蛍
19日(金)、蛍祭が始まる前日。穴場です。
蛍の数が、わかりますでしょうか?
蛍が乱舞するエリアから百米程離れた高台から撮影しました。
蛍を見に訪れる人は、こんなところには来ません。
林の中。
真っ暗であります。
携帯電話の表示体の明りが頼りなのであります。
発光するものが何もないと、一歩も歩けません。真なる暗闇。
仕事がはけて、帰宅して後、
蛍の名所近くに住む知人宅を訪れ、
時間を忘れて話し込んでしまったのであります。
時計をふと見ると、既に9時を回っており、はてな。
蛍が相手を求めて乱舞するのは8時台がピークと言われます。
『これから行っても見られるだろうか。今日は蛍を見に来たのであります・・・。』
連れは殆ど居座り態勢に突入しているのが判りましたが、
ここは初志貫徹。説得して観に行くことに決めたのであります。
これはすごい!
去年、空前の大発生と言われ、それは私らも満喫したのでありますが、
今年の数も、その去年の数に匹敵するのではなかろうか。
翌二十日に始まる蛍祭も前半が見頃という情報を事前に得て、
成虫の発生数を定量的に教えてくれる電子掲示板の情報を頼り、
一日前に訪れたのは間違いではなかった。
時も遅く、人も少なく。
蛍を見て思うこと、いくつかあるのであります。
この幽玄な光には、どうしても、先に逝った人を重ねてしまう訳であります。
人の魂、生きとし生けるものの到達点としての・・・、魂。
この緑を帯びた光は、魂を連想させる力を孕んでおります。
ここにいる私には、それは光の点にしか見えない。
でも蛍は、光の尾を引く。
撮影機はその尾を途切れることなしに捉える。流れる時を収める。
西洋の人は、蛍にFireflyを名づけたのであります。
五月蝿い蝿は、fly。
とんぼ、dragonfly。
何ともさもしいではないかと思うのであります。
自然という言葉を、大和の民族は「手の入ってないもの」と捉えます。
西洋の人は、natureという言葉で同じく自然を表しますが、
それは、「手を入れて征服すべきもの」と捉えます。
大和の人が、natureを自然と訳したのは、如何なものか。
西洋の人の言葉の感覚、それは大和の人のそれとは明らかに違う。
蛍、いや、螢の字の方が的を得ているだろう。
それは、火を灯す、火を共す虫なのだ。
fireflyと同じ意味だ。
ではあるが、大和の人は「火灯し虫」とは呼ばない。
蛍には、ほたる・・・という固有名詞を授ける。
西洋の人は、機能をそのまま名称にする。
いかにも人工的ではなかろうか。そこに自然は感じない。
そういえば、西洋の人は、人工物に関心を示す。
そういえば、大和の人は、自然の造形に思いを馳せる。
大和の人は、想像するこのが得意なのだな。
螢とfireflyの違いを外国語で説明できない自分がここにいる。
それも悲しいことだ。
そういえば、西洋の人の文化は、宗教という人工物に過度な影響を受けたものが多い。
私が愛好している西洋音楽とて、人工物からなる一つの表現である。
それが良い悪いではない。
そんな思いもつゆ知らぬ今年の蛍が、
去年の螢から命を受け継ぎ、今日も長い尾を引いて目の前にいるのであります。
蛍の数が、わかりますでしょうか?
蛍が乱舞するエリアから百米程離れた高台から撮影しました。
蛍を見に訪れる人は、こんなところには来ません。
林の中。
真っ暗であります。
携帯電話の表示体の明りが頼りなのであります。
発光するものが何もないと、一歩も歩けません。真なる暗闇。
仕事がはけて、帰宅して後、
蛍の名所近くに住む知人宅を訪れ、
時間を忘れて話し込んでしまったのであります。
時計をふと見ると、既に9時を回っており、はてな。
蛍が相手を求めて乱舞するのは8時台がピークと言われます。
『これから行っても見られるだろうか。今日は蛍を見に来たのであります・・・。』
連れは殆ど居座り態勢に突入しているのが判りましたが、
ここは初志貫徹。説得して観に行くことに決めたのであります。
これはすごい!
