朋に会いに行こうか・・・
「誰もいない福島」という歌を歌った。
お朋達の沙羅さんが、僕のブログにコメントを下さった。その文章を読んで、ドキリとした。
aostaが、この戴いたコメントに最初に気づいた。そして僕に教えてくれた。
僕は「誰もいない福島」を歌った。悲しいかな、前の2曲が強烈だったので、
この曲に関しては、ホッとした気持ちだけが残っていただけだった。
aostaが言った。「福島に行こうよ。」
戴いたコメントを、僕も読んだ。
2回登場する言葉に目が行った。・・・「普通」。
普通であること、震災前の普段と同じであること、
それが、彼女たちにとって今一番必要な幸せであることに気づいた。
僕は、福島に行くことが、普通のことではないので、正直躊躇った。
娘が暮らしていた、大震災の震源地から遠く離れた神奈川に行ったときに、彼女の住むアパートの辺りの家屋の塀やガレージやガス管・水道管が損傷している様を見ていたから、震源地に近い福島がどんな状況か、推し測っていた。僕は正直、被災にあった光景を目の当たりにするのが苦手である。だから、aostaの提案に即答出来なかったのだ。
僕の体調は、朝目覚めてみないとわからない。徐々に覚醒していく朝、大体はベッドの中で、まだ夢か現実かの区別がつかないような中で、今日一日の体調を、それとなく察することができる。だから外出の計画は出来なのだ。その日になってみないとわからない。
大震災から3ヶ月が経った6月12日。体調は悪くない。即断が禁物であることも、身体が覚えている。しばらくベッドの中で様子を探りながら、福島行きのプランを練っていた。『大丈夫そうだ!』
「そうだ、京都に行こう!」 そんなJRのCMがあったっけ。
「そうだ、福島に行こう!」 そんな乗りでいいじゃないか。
早朝の僕の提案に躊躇するaostaに、7時出発でどうかと尋ねた。aostaは「庭を見て気持ちを落ち着かせて考えてみる」と言って、部屋をあとにした。僕は、経路や時間やらをネットで調べながら、彼女へのお土産のするCD-Rの選曲を始めた。つぶてソングは入れないことにした。理由は二つ。まず「普通」ではないから。そしてもう一つは、詩に心から感動できていないからだ。正直言って、和合さんの詩には、今一つ共感していない。ツイッターという手段を差し置いても、詩人の詩としての完成度が・・・いや、はっきり言うと、言葉に力がない。そう感じているので、選からは当然漏れた。結果として僕が選んだ曲は、今僕が一番気に入っている曲たちだった。作ったCDにタイトルをつけるならば、『Papalinによるオルガン曲集』かな。容量一杯の80分、オルガン曲で埋めた。
aostaは福島行きに賛同してくれるだろうかと、恐る恐る階下に降りてみると、犬の散歩を済ませ、旅支度を済ませ、お出掛けの洋服を纏ったaostaが、鏡の前でルージュを引いていた。『お、やるなぁ!』
福島に行くことを事前に彼女にお知らせするのは、僕にとっては「普通」のことではなかった。お隣さんを訪ねるように福島を訪れる、お留守だったら出直せばいいだけのこと・・・。それが僕にとっては、距離を度外視した"普通"のことだった。だから、彼女には伝えなかった。
4時間半で着いた沙羅さんのお宅。幸いにも彼女は家にいらした。
『あぁ、元気そうだ。良かった。』
旧知の朋のような会話が続いた3、4時間。
普通の3、4時間の幸せを感じた。普通がいい。何よりも普通がいい。
沙羅さんに、先を越されてしまった。
aostaにも、先を越されてしまった。
お朋達の沙羅さんが、僕のブログにコメントを下さった。その文章を読んで、ドキリとした。
うちの近所は、少なくとも私の周りは、この歌より普通に生きています。
みんな、叫んでも、泣いても、ここに住まなきゃならないから、普通にしています。
aostaが、この戴いたコメントに最初に気づいた。そして僕に教えてくれた。
僕は「誰もいない福島」を歌った。悲しいかな、前の2曲が強烈だったので、
この曲に関しては、ホッとした気持ちだけが残っていただけだった。
aostaが言った。「福島に行こうよ。」
戴いたコメントを、僕も読んだ。
2回登場する言葉に目が行った。・・・「普通」。
普通であること、震災前の普段と同じであること、
それが、彼女たちにとって今一番必要な幸せであることに気づいた。
僕は、福島に行くことが、普通のことではないので、正直躊躇った。
娘が暮らしていた、大震災の震源地から遠く離れた神奈川に行ったときに、彼女の住むアパートの辺りの家屋の塀やガレージやガス管・水道管が損傷している様を見ていたから、震源地に近い福島がどんな状況か、推し測っていた。僕は正直、被災にあった光景を目の当たりにするのが苦手である。だから、aostaの提案に即答出来なかったのだ。
僕の体調は、朝目覚めてみないとわからない。徐々に覚醒していく朝、大体はベッドの中で、まだ夢か現実かの区別がつかないような中で、今日一日の体調を、それとなく察することができる。だから外出の計画は出来なのだ。その日になってみないとわからない。
大震災から3ヶ月が経った6月12日。体調は悪くない。即断が禁物であることも、身体が覚えている。しばらくベッドの中で様子を探りながら、福島行きのプランを練っていた。『大丈夫そうだ!』
