◆IL DIVO◆ 『音楽史 グレゴリオ聖歌からバッハまで』 (初期バロック)

≪生演奏を公開しています≫

画像
"Masterpieces of Music Before 1750" by Carl Parrish and John F. Ohl 3. Early Baroque
URL : http://papalin.yas.mu/W705/#M103


  ◇公開日: 2011年11月10日
  ◇演奏時間: 12分7秒
  ◇録音年月: 2011年11月 (50歳)
   上のアルファベットの曲目名を
    クリックして、Papalinの音楽サイト
    からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)



この本は、私にとってはバイブルとなりました。
ichiさんの素敵なプレゼントに感謝しています。

おそらくこの調子で全50曲を演奏しますと
2時間ほどになりましょうか。その2時間余りで
西欧の約1000年間の音楽が味わえるのです。
琴線に激しく触れた本は他にはないかも知れません。

さて時代は、ルネサンスからバロックへと移ります。回帰の音楽から、いびつな真珠の音楽へ。



バロック音楽というと、真っ先に頭に浮かぶのがバッハ・・・そういう頃が私にもありました。しかし今の私は、ともすればバッハはバロックの範疇の外、バッハは単独にバッハとして分類されるのではないかと思っています。本来のバロック音楽というジャンルは、バッハ以前の100年間くらいの音楽のことをいうように感じています。そしてそれらは間違いなく、音楽の宝庫でもあります。

中世からルネサンスへの変化の特徴の一つは、和声と和声進行の完成があると思います。しかし皮肉なことに、バロックの幕開けの立役者の一人(演奏では2番目に登場します)、モンテヴェルディの音楽は、不協和音の妙です。人間的なものに回帰をしたあとの時代の人は、一旦またそれを壊してみようと考えたのでしょうか。

この本の譜例の演奏ではという前提があるかも知れませんが、中世からルネサンスへの音楽の推移がそれほど明快ではなく、徐々に変化していったように感じるのに対し、ルネサンス音楽からバロック音楽への変化は劇的です。少なくとも私は今回の演奏を通じてそう感じました。私の拙い演奏でもそれを感じ取って戴けますとよいのですが・・・。

バロック音楽は、以前の音楽に比べると、楽曲の長さもより長くなっていきます。ですので、私の書く文章も長くなるかもしれません。つまらない話かも知れませんが、どうかお付き合い下さい。m(_ _)m



楽譜 ⇒ Amazon
古本 ⇒ スーパー源氏



30. ジゥーリオ・カッチーニ(1560頃-1618頃) マドリガル<ああ、わたしは死なねばならぬのか>
   Giulio Caccini(c.1560-c.1618) Madrigal for Solo Voice and Lute, "Dovrò dunque morire"


カッチーニは、「新音楽」(Le Nuove musiche)という本を出版し、我こそは新しい音楽の創設者だ・・・と言ったかどうかは知りませんが、少なくとも新しい様式の音楽を作った人です。私は彼の作品としては、甘美なアヴェ・マリアしか知りませんでしたけれど。彼のこの本をきっかけに、影響を受けた当時の作曲家たちは、声楽の分野ではオペラ、オラトリオ、カンタータ、器楽の分野ではコンチェルト、ソナタ、組曲、そしてフーガを生みました。ね、これらってバッハの御馴染みのジャンルですよね。バッハの音楽の中心は、バッハが生まれる100年も前に登場していたものだったのです。ちなみにカッチーニは公開の劇場で初めてオペラを上演した作曲家です。

さてカッチーニのこの曲。何と言ってもその特徴は、控えめな音色の楽器で演奏する和音の上で、歌が表情豊かにメロディを歌うことにあると思います。実は伴奏者が奏でる和音は、数字やある記号を頼りに、即興的に弾いていました。その手法を通奏低音(basso continuo)と呼びます。ちなみにこれはイタリア語でして、ドイツ語ではGeneralbass、英語ではthrough-bassと呼ばれるようです。私も知りませんでした。

そういうわけで(?)、このバロック音楽の幕開けの曲は、何としても歌で表現するしかなかったのです。以前にこの手の曲の歌の部分をリコーダーで演奏したことがありますが、それは私が"歌えなかった"というのが理由です。今回はそんな背景もあって、バロックの歌に挑戦してみました。何となくですが、それっぽく歌えたので、実はそのことが何よりも嬉しく思うのでありました。(^_^;)


31. モンテヴェルディ(1567-1643) オペラ<オルフェオ>から レチタティヴォ<お前は死んだ>
   Claudio Monteverdi(1567-1643) Recitative from Orfeo, "Tu se' morta"


