◆IL DIVO◆ 流浪の民 / シューマン
≪生演奏を公開しています≫
Zigeunerleben / R. Schumann, E. Geibel, Ishikura Kosaburo
URL : http://papalin.yas.mu/W903/#M022
◇公開日: 2010年11月10日
◇演奏時間: 3分19秒
◆録音日: 2010年11月 (49歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
Geminiさんとaostaから
リクエストを戴きました。
話題の「流浪の民」です。
外国(語)の歌に日本語の歌詞をつけるという"創作的行為"は、言葉を忠実に翻訳し、韻を確認したり、曲の背景を調べるという"作業”が終了したときから始まるのでしょうね。
素晴らしい日本語の歌として生まれ変わった曲、文語の魅力が伝わってくる名作だと思います。
(2012年11月19日 編集)
大勢のPapalinたちによる多重録音にて、お聴き下さい。 <(_ _)>
楽器編成
<歌>
ソプラノ Papalin
アルト Papalin
テナー Papalin
バス Papalin
<笛>
アルト メック オリーブ
テナー 全音 チェリー
バス ヤマハ メイプル
グレートバス キュング メイプル
コントラバス キュング メイプル
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この記事へのコメント
今までまともに批評をいただいたことがなかったので、痛烈なお叱りのおことば、ありがたく受け取りました。
もちろん、音楽家の方々は翻訳に対して、他言語に対して、私のような言語屋とは全く違うとらえ方をして当然であります。
全く違う視点からのとらえ方をかいま見ることができて、大変興味深い文章でした。
様々な思い入れがあるこの曲、今更ながらシューマンの天才、また石倉小三郎さんの訳詩の素晴らしさに胸をどきどきさせながら演奏に聴き入っています。
そして歌もリコーダーも最高に美しい。
また改めてゆっくりコメントします。
大名死亡さん、ありがとうございます。
音楽をこよなく愛する者として、幾分熱くなって書きましたこと、ご容赦願います。ご指摘のようなケースは、歌詞の訳に関してであり、一般の書物ではそうないことだと思います。歌うことを前提にしていない"詩の翻訳"においてもそうでしょう。その点についてのお考えに触れていただきたかったと感じています。
aosta、ありがとう。
ときには家族サービス(?)もするのでして・・・す。
☆☆しばらくの出張の間に、大変なことに・・・
「流浪の民」の楽譜を探し出してみようと思っていて、
しばらく出張に出かけている間に早速のレスポンスが…
ありがとうございます。
☆☆外国の歌を日本語に直すと、いつももんだいがつきまといますね
仕事柄、ウソも方便とばかりに、自然科学上の現象を説明しますが
そこでは、原典がどうであったかを常に意識しています。
-私の云ったウソを決して一人歩きはさせません。
外国語の歌を日本語に翻訳した場合にも
本来の意味は何かを尊重すべきと思います。
ただ、私は、歌の場合、それが意訳であって構わないと思い、
それが一人歩きすることがあってもよいか、とも思います。
ただ、演者としては、本来の意味を知っていたほうが良い。
私の学生時代のフランス語の先生が通訳を任されたとき、
フランス人が何か冗談を言ったのですが、それが聴き取れず
(あるいは日本人には意味が通じない冗談であったかもしれません)、
即興で、日本語の冗談を日本人に伝え、
日仏互いに友好的にすごせたと言う体験談を聴いたことがあります。
-厳密な、フランス語の先生でしたが…
Geminiさん、ありがとうございます。
大抵において、私もその意見に賛成で、実践もしているつもりです。特に映画はやっぱり原語+字幕がいいなぁ。言葉のもつ力ってありますから。
> 演者としては、本来の意味を知っていたほうが良い。
そうですね。映画もそうですが、原作者が監督をしない限り、原作を読んで心を動かせた"第三者"の作品として歩き出していくのは仕方のないこと。まぁ時には原作を凌ぐこともあるようですが。後先は特に問いませんが、原作を知っていることは、特に音楽の場合には大事だと思います。
フランス語の先生の感性に共感します。