「そうだ、京都に行こう!」 そんなJRのCMがあったっけ。
「そうだ、福島に行こう!」 そんな乗りでいいじゃないか。
早朝の僕の提案に躊躇するaostaに、7時出発でどうかと尋ねた。aostaは「庭を見て気持ちを落ち着かせて考えてみる」と言って、部屋をあとにした。僕は、経路や時間やらをネットで調べながら、彼女へのお土産のするCD-Rの選曲を始めた。つぶてソングは入れないことにした。理由は二つ。まず「普通」ではないから。そしてもう一つは、詩に心から感動できていないからだ。正直言って、和合さんの詩には、今一つ共感していない。ツイッターという手段を差し置いても、詩人の詩としての完成度が・・・いや、はっきり言うと、言葉に力がない。そう感じているので、選からは当然漏れた。結果として僕が選んだ曲は、今僕が一番気に入っている曲たちだった。作ったCDにタイトルをつけるならば、『Papalinによるオルガン曲集』かな。容量一杯の80分、オルガン曲で埋めた。
aostaは福島行きに賛同してくれるだろうかと、恐る恐る階下に降りてみると、犬の散歩を済ませ、旅支度を済ませ、お出掛けの洋服を纏ったaostaが、鏡の前でルージュを引いていた。『お、やるなぁ!』
福島に行くことを事前に彼女にお知らせするのは、僕にとっては「普通」のことではなかった。お隣さんを訪ねるように福島を訪れる、お留守だったら出直せばいいだけのこと・・・。それが僕にとっては、距離を度外視した"普通"のことだった。だから、彼女には伝えなかった。
4時間半で着いた沙羅さんのお宅。幸いにも彼女は家にいらした。
『あぁ、元気そうだ。良かった。』
旧知の朋のような会話が続いた3、4時間。
普通の3、4時間の幸せを感じた。普通がいい。何よりも普通がいい。
沙羅さんに、先を越されてしまった。
aostaにも、先を越されてしまった。
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この記事へのコメント
CDもとっても、気分がよくなりました。
ゆったりと夜に聴いたためか、いつになくぐっすりと休めたのは、やっぱり普段緊張しているせいかもしれません。自分で気が付いていませんが。
「距離を度外視した普通のこと」とてもうれしいです。
それも、数分後なら、もう出かけていたかもしれないという時に、ぴったりお出でになったこと。偶然は、しかるべき必然で起こるのだと、思います。
幸い、お話しした通り、私の住む町はほとんど被害もなく、暮らしています。Papalinさんもご覧になった通りです。ただ、避難してきた方が暮らしていたり、やっぱり放射線は気になったり、普通に暮らしているけど、普通じゃない部分もあって、気持ちが落ち着かないこともあります。
そんな中で、こんなことがあると、本当にうれしいです。ありがとうございました。
沙羅さん、ありがとうございます。
先日は、突然お邪魔しましてすみませんでした。
そうでしょう、やっぱり気づかないところで気が張っているのだと思います。身体も心も解きほぐすことが必要なのでしょうね。好きなことにとことん打ち込んで、アロマか何かでゆったりとするとか。あくまで想像の域ですが。
他にはあり得ない時間に滑り込みでお邪魔できたこと、良かったです。福島で沙羅さんと交わした色んなお話を思い出すのですが、続きは信州で。お待ちしております。(^-^ )
そしてもっと素晴らしいことは、そういう気まぐれに喜びをもってつきあってくれる伴侶でしょう。おっと、調子のいいことを書いていたら舌を噛んでしまいました。福島の沙羅さんとも生きている喜びを分かち合えたのではないでしょうか。
ichiさん、ありがとうございます。
私の気まぐれ(?)に付き合ってくれた伴侶と沙羅さんに感謝しています。本当は気まぐれでも何でもなくて、入念の行動を伴わないだけの、用意周到な計画だったのですよ。(^_^;)
旅はいいですね。滞在時間は6時間余りでしたが、沙羅さんと結構お話できましたし、見るところも見られたし、お土産も拘って選べましたし。そして、何でもない福島のとある町の街並みや、行き交う人々や、訪れたところでお話した人の暖かさというか、人懐こくいつまでも離してくれない(?)人たちと出会って、この6時間は、忘れていたものを取り返したような6時間であったようにも思えます。会う人みな親切です。旅人を暖かく迎えてくれました。
生きている喜び・・・ですかね。(^-^ )
こんばんは…
お久しぶりです
コトバ遊びをするつもりではないけれど
何でもない福島
何もない福島
文字がひとつあるかないか--
…少し安心したGeminiでした
Geminiさん、ありがとうございます。
確かにそうですね。
今回訪問したのは海から50kmくらい離れたところだったのですが、思ったのは、地震や津波そのものの被害、つまり目に見える被害は小さかったようです。むしろ首都圏の方が塀が倒れたりひび割れたりしていましたので、私は今回の福島の光景は意外でした。
でも、恐ろしいのは、目に見えない放射能汚染です。
見た目では「何でもない」でしたが、
心の目では「どんでもない」かも知れません。
言葉遊びではないですけれど・・・。
ちょっと不安な目ではありますが、自分の目で直に福島(の一地域)を見て、私も少し安心しました。(^-^ )