えを使って伝えられる人ですね。
僕は後者をエンジニアだと思っています。
難しい言葉を連ねて喋る人は、結局自分に自信がない人です。
そういう人には、自分の知っている専門用語を、知らない振りして尋ねてみると、
その人の理解力を知ることができます。
そうして会話の最後に差し掛かったところで、
会話の中には出てこなかった専門用語を発してみますと、
反応を楽しむことができます。(いやな性格!)
技術の世界だけでなく、宗教の世界も似ていました。
その宗教の専門用語を、他の容易な言葉に置き換えることができない人たち。
その宗教でもっぱら使われる言葉だということを
客観的に理解していない人も見受けられます。
僕が教会に通っていた頃に、何人かのそういう人たちとお目にかかりました。
他の言葉で置き換えることができない言葉を、
その人たちはどうやって理解するのでしょうか?
この手の人たち、僕はかなり苦手です。
おや話がぶっ飛んでしまいました。(^_^;) 第13変奏でした。
今回の演奏は、本村先生流にいいますと、全て”ありあり”で演奏しています。
つまり、前半も後半も繰り返して演奏しています。
曲によっては単純に繰り返すのではなく、1括弧2括弧もあるわけで、
それを省略してしまうのは、バッハがくれた音を省略しちゃうわけで、
もったいないです。
グールドのCDも、他の方の演奏でも、繰り返しなしが一般的ですか?
CD一枚に収まらないから? なぜでしょうね。
今までの変奏曲の中で、多分一番演奏時間の長い曲だと思います。
アリアよりも長いと思います。でも、長くても秀逸な曲です。
しみじみと演奏したのですが、焦って演奏しているところは、
やっぱりコケています、申し訳ないです。
高音は久しぶりのアルト・リコーダーです。
テナー・リコーダーは、低い音を担当させたので、竹山よりも低音が響く
全音の桜を使いました。こうした使い分けもちょっとしたこだわりです。
使用楽器
アルト・リコーダー メック:黒檀
テナー・リコーダー 全音:桜
バス・リコーダー メック:楓
グレートバス・リコーダー キュング:楓
コントラバス・リコーダー キュング:楓
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この記事へのコメント
ichiさん、ありがとうございます。
単独の曲が一つひとつの駒で、それらが群をなして、そしてそれらが中隊をなして、そして全体を構成する・・・そういう体系的なのって好きじゃありません? 僕はかなり好きです。
僕はテンポをどうやって決めるんだろうなぁ? 耳に残っている誰かの演奏は参考にしていることは間違いありませんが、必ずしもそれらの演奏のテンポコピーではないよなぁ。演奏する前には誰かのCDは絶対に聴かないから、やっぱり楽譜のにらめっこしてテンポが自然に決まるんだなぁ。(山下清口調で・・・)
☆☆僕は後者をエンジニアだと思っています…
★★私は後者がチャンとしたscientistと思います
私の仕事は理系で(エンジニアリングそのものではないですが-)同僚・同業者を見ていると、専門外の人に対しても、自分の分野の厳密な専門用語に拘泥する人もいるようですね。私は、「ウソも方便」とばかり、若い仲間に分子運動をヒトの恋愛や経済原理に例えて説明するのですが、そのような人達は学問の厳密性を楯にこれを断固拒否するのですね。ハァ~…どちらも大事なのが何故分からないのかね(ワジワジ)
超過してしまいましたので続きです
☆☆繰り返しなしが一般的ですか?
大昔のワンダ・ランドフスカは、当時の常識に疑問を持ち、原点を尊重すべきということで「律儀」に「楽譜どおり」すべて繰り返していたようですね-これが現在のバッハ演奏の原点と聞いています。ただ、私にはその反復が却って耳障りに感じます-「完全な」反復ですから("原典通り"がドグマ)。
時代は過ぎ、LD(!)の"Glenn Gould Collection"のどこかで、GG自身が81年のゴルトベルクの多分#18に触れて、録音スタッフたちに、"この部分は繰り返しをする意味があった、最初と反復に性格的な対比ができたので"という意味のことを云っていました。
…反復に意味を感じないうちは反復すべきではないということでしょうか
Geminiさん、ありがとうございます。
Geminiさんの例え話を聞いてみたいです!
そのうち沖縄に行ってGeminiさんにお会いしたいと思います。ヒトってカタカナで書かれたところがScientistだな~なんて思いました。(^-^ )
物事に例えられるかどうかは、原理原則がきちんと理解しているかどうかにもよりますね。あとは、例え話だとどこが違うのか、その相違点まで理解していることでしょう。もっともそれを理解してないと、例えられませんからね。
> どちらも大事なのが何故分からないのかね
(ワジワジ)
同意です!
