◆IL DIVO◆ 主よ、知らしめたまえ (ドイツ・レクイエム)
≪生演奏を公開しています≫

Herr, lehre doch mich dass ein Ende
URL : http://papalin.yas.mu/W508/
◇公開日: 2010年8月9日
◇演奏時間: 8分57秒
◆録音日: 2010年8月 (49歳)
上のアルファベットの曲目名を
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私は、この第3曲も好きです。
ドイツ・レクイエムは、ソプラノとバリトンのソロが入ります。この第3曲で初めてソロ(バリトン)が登場します。しかし、この曲の真骨頂はバリトンのソロにあるのではなく、6分27秒くらいのところから延々2分半に渡って続く長大なエンディングにあると思います。コントラバス(リコーダーではなく、弦楽器の)は、延々ひたすら"D"の音を弾き続けます。
ブラームスは、バッハやベートヴェンの音楽を生涯にわたって学び続けていました。交響曲第一番が40歳を過ぎてからの作品であること、そしてこのドイツ・レクイエムも20代で作曲を始め、完成までに多年を要していることは、彼の勤勉さがもたらせた歴史だと思います。バッハを勉強するということは、バッハが集大成したバッ以前のそれまでの音楽のスタイルを修得することでもあります。対位法に始まり、ルネサンス~バロック時代の古典的な様式を自分の作曲にも取り入れ、さらにそれを進化させてしまうということは、並大抵の勤勉さではないし、勤勉だから成し遂げられることでもないように思います。今こうしてブラームスの音楽を聴くことができるのはかけがえのない喜びでもあります。ブラームスはピアニストとしての才能は人並みはずれていたようですが、作曲面においては、天才というより秀才だったのかもしれませんね。僕はバッハに対してもそう思います。
話を元に戻しますが、2分半に渡る長大なエンディング。この長さは、バロックのソナタだったら、一つの楽章が完結する長さです。もう十年以上も前にこの曲を歌ったときの合唱団の先生は、この長大なエンディング部分を「まさにビア樽ブラームスだ」と呼んでいました。そう言われますとビア樽のような感じがしますから不思議なものですね。
この、同じ音の低音がずっと続く手法といえば、弦楽器のドローンを思い出します。ブラームスもきっとそれを意識していたに違いありません。しかも長大なフーガ。これも前時代的な手法です。彼は手紙にこんなことを記しています。『悪評だった保続音を長靴をはいて歩き廻ってさがし求めました』
僕が今回使用している楽譜は、全音のピアノ伴奏譜ですが、ピアノ伴奏譜と、この2分半の間、ずっと"D"の音を出し続けるようにはなっていません。すでに書いてきましたように、ブラームスの沢山の音をピアノで表現するために、差っ引かざるを得ないのでしょう。でも、今回僕は、コントラバス(こんどはリコーダーの方)に、延々"D"の音を出し続けさせました。この第3曲が第3曲であるためには、それは必要なことです。
伴奏はまたまた四重奏に拘りました。途中で楽器を持ち替えて演奏しています。
それにしても長い曲です。最初の3曲で30分を越えてしまいました。(^_^;)
伴奏楽器
ソプラノ モーレンハウエル グラナディラ
アルト メック 黒檀
テナー メック 柘植
バス メック 楓
グレートバス キュング 楓
コントラバス キュング 楓
大勢のPapalinたちによる多重録音にて、お聴き下さい。 <(_ _)>
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この記事へのコメント
ちょっとお訪ねしないでいたら、何と!ドツレクではありませんか!!!
これは、可能か不可能かは関係なく私の葬儀で演奏を希望している曲でして・・・勿論全部通すと長いので抜粋でと思っているのですが^^;。
でも、最初はちょっとお聴きするのが怖い気がしました。
この曲に関しては、何度かの演奏のたびに敬愛する指揮者の先生から、曲に対する熱い思いを込めたご指導を受けているので、私の頭の中ではしっかり人格ならぬ”曲格”を持っているからです。
ちょっとドキドキしながらも、1番から急いで聴かせていただきました。
全く別の曲のように思えました。
でも、違和感と言うよりは、こういうやり方もあるのかと不思議な思いがしてきました。そう、不思議な感じです。
同じ方が各パートを歌っているゆえ、音色が合い過ぎていて(笑)、曲の骨格が浮き彫りになっています。
オケ伴もしくは4手のピアノ伴が、見苦しくない程度に脂肪をまとった成熟した肉体だとしたら、ここで聴く演奏は、肋骨もあらわに最低限必要なもの以外は削ぎ落とされた肉体のようです。
でも、それは栄養失調とは違う、強い意思と表現を纏っている肉体です。
そんなことを思いながら聴いていると、改めてこの曲の素晴らしさに引き込まれます。
それは、ブラームスが偉大なのか、Papalinさんが偉大なのか?