去年、空前の大発生と言われ、それは私らも満喫したのでありますが、
今年の数も、その去年の数に匹敵するのではなかろうか。
翌二十日に始まる蛍祭も前半が見頃という情報を事前に得て、
成虫の発生数を定量的に教えてくれる電子掲示板の情報を頼り、
一日前に訪れたのは間違いではなかった。
時も遅く、人も少なく。
蛍を見て思うこと、いくつかあるのであります。
この幽玄な光には、どうしても、先に逝った人を重ねてしまう訳であります。
人の魂、生きとし生けるものの到達点としての・・・、魂。
この緑を帯びた光は、魂を連想させる力を孕んでおります。
ここにいる私には、それは光の点にしか見えない。
でも蛍は、光の尾を引く。
撮影機はその尾を途切れることなしに捉える。流れる時を収める。
西洋の人は、蛍にFireflyを名づけたのであります。
五月蝿い蝿は、fly。
とんぼ、dragonfly。
何ともさもしいではないかと思うのであります。
自然という言葉を、大和の民族は「手の入ってないもの」と捉えます。
西洋の人は、natureという言葉で同じく自然を表しますが、
それは、「手を入れて征服すべきもの」と捉えます。
大和の人が、natureを自然と訳したのは、如何なものか。
西洋の人の言葉の感覚、それは大和の人のそれとは明らかに違う。
蛍、いや、螢の字の方が的を得ているだろう。
それは、火を灯す、火を共す虫なのだ。
fireflyと同じ意味だ。
ではあるが、大和の人は「火灯し虫」とは呼ばない。
蛍には、ほたる・・・という固有名詞を授ける。
西洋の人は、機能をそのまま名称にする。
いかにも人工的ではなかろうか。そこに自然は感じない。
そういえば、西洋の人は、人工物に関心を示す。
そういえば、大和の人は、自然の造形に思いを馳せる。
大和の人は、想像するこのが得意なのだな。
螢とfireflyの違いを外国語で説明できない自分がここにいる。
それも悲しいことだ。
そういえば、西洋の人の文化は、宗教という人工物に過度な影響を受けたものが多い。
私が愛好している西洋音楽とて、人工物からなる一つの表現である。
それが良い悪いではない。
そんな思いもつゆ知らぬ今年の蛍が、
去年の螢から命を受け継ぎ、今日も長い尾を引いて目の前にいるのであります。
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この記事へのコメント
遊びに来ました!
これからヨロシクお願いしま~す
まだ、こんなにたくさんの蛍が生息できる場所があることに感謝したい気持ちになりました
ひきこまれてしまいました。
素敵な蛍です。
蛍は「幽玄」という言葉が似合うと思っています。自然の中の幽玄の美しさです。
いいですね。こんなにたくさんの蛍この目で見たいです。
ややちゃん、ありがとうございます。
はいはい、こちらこそ宜しく。
スザンナさん、ありがとうございます。
ここはもう100%人間の手によって保護されているところです。ご覧の写真は、三脚を立ててシャッターを30秒くらい開いて撮るものです。蛍の光以外の赤や青の光は、観光客のカメラのインジケータの色だったり、携帯の明りです。
え~と、お伝えしたかったのは、
人の手を借りて保護されているものなのですが、30秒もシャッターを開放してもこの暗さが写せるちう環境です。環境を丸ごと一緒に考えていかないと、真の保護は出来ないってこと。そういう意味で、ここ辰野は以前から名所であり続けながら暗さを維持している立派な名所です。
takasiさん、ありがとうございます。
文章に対するコンプレックスは幾つになっても拭えません。ただ、このブログは留まることなく手が勝手に動き続けました。(^-^ )
一匹だけ漂うように舞う蛍を見つけたときにも充分感動しますが、ここ(辰野)は半端じゃないですよ。
沙羅さん、ありがとうございます。
本当に。
僕が子供の頃には、蛍はそれなりに舞っていました。竹箒で捕ったものです。でも今はいなくなりましたね。それまでせぎだった川が、ある頃からU字溝に変わっていって、蛍の餌のカワニナが住めなくなっちゃったのですね。
美しいそして幻想的な素敵な写真ですねぇー。
なんだか私も蛍を観にいったそんな気持ちになりましたよ。
ありがとう、Papalinさん。
ふとあなたの弾く「風の篝火」を思い出しました。
なんとも上手な風の篝火。私の弾くギターとは天と地、月とすっぽんほど違います。が、いつか私もあんなふうにと思ってます。
「大和の人は想像力が豊か」
その血をひく私たち。どうかその「想像力」を取り戻し、もう少し相手の立場にたってねと言いたいことが多々ある昨今。
日本の今を明日を心配するのは「まっさんファン」の宿命かしらね?
