辛口 リコーダー・アンサンブル

北御門文雄さんが編集された「リコーダー四重奏曲集 初級編」を演奏し終えた。

まずは画像をクリックして、これを大きくして読んで戴きたい。

画像


今回この曲集を演奏するに当たって、
北御門さんの先見性、見識の広さ大きさ、そういうものを改めて感じた。
北御門さん、何と”初級編”でありながら、前文にこのように書かれていたのだ。


「初級編」というと、リコーダーを手にして間もないとか、
4人集まったから、まずは何かやってみようとか、
そういう状況で手にする曲集であることが多いのではないだろうか。
「え~と、ファのシャープって、指遣いはどうだったっけ?」
「小指は押さえるんだったっけ?」
「え~要らないんじゃな~い?」
こんな会話が聴こえてきそうな4人のアンサンブルである。

北御門さんとて、きっとそんな光景を当然想像した上で、
敢えていきなり3度や差音の話をしておられるのである。
3度って、8度や5度がきちんと取れるようになってからの技術なのである。


振り返って考えてみると、アマチュアのリコーダー・アンサンブルに、
なぜ聴くに耐えないものが氾濫しているかというと、
北御門さんの仰る「初級のうちにやっておかねばならないこと」を、
多くの人がやってきてないからではないだろうか。
その結果として、本当のリコーダー・アンサンブルの楽しさを体感しえないまま
何年もあるいは何十年も通り過ぎてきてしまているのではないだろうか。
”本当の”という言葉に過剰反応される方もおられるかもしれないので、
”豊かな”に置き換えてもいい。それでもまだ問題かな?

不思議な光景がある。
リコーダーを始める人、木製の楽器を買おうとする人、
初めて触る楽器を持って、最初に出そうとする音は、
必らずと言っていいほど、その楽器の最低音である。

楽器を選ぶときのポイントはいくつかあるけれど、
不思議と穴を全部塞いで音が出るかどうかを確かめる。
指が届くかどうか、穴を塞ぎやすいかどうか。
そうして、塞げないと、そればかりに固執してチェックする。
それも大事なことだけど、ちょっと違うんじゃないかと思う。

ちょっと話がずれた。いやかなりずれた。
ソロで「笛の楽園」や無伴奏曲を吹くだけでなく、
リコーダーに限らないが他の人とアンサンブルをするのであれば、
北御門さんの前文に書かれていることは、
初心者のうちにマスターしておく必要があると思う。
このことをなおざりにしたまま、アンサンブルをされる人が多すぎる。
音程に拘らないアンサンブルは、聴くに耐えない。
こういうケースが多すぎる理由がわかったような気がした。
もっとも、無伴奏だって音程が大事なことは言うまでもないけれど。


差音は、きちんと教われば、誰にも聴こえると思う。
差音が聴こえると、正しい和音についての議論が論理的なものとなる。
差音に慣れると、正しい和音が取りやすくなる。
さらに経験をつめば、全く響かないところでも、3度も正しく取れるようになる。

要は、それをしないでアンサンブルをしようなんて、
調律がされなくて狂っているピアノで演奏するようなもの。
そうしたアンサンブルを聴かされる方は、たまったものじゃないし、
一緒に演奏する方も、たまったものじゃない。
こういう努力をしない人たちとは、僕は一緒にアンサンブルはできない。
限られた人生、限られた時間。今更そこまで退行したくないからである。

「や~今日は曲の終りまで止まらずに通ったね。」ってことで”感動”するのを
ゴールに設定しているお楽しみ会ならば、それもよかろう。


リコーダーの上手い人たちのアンサンブルが、
なぜ速いパッセージの難しい曲をやりたがるか。
理由は3つあると思う。

 1) 超絶技巧的な曲で、指や舌が回るのを見せるのは格好いい。
 2) 和音の響きが悪くても、さほど目立たない。
 3) サラバンドやパヴァーヌ、ラルゴやアダージョの曲を聴かせられない。

少しの努力で、薔薇色の道が開けるのに、もったいない・・・。
ルッキが上手いのは、音程が確かという基本が出来ているからである。
栗コーダー・カルテットは、基本の曖昧さを楽しさでカモフラージュしている。