Geminiさん、ありがとうございます。
そうです、グールドのレコードでは、確かこの曲だけ、しかも前半だけだったと記憶していますが、リピートしています。そういう理由だったのですね。
僕は、リピートには単なる繰り返しとか回帰という意味はないと思っています(思い込んでいます)。2度目に出てきたときには、雑に言ったら、1度目に感じたことと、2度目だから感じられることを対比してみたい・・・と思ってます。それが表現として、即興的な装飾音になたり、過度の違和感を覚えない程度のアーティキュレーションだったり。そしてそうして演奏したものは、自分にとって楽しいのですね。
> …反復に意味を感じないうちは
> 反復すべきではないということでしょうか
僕のリコーダーの先生である本村先生は、上記のような僕の考え方は違うと仰っていますが、基本的に"ありあり"を支持されてます。(URL)
グールドが商業主義だったかどうかは定かではありませんが、CD1枚(Max80分)という制約はあったと思います。それにやっぱり長い曲ですしね。
☆☆商業主義だったか…
揚げ足をとるみたですが、GGの81年版はデジタル録音ながら、CDプレーヤとソフトが日本で初めて発売されたのが82年10月、アメリカその他では83年です。
私が持っているLP(Sony国内版)には82.12.2に購入というメモがあり、同じ時期に録音したハイドンのソナタ集のLP(独CBS)も82.10.16に購入です。
ソニー(約80分)とフィリップス(約60分)のCD規格についての駆引きの決着はこれらの録音後の81年6月です。つまり元来LPが最初に発売され、そのときCD80分の制約は、ないはずです。
また、仮にGGやCSB-Sonyがこれらの録音を何時かCD化することを念頭においていたとしても、ピーターゼルキンの1986.3録音のゴルトベルクのように2枚組み(イタリア協奏曲とセット)として発売する手立ても考えられます。
ということで、GGが反復をするか否かは、ソフト上の問題ではなく、音楽的なチョイスではないのか知らと、個人的には思っています。
…長くなってスミマセン
★★音楽的なチョイス…
またまた反復のことになりますが、
GGの1957.5.12のモスクワのコンセルバトワールでのライブ演奏でゴルトベルクを、#3,#18,#9,#24,#10,#30の順番で抜粋で演奏(7分半程)しています。前5曲は前半部は反復あり(対比・めりはりの利いた良い反復)ですが、後半部は反復なし。ただし#30クォドリベットだけは全て反復です。
全曲演奏ではなく、この程度の演奏時間ですから、全て「ありあり」でも問題ないはずですが、ということはやはり、反復の有無は彼自身の音楽的なチョイスではと…
ちなみに先のコメントのランドフスカの記述は私の勘違いでしたので撤回します(スミマセン)。
なお、先ほどのピーターゼルキンの1986録音ではさすが2枚組みということもあって(全部かどうかは確認していませんが)基本的に全て「ありあり」です。
Geminiさん、ありがとうございます。
仰る通りだと僕も思っています。
音楽家と音楽業界屋は、どちらが力があるかが大きな問題のようですね。グールドなら、どんな業界屋をしても、彼の芸術を時間的制限から抑制するなんてことはできないでしょう。彼自身が商業的な面を考慮したかどうかはわかりませんが・・・。
一方でカラヤンなんかはLPレコードやCDの最長収録時間を意識した演奏を積極的に考えて実行した人、そういうことをもって、彼は音楽を売ったという人もいますが、CDがこれだけ普及したことには彼の功績が非常に大きかったことは否めませんね。
Genimiさん、ありがとうございます。
グールドに関しては、Geminiさんが紹介して下さった彼の言葉「この部分は繰り返しをする意味があった、最初と反復に性格的な対比ができたので」が全てを物語っているように思います。
私もそれは正しいと思いますが、逆をとっての「反復に性格的な対比ができなければ反復の意味はない」は違うと思います。
今晩はGeminiです。いつもご丁寧なお返事ありがとうございます。
何かを比較するとき、相違点に目を向ける仕方と類似点を見つけようとするやりかたがあるのですが、私はどちらかといえば後者でしょうか(一般にはどちらが多いのか知ら…Papalinさんの意見と私見にはさほどの違いはないように思え、多分Papalinさんも…と思っているのですが)。
コトバ不足だったかもしれませんが、反復には常に対比が必要とは思っていません(誰が云ったか忘れてしまいましたが、反復-特にモーツァルト-を常にエコー<2回目を小さく>にすると煩わしい)。私は演奏者が是とするなら、対比のない完全なる同型反復もOKです。
--多分字数オーバーになりますので次へ
長文スミマセン…
明日は久々の休日で、少々飲りすぎ…?
作曲者にも演奏者にも自由意志があり、それぞれ表現者であって、私には演奏者に(彼・彼女にとっての)テキストの是非を吟味する権利(私的には)そして義務(公的には)があると思っています。
反復の件についても同様で、極端なことを云えば、譜面上リピート記号を使わずに同型反復があったとき(=作曲者が必ず繰り返せと指定したとき)でも、演奏者はそれを拒否してもOKかな~
(ホントは断定的に云いたいところです)
さて、Geminiのゴルトベルク(いつ実現か?)では、各変奏の前半をA後半をBとすれば、AABあり、ABあり、AABBもありですが(こういうのは如何でしょうか)ABAB…
Geminiさん、ありがとうございます。
Geminiさんのご意見、僕も同感です。
僕の師匠の本村先生は、変化をつけるためにリピートするのではないと、はっきり仰っています。僕はこういう性格なので、変化をつけたくなくても、自然と変化がついちゃいます。(^_^;)
バロック時代の楽譜を見ていますと、反復記号は"ルール"だったのかも知れないと思うことがあります。その通りに皆がみな反復していたかどうかはわかりませんね。聴衆が寝そうだったら急遽取りやめたり・・・なんてことは現実的だったのかもしれません。
Geminiさん、ありがとうございます。
気づきませんでしたが、そういうのもアリですよね。AABBにしても、一回目のBで終始形にまで到達してしまうのですから、僕も曲によっては『もう一回Bはなしだよな~』と思うことがあります。逆にAまで戻ってしまうのですね・・・面白そうです。(^u^)