◆IL DIVO◆ レオナン / オルガヌム 「この日こそ」
≪生演奏を公開しています≫
Leonin (Leoninus) (1150s-1201?) / Ogranum "Haec Dies"
URL : http://papalin.yas.mu/W007/
◇公開日: 2011年1月22日
◇演奏時間: 2分38秒
◆録音日: 2011年1月 (49歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
西洋の芸術音楽としてみた場合、
レオナンと、次に登場するペロタンは、
重要な役割を果した人のようです。
書物に登場する人物です。
ところが、レオナンが実際に
どういう曲を残していたのか、
ネットに公開されている楽譜で
やっと1曲だけみつけました!
たった1曲ですが、これは私にとっては
大きな出会いの1曲でした。
9世紀に、カール大帝が西洋を治め、今のドイツ・イタリア・フランスに「書く音楽文化」をもたらしたようです。その最たるのが、何世紀にも渡って面々と歌い継がれてきたグレゴリオ聖歌を紙に書くことです。その目的は、ローマにおける聖歌の歌い方をより確実にフランク王国(今のフランス、ドイツなど)に伝え広めることだったのかも知れません。それがネウマ譜です。初期のネウマ譜は、上に書いたように、言ってみれば備忘録程度のもので、聖句の文字の上に音が上下するのを表す程度のものだったようです。
さて、当時の人々も、グレゴリオ聖歌を単旋律で歌うだけでは徐々に物足りなくなったようで、そこから対旋律を伴う「オルガヌム」が生まれました。初期は聖歌の音の上または下に、4度ないし5度の間隔で並行して動く声部を設けたものでした。
このあくまで対旋律だったオルガヌム声部が、11世紀末から12世紀初頭になると、徐々に音楽の主役となります。聖歌と逆の方向に動いたり(反進行)、装飾的な声部となったり(メリスマ・オルガヌム)しました。
時は十字軍の時代。11世紀末から12世紀は、教会が王を凌いだ時代でもありました。人里はなれてひっそりと修行する修道院の時代から、権力を誇示するゴシック教会が次々と人々の目の前に現れます。パリのノートルダム大聖堂ができたのも、この時代でした。ようやく本論に辿り着きましたが、その時代の作曲者がノートルダム楽派です。その楽派を代表するのが、レオナンとペロタンです。はぁはぁ。
12世紀後半に活躍したレオナンは、様々な教会儀式(ミサなど)のためのオルガヌムを『オルガヌム大全』として体系的にまとめた人です。そしてその後、12世紀末から13世紀にかけて、これらのオルガヌムを大々的に改編したのがペロタンでした。
ルネサンスの初期まで、作曲者の名前を明らかにしないのが普通だった時代ですから、この中世に音楽に関して名を残しているというのは、特別なことだと言っていいでしょう。逆に言えば、この二人は後の書物に登場する人物であったために名が残っているとも言えるかも知れません。日本にも、読み人知らずの名歌は沢山残っていますね。
レオナン(ラテン語名:レオニヌス)の音に接することができて、私は大変嬉しく思っています。
リンクしたWikipediaに、「恐らく最初にリズム・モードを用いた作曲家」と書かれていますが、リズム・モードとは、簡単にいうと、音の長さのことです。オルガヌムも複雑になってくると、上下の聖歌の旋律とピッタリ合わせる必要が出ます。ですので、自然の成り行きだったとも言えますが、これは西洋音楽にとって、重大な進歩だと言えるわけです。
楽譜はWIMAから拝借しました。
Papalinの多重録音で、お聴き下さい。m(_ _)m
曲目と楽器編成
1. オルガヌム 「この日こそ」 B・B
使用楽器
バス ヤマハ(メイプル 415Hz)
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