両方ですね!!
特に4番の演奏は、目から鱗です。
7番まで半分過ぎましたね(笑)。楽しみにさせていただきます!
alexさん、ありがとうございます。
alexさんにとって、とてもとても大切な曲を、ひょっとしたら軽々しく演奏してしまってすみません。
実は僕はこの曲を一回だけ歌ったことがあります。もちろんテナー・パートのみです。30歳を過ぎて、合唱(歌)なるものを始めました。そのキッカケは、地元岡谷で、渡邉暁雄さんの追悼演奏会が、息子さんの指揮でありました。演目はフォーレのレクイエム。合唱は一般からも募集があることを新聞で知り、宗教曲に興味を持っていた私は、ただ、フォーレのレクイエムを歌いたいというだけで、合唱団に加わらせていただきました。ラテン語のラの字も知らない頃でした。この演奏会が終わりますと、田舎のいくつかの合唱団から入団のお誘いがあり、とある合唱団に入りました。同じ位の世代が多かったので、楽しかったのですね。でもその合唱団は宗教曲をあまり得意としておらず、また、ア・カペラの曲などもってのほか・・・と言った感じの団体でした。4年目だったかな、技術部長なる役をやらせてもらったときに、ブルックナーのモテット(ア・カペラ)を歌わせてもらいました。稚拙ながら私が練習を指導させてもらって。感動したんですね。それまでア・カペラの宗教曲を歌わなかった人も、何人かがその充実感を伝えてくれました。でもその合唱団はこの路線を封じたんですね。ちょうどそんな時、隣の合唱団がブラームスをやるって聴いて、ちょっとゴタゴタもあったものですから6年で最初の合唱団を辞めて、ブラームスを歌わせてもらいました。僕が歌いたい路線はここだ!と思ったのです。
それは今からもう14年も前のこと。今回、それ以来で楽譜を引っ張り出したのですが、あまりどころか、殆ど覚えていません。ならば、今の僕の感性で歌ってしまえ、伴奏をしてしまえ・・・ということになったのです。
alexさん、、まだ続きます。(^_^;)
私の合唱人生においては、今思うと、フォーレとかブラームスから始まったのですね。リコーダーは、ルネサンスとかバロック時代の音楽が主流ですから、不思議です。でも全然違和感もなかったし、フォーレやブラームスやブルックナーの宗教曲が好きでした。モーツァルトのレクイエムはいつか歌ってみたいと思っていましたが、今年念願がかないました。ソリストには辟易しましたが。(^_^;) バッハのロ短調ミサも、前半だけではありますが、一人で歌って演奏してみました。時代を徐々に遡って、最近ではご承知のとおり、ペルゴレージも歌いました。
やっぱり宗教曲が僕にはしっくりくるのです。その厳かな音楽、作曲家が精一杯を尽くして畏敬そのものの神と対峙して作った作品は、その重さを感じます。ですから、簡単に一人多重奏(唱)で演ってみました・・・なんていう軽い気持ちでは歌えません。でも、こうして一人で全てを演奏するのが僕(Papalin)のスタイルです。演奏者同士で、意見や嗜好が対立することはありませんが、逆に言いますと、誰のせいにもすることのできない、いわば追い詰められた状況での録音になります。逃げも隠れもできない、Papalinの2010年時点での音楽観が"これ"なのですね。(^-^ )
alexさん、こちらへのお返事は最後になります。
僕がモーツァルトの音楽に惹かれるのは、無駄な音がひとつとしてないことです。ブラームスの音楽(特にこのドイツ・レクイエム)に惹かれるのは、それとは全く違う次元のものです。ちなみに、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲は、殆ど聴きません。
ブラームスのドイツ・レクイエムが好きな理由の一つは、彼が研究を重ねた古い時代の音楽の手法を取り入れて、素晴しい作品に仕上げたところにもあります。バロック以前の音楽をフィールドとする私には、フーガもごく自然に耳に入ってきました。しかも進化しています。
間違いなく、ブラームスが偉大なのです。(^-^ )