けどあなたの蛍の写真で心が洗われました。
ありがとう。
ちゃみちゃん、ありがとうございます。
想像力、普通に働くのですが、なかなか他人(ひと)の心の中ではわかりません。でも、自分の心に置き換えてみたなら、いつもと違うかもしれませんね。
久々に自分の歌う歌(風の篝火)を聴いてみました。この時期、ピッタリな曲ですね。(^-^ )
最後に蛍を見たのは20年近く前です。
仕事で高野山に夜間登山したときです。
霊場だけに暗闇に浮かぶ光はちょっと気味悪かったですが。Papalinさんが仰るように本当に魂の光かも知れませんね。
nyankomeさん、ありがとうございます。
それは・・・(^^ゞ ちょっと不気味ですね。
1枚目の写真は、写真ではなくて実物を見られたら恐らく声を詰まらせることでしょう。かの地は戦の場だったのではないかと思うほどです。
蛍はぽつんぽつんと偲ぶように舞うのがいいな。
言葉とは不思議なものだ。リコーダーはイギリスで動作を。ブロックフレーテ、ドイツは構造。たてぶえは形。フランスは何ていうか忘れたけど縦型の笛って意味なんだそうです。あれ?日本と同じだ。
papalin氏に先駆けて私が反応するのも変ですが精霊流しで蛍を連想するなんて素敵ですね。
そしてこんな過去記事にコメントを下さるなんて。
もしかしたら蛍祭りや長野にご縁のある方でしょうか?
長野はいいところですね。
こないだの日曜日のNHK大河ドラマのタイトルは蛍の愛でした。ちょっと坂本龍馬にははまっています。
そういえば蛍の季節と思いましたらこちらのブログの右上のPapalinさんの百面相のようなエディタコミュニティーがこのブログに案内してくれました。
ところで奥様のブログの宗教と科学のお話。読ませていただいたのですがPapalinさんがおっしゃったというトムハンクスのその台詞はどういう場面で言っていたのでしょう?もしかしてダビンチコードですか?たまたま家族が読んでいた本がスティーヴンジェイグールドの神と科学は共存できるか?でして、面白いです。この問題はアメリカの選挙の時などクローズアップされますね。ガリレオの時代ならともかく現代も今だにひきずっているのかと思うと奇妙な話です。私はやっぱり進化論は学校教育にはずせないと思うのですが。
こちらのブログは生命の神秘を科学の目で受け止め、ここに蛍が生きているという感動が一つ。そこに人の心を結ぶ日本的な発想。素敵なブログですね。私の死んだ父が読んでいた本の中に宮元輝の蛍川というのがありまして、その小説を思い出しました。
エディタコミュニティーの画像、以前の記事を思い浮かべたり、行ってみたり・・・気に入ってます。
おはようございます。
本の御挨拶のつもりで書き込見ましたコメントに、丁寧なお返事を頂き、恐縮です。
私のブログをお読みくださったことも併せて感謝。
トム・ハンクスの言葉は「ダビンチ・コード」の中で彼が演じた博士(名前は忘れてしまいました・笑)のせりふです。宗教と科学、また自然観につきましては、宗教や風土によって大きく異なりますね。
スティーヴンジェイグールドの著書は読んでおりませんが、興味をひかれ、早速amazonで検索し、勢いで注文してしまいました(笑)
もうお読みになっていらっしゃるかも知れませんが、講談社選書メチエの「宗教から読むアメリカ」も非常に面白い本です。有名な進化論裁判にも言及していて、私にとっては、ある意味、知られざるアメリカを垣間見たおもいのした一冊でした。進化論は学校教育にはずせないというP2さんの御意見には私も同意させていただきます。
一応こちらはP氏のブログですので、拙ブログにていろいろなお話ができますなら嬉しく思います。
宮本輝、私は「錦秋」が好きです♪
また蛍祭りの季節になりましたね。
天候不順で蛍に影響はなかったかしらと、ちょっぴり心配です。去年見た蛍の乱舞は鳥肌が立つほど美しく幻想的でした。「風の篝火」、ここのところ毎日聴いています。辰野の「薔薇園」では今年も電車がモグラ退治に走り回っているのでしょうね(*^_^*)
本がお好きなのですね。早速ご注文なさったということで恐縮です。私は全く斜め読みですのに、お気に召していただけると嬉しいです。ここでお断りしておきますが私はキリスト教は苦手なのでそちらのブログへのコメントはやっぱりやめておこうと思います。
もともと短気な性格に加えて細かい字は読み辛い。
