◆IL DIVO◆ おくりびと ~on record~ (久石 譲)

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画像
Okuribito on record / Hisaishi Jo
URL : http://papalin.yas.mu/W702/M003/

  ◇公開日: 2009年11月29日
  ◇演奏時間: 1分53秒
  ◆録音日: 2009年11月 (48歳)
   上のアルファベットの曲目名を
    クリックして、Papalinの音楽サイト
    からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)



・・・ということで、とっても見にくい楽譜でしたが、演奏してみました。
もちろん旋律はチェロのパートです。
もちろん旋律はリコーダー(グレートバス)で演奏しました。ご安心を。(^_^;)


大勢のPapalinの演奏で、お聴き下さい。 <(_ _)>



★使用楽器★

  グレートバス   キュング      楓製   (メロディ)


  テナー      全音        桜製
  バス       メック       楓製
  バス       メック       楓製
  グレートバス   キュング      楓製
  コントラバス   キュング      楓製



お聴き下さい。 <(_ _)>



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この記事へのコメント

P2
2009年11月30日 19:27
切ないメロディーですね。リコーダーは深い響きで憂愁を語ることができるんですね。
映画なかなか観る機会がないです。

見にくい楽譜って前のブログにのっている写真のですか?
Papalin
2009年11月30日 21:13
◆◆ 深い響きで憂愁を語ることができる

P2さん、ありがとうございます。
久石譲さんの曲って、淡白に言ってしまうと、コード進行の上に、メロディを多産している感じもしなくはないのですが・・・。まぁそれは良しとして、この手の曲をPapalinは得意としています。言わずもがな・・・ですね。

> 前のブログにのっている写真のですか?

はい。写真を撮ってきて、それを印刷して、それで演奏しました。(^_^;)
2009年12月01日 07:58
長崎旅行の際は「解夏」でしたね。
それと意識しているわけではないのに、なぜか映画のロケ地に縁があります(笑)。

穏やかで温かい演奏です。
映画の中で、お互いに拾った石に思いを託すあのシーンを思い出しました。
私が拾うとしたらどんな石を選ぶかしら。
両の手の中に気持よく収まる形と、見た目より持ち重りのする石。手のぬくもりが、いつの間にか石自体の暖かさとなって、私を温めてくれるような、そんな石を探してみたいですね。
Papalin
2009年12月01日 21:35
◆◆ 拾った石に思いを託すあのシーン

aosta、ありがとう。
映画をまだ観てない人のために、ちょっと補足すると、このシーンは、幼い頃の少年と少女の淡い恋のシーンではなくて、父と息子のシーンでした。

映画でもそうでしたが、親父って、亡くなるとき、亡くしてから、その偉大さに気づくんです。
ichi
2009年12月01日 22:29
偉大な父か・・・

ボクは父親を偉大だと思ったことは一度もありません。良く言えば、自由奔放。正直にいうと人間のクズですね。中学の頃一度いなくなって、2年ぐらいして戻ってきました。夏休みにひとりで、昼飯を食べていたら、突然帰ってきて、何事も無かったように平然と一緒に住むようになりました。こんなワイルドな家庭環境で育って、たいがいのことでは驚かなくなっていました。父親のようにはなるまいと思って生きてきました。ところが、そんな父親と同じ位の年代になってくると、どっか似ているような気がするから不思議なもの。ボクもクソじじいになっていくんだな。
人生のなかで、目を覆いたくなるようなひどい人、いろいろな人間のクズを見てきましたが、共通点は自己愛が非常に強くて、何をやっていても自分は神様から愛されていると信じてうたがわない・・・父親はそんな人でした。
Papalin
2009年12月03日 21:08
◆◆ 人間のクズですね。

ichiさん、ありがとうございます。
あのな。
俺も人生長くやってきたけどな。
若い頃は、自分の父親に反感を抱いた。
もう若くなくなっても、同居の親父といがみ合ってきたさ。

でもな。親父のあのときの行動、あのときの言葉、そういうものが、理解できる・・・そう、共感できると言ったほうが正しいね、そうなってきたのさ。親父は偉かったよなって。

全く無責任に言うけどさ。ichiさんが書いてくれたような状況を、もし仮にichiさん自身がしたとしよう。

> 何事も無かったように平然と一緒に・・・

って奴だ。これと同じことをichiさんだったら、できるかい? したくないってのは分かるが、できるかい? できないだろう? ということは、親父は偉いんだよ。少なくとも、ichiさんにはできないことをやってのけるだけの技量があったということさ。

> 自己愛が非常に強くて、何をやっていても
> 自分は神様から愛されていると信じて・・・

俺もそんなもんだよ。(^_^;)
ichi
2009年12月03日 21:46
済んでしまえば、武勇伝のようにおもしろおかしく語れるとしても、本当にゆるせないほど酷い人っているんです。仕事をしないでフラフラしているだけだったらまだしも、母親に暴力をふったり、ものを壊したりそりゃもう子供心にどこかへいなくなってくれないかと切に願っていました。子供を思いっきりひっぱだくことはしないので、泣きながら姉と一緒に母親をかばいました。ボクは、中学のときに一度だけ、父親に手をあげたことがありました。馬乗りになって母親を思い切りひっぱたく父親の襟首をつかんで、引き剥がして床にたたきつけたの。あんなに恐かった男は、あっけなくやられてしまった。その後暴力をふるうことはなくなったけれど、非常に後味の悪い出来事でした。
けれども、結局死ぬまで家族でいて、奇跡のようなヒューマンドラマになっていったりすることもある。ただそれはひとえに母親のふところの大きさにあると思っています。
父親?尊敬していません。胸を張って言えます。
Papalin
2009年12月03日 21:58
◆◆ 胸を張って言えます。

ichiさん、ありがとうございます。
そっか。それは悪かったよ。

でも、それでもあがくとしたら、尊敬できる場面も、そのうち思い出すかもしれないよ。答案を採点したら落第点だけど、正解だった設問もあるってこと。

お母さん、大事にしてね。
親孝行したときには親はなしって、本当。
ichi
2009年12月05日 00:02
気をつかわすようなものを書いてしまって申し訳けありませんでした。ご心配には及ばず、晩年父も更生し(子供が言うか?)和解しています。子供が独立してからも70まで働き、夫婦仲良く暮らせました。ただ、姉だけは父がパーキンソン病で体が利かなくなってからも殆ど心をかよわせることもありませんでした。私は葬儀の席で姉を泣かせるべく、通夜の晩に葬祭場に一人で泊まって父の棺の前で、徹夜でお別れの挨拶の文章を練りました。その甲斐あっていつもクールな姉が号泣、いい供養になったと思います。
音楽にはふれていないけど、おくりびとのコメントなんでギリギリセーフでしょ。
Papalin
2009年12月05日 23:32
◆◆ いい供養になったと思います。

ichiさん、ありがとうございます。
最初にカミングアウトしたのは、ihciさんだからね。僕はそれに乗っかったんだからね・・・って、今頃、言い訳してるよ、全くもう。
(丿>ロ<)丿 ┤∵:. コンナメシガ クエルカ!

ichiさんの人格形成の過程を知ることができました。だあら優しいんだなぁ。

> おくりびとのコメントなんでギリギリセーフ

見事です!

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