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この記事へのコメント

2009年04月26日 06:37
おはようございます。
ピアノは誰が鍵盤をたたいても同じ音が出ます。でもリコーダーを演奏するときは、音を作って(合わせて)いかなければならない。音をよく聴くこと、とは常々Papalinさんから伺っている言葉ですが、この北御門さんの文章を読んで改めてなるほどと思いました。
私など演奏する立場にない人間が言うのもはばかれるのですが、演奏者が「意識して聴く」ということは難しいことなのですね。
音楽を聴くだけの側としては、美しいハーモニーに酔いしれていればいいのでしょうが、音を「聴きとり」、「音を作る」演奏者としては酔ってばかりはいられません。ある意味、客観的な演奏ができて伝わる感動があるのでしょうか。
正しい音が出ているはずという思い込みだけで美しい音は生まれない・・・
Papalinさんの演奏が素晴らしいのは音の一つい一つを大切にすればこそ、「聴く」姿勢に徹底していらっしゃるからなのだと、得心いたしました。
2009年04月26日 06:54
「音を聴く」といっても、アンサンブルの場合、それぞれがイメージしている音が違っていたらやはりハーモニーをつくっていくのは難しそうです。
「音を聴く」ということは、みんなが同じ音をイメージしてそこに合わせに行くということになるのかもしれませんが、考えてみれば、音ほど、とらえどころのない不確かなものはないように思います。
演奏者それぞれが「共通の音」を聴いているということが大前提の演奏で、音を共有し、その音が生み出す新たな響きに感動すること。もしかしたらそうした喜びはそうそう経験できるものではないのかもしれませんね。だからこそ、ぴたりと息のあったアンサンブルが可能になったときの感動はひとしおなのでしょう。
一つの音楽を奏でる、その音楽が「生きる」瞬間なのだとおもいます。
ichi
2009年04月26日 15:59
声楽なんかもそうなんでしょうが、リコーダーの和音は、一度生で体感すると病みつきになってしまいますね。
Papalin
2009年04月26日 16:09
◆◆ 演奏者が「意識して聴く」ということは・・・

aostaさん、ありがとうございます。
また自分の中に溜まった毒を吐いてしまいました。たまに吐かないとやっていけない人間のようです。(^_^;)

よく、合わせてはいけない。結果として合っているのが良いのだと言われます。その通りだと思います。誰もが正しい音に合わせるのであって、誰かの音に合わせに行くのは本来はよくありません。でも仕方なく行なうこともあります。

例えば4人で四重奏をするとき、一人ひとりが仲間の音を演奏中に聴こうとすると、大抵、聴こうとするときに、音が遠慮がちになり、フラットします。これでは元も子もないので、自分が正しい音を出し続けて、相手を誘うしかないのです。でも誘いに乗ってくれないと、聴くに耐えない合奏となってしまいます。
 
リアルのアンサンブルの難しいところです。
Papalin
2009年04月26日 16:19
◆◆ 音ほど、とらえどころのない不確かなもの

aostaさん、ありがとうございます。
わかりやすくするために極論(本当は正しくないけれど、それは小異に過ぎない)になりますけど、こんなお話をしてみましょうか。

例えばA=440Hzでも、A=442Hzでも構わないのですが、ある一つの音が与えられたとしましょう。そうしたら、基本的に、他の全ての音程は決まってしまうわけです。このAの音に対して、1度、8度、5度、4度、3度・・・、それぞれの音の高さは決まります。それらの音に向かって、それぞれの奏者が音を出すわけです。ですので、捉えどころ(ターゲット)は明確なわけです。

一方で、正しい音を連続して出していれば音楽かというと、それも違います。PCが出す無機質なmidi音などがその例ですね。感情を表現するためには、ピッチも許される範囲で上昇下降してしまいます。それらの許容範囲という意味では、確かに捉えどころのないもの・・・ですね。
Papalin
2009年04月26日 17:15
◆◆ 一度生で体感すると病みつきに

ichiさん、ありがとうございます。
そうそう。
たま~にある感動を、確率を上げればいいわけ。そしてその道もわかっているし、特殊な人だけにしか体験できないようなものでもありません。

僕のパパルテットの多重録音では、ヘッドフォンを聴きながら重ねていくので、差音なんて聴こえないのですが、それでも段々と和音が和音らしくなってきたのは、経験を積んだからでしょうね。
nyankome
2009年04月26日 20:41
リコーダーでなくてリュートやギターでよかった、とブロークン・コンソートのときにいつも思うのです。あのピッチの合わせにくさです。でも、合ったときの響きの美しさを聞いたときは、いつも羨ましく思うのです。
Papalin
2009年04月29日 09:04
◆◆ リュートやギターでよかった・・・

nyankomeさん、ありがとうございます。
きっとリコーダーの音の波形って、シンプルなんだと思います。誰にでもピッチの違いがわかってしまうのですね。だからピッチを気にして演奏すればいいだけのことです。それを怠ると、聴くに耐えないものとなってしまいます。

リュートやギターでも、チューニングに疑問を感じることがあります。演奏中に弦が緩んだりするのでしょうか。そのまま演奏しないで、演奏中に即座に上げて欲しいなぁと思ったりします。

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