最近は映像で見るというのも悪くないと思うのですよ。海外ドラマにホワイトハウスというのがあってずっと見ていたのですがこの問題はいろいろな形で取り上げられていました。日本人にはわからない想いというのがありますね。科学捜査班CSIなんていうのもバリバリの科学の現場で自分の信心に苦悩する捜査官なんて出てきてドキッとさせられます。ダビンチコードもそうですが活字だけではわからないこと。わかったつもりになってしまうことを映像はわかりやすく伝えてくれる時がありますね。
『錦秋』
ごめんなさい。
あの身の上話のような長いラブレターのやりとりにウンザリしてしまって最後まで行き着くことができませんでした。
再びのお返事、ありがとうございました。
>そちらのブログへのコメントはやっぱりやめておこうと思います
それで構いませんよ(*^^)v
前回頂きましたコメントで、宗教と科学との関係について言及していらしたことや、アメリカおける進化論教育の是非について、なにかお考えがおありかと思いましたので、場所を変えてご意見を伺った方がよろしいかと考えただけですから。
本に限らず感想は人さまざま、本来主観的なものでしょうから「錦秋」についての感想も違って当然です。
私が初めて読んだ宮本輝の作品だったということ、また年齢も若かった事(笑)など考えますと、今読みなおせば私自身、当時とは違う感じ方をするかもしれませんし。
何回ものコメントで煩わせることになりまして、申し訳ございませんでした
P2さん、ありがとうございます。
新聞によりますと、今年の幼虫の数は、過去最高数だとか。
月末にピークを迎えるようですが、物凄い乱舞でしょうね。
> 言葉とは不思議なものだ。
リコーダーという楽器を何の尺度で見ているか・・・ですね。
あるものに名称をつけるときの感覚が、民族によって異なるのでしょう。リコーダーは別として、古来から日本に存在するものの名称のつけ方は、とってもロマンティックだと思います。そこへいくと英語はつまらないですね。辛いと熱いが一緒の言葉ですから・・・。(^_^;)
aosta、ありがとう。
確かにそれは言える。
P2さん、ありがとうございます。
そういうことでしたか・・・。納得しました。(^_^;)
> 進化論は学校教育にはずせない
私もそう思います。
宗教と科学が結びついているのは、心の中だけに留めておくべきだと思います。宗教で科学を捻じ曲げるのは、いただけませんね。とことん突き詰めて、それでも説明のつかないものを"神秘的"とするのが正しいように思うのですが、果たしてどうでしょう。
yuriさん、ありがとうございます。
辰野高校の生物班の生徒たちと、昔から故意にしていたようです。辰野の螢祭を有名にするのに、彼が一役買ったことは否めないでしょう。
> エディタコミュニティーの画像、以前の記事を思い浮かべたり
私もその一人です。え、こんなのあったっけ?
なんていう写真もあります。大抵は覚えてますけどね。(^_^;)
aosta、ありがとう。
どうぞどうぞ、ご自由に。
私たちは貴族ではありませんが、ここはサロンです。(^-^ )
aosta、ありがとう。
去年は、薔薇を見に寄らせてもらったね。
その薔薇の敵、もぐら退治に電車を走らせて、もぐらの嫌いな振動を地中に与えるなんて発想が素晴しい。しかも楽しく、また景観面も面白い。
あれから一年かぁ・・・。
P2さん、ありがとうございます。
では、音はどうでしょう?
作曲家が残したものは楽譜。小説家の活字と同じ。
音は、映像のように、よりわかりやすくしてくれますでしょうか?
aosta、ありがとう。
政界を見ていると、本当に180度違ったりしてね。
大事なことは、お互いを理解せずとも尊重するってことかなぁ。
いいですね。神秘的。スピリチュアル・・こういう感覚は宗教とは別次元で常に自分の中に取り込んでおきたいことのように思います。
音は頭で理解するというよりは感情を伝えてくれる。もちろん感情の引き出しをどのくらい持っているかにもかかってきますが。演奏するにしても聴くにしても辛い体験というのは感情を研ぎ澄ますために一役かってくれる。
それも悪くないかもしれません。
P2さん、ありがとうございます。
神秘的っていう言葉に宗教は関係ありませんね。
なぜか"スピリチュアル"という言葉を使った途端、
特定の宗教を連想してしまうのは私だけでしょうか・・・。
P2さん、ありがとうございます。
もうこのぐらいにしといて下さいなと言いたいです。(^_^;)