モンテヴェルディは、天才的なオペラ作曲家でした。それまでのオペラは独唱も合唱も非常に稚拙なものであったようですが.彼は歌だけでなくオーケストラも含めて音楽を劇的なものにしました。ここに譜例として取り上げられた曲は、オペラ「オルフェオ」の中のオルフェオの歌で、かつて共に幸せを夢見たエウリディーチェの死を知ったオルフェオが、黄泉に下った彼女を探しに行く決意を述べる場面の歌です。最後の「地よ、天よ、太陽よ、さらば」(addio terra, addio cielo e sole, addio)の叙情的な表現は、やはりルネサンス音楽にはない新しいものですね。

私は最初に伴奏を録音して最後に歌を録音しました。自分で言うのもおこがましいですが、ポルタティーフ・オルガンのような柔らかなリコーダー・アンサンブルの純粋な和音の中に、歌だけが不協和音として飛び込んでいく・・・その感じに正直うろたえました。そうした躊躇のようなものが音にも現れていて大変申し訳ないのですが、こういう歌は少し慣れてから歌うべきだと悟りました。でも、歌えたことに喜びも感じています。


32. カリッシミ(1605-1674) オラトリオ<ソロモン王の裁判>から <われに剣をもちきたれ>
   Giacomo Carissimi(1605-1674) Scene from Judicium Salomonis, "Afferte gladium"


このオラトリオは、ソロモン王の智慧をほめたたえる内容のものですが、お話は私も知っているくらいですから、結構有名なのかも知れません。つまり、「この子は私の子供である」と語る2人の女性を、どちらが本物の母親かをソロモン王が裁定します。そういえば、中国の故事や、大岡裁きにも似たような話があったように思います。この曲も本来は歌うべきところですが、これはリコーダーで表現しても面白そうだと考え(思いつき)、そうしました。ソロモンはバス・リコーダーで真ん中から、第一の女はソプラノ・リコーダーで右から、そして第二の女はソプラノ・リコーダーで左から聴こえます。

まずは歌詞をご覧下さい。

  [ソロモン]  我に剣を持ち来たれ、生ける子を二つに分かち、
           その半ばをこの女に、半ばをかの女に与えよ。
  [第二の女] 王よ、汝の裁きは正し。
           我のものにも汝のものにもならしめず、分たせよ。
  [第一の女] ああ、我が子よ! 我がはらわたは汝のために焼くが如く苦しむ。
           生ける子をかの女に与えたまえ、かならず分つことなかれ。
  [ソロモン]  生ける子を二つに分けよ。
  [第二の女] 我のものにも汝のものにもならしめず、分たせよ。
  [第一の女] ああ、その子を分かつなかれ!
           生ける子をかの女に与えたまえ。かならず分つことなかれ。
  [ソロモン]  生ける子をこの女に与えよ。かれはその母親なればなり。

嘘つきな女がペラペラと長調で歌い、
正しい女は切々と短調で歌うというところがいいですよね。
φ(.. ) メモメモ


33. シュッツ(1585-1672) 宗教的なカンタータ(コンチェルト)<おお主よ、助けたまえ>
   Heinrich Schütz(1585-1672) Sacred Cantata (Concerto), "O Herr, hilf"


バッハのちょうど100年前に同じくドイツに生まれたのがシュッツです。彼は伴奏附単音楽(カッチーニの曲のような、モノディーと呼ばれる歌)の様式や、合唱と器楽合奏を結合する手法をヴェネツィアからドイツに持ち帰りました。これらが後にバッハで集大成するわけです。この曲は、2本の独奏ヴァイオリンと、3人の歌い手で演奏されます(もちろん伴奏楽器はありますが)。ヴァイオリン(器楽)と2人の女声(歌)の音型が交換されていたりして、声楽に器楽的なスタイルを取り入れたバロックの特徴を示しています。中間の終止部分には、4分の3拍子の2小節を2分の3拍子の1小節に聴かせる手法:ヘミオラ(hemiola)が見られます。

というわけで、器楽と声楽の対比を音で表現するためには、この曲も歌わざるを得ないでしょう。
しかも女声を交えないといけません。(^_^;)


34. ジロラモ・フレスコバルディ(1583-1643) オルガン用の<信経のあとのリチェルカーレ>
   Girolamo Frescobaldi(1583-1643) "Ricercar dopo il Credo" for Organ


リチェルカーレは、フーガの手法と同じです。少し詳しく書きますと、リチェルカーレやファンタジアと呼ばれる器楽音楽の構造は、いくつかの主題を次々フーガのように扱っていく点では、16世紀のモテットと似ています。これら様々なものが、後にフーガとして一括りにされたというっても間違いではないと思います。ちょっとここで断っておかねばならないのは、例えばファンタジアやモテットと言っても、何世紀のどの国や地方のものを指すかによって、それらは異なるものであるということです。その点は細かく書きませんがお汲み取り下さい。16世紀初めに現れたリチェルカーレは、声楽のモテットを鍵盤楽器やリュートのためにアレンジした素朴なものでしたが、端から器楽作品として作曲されるリチェルカーレが登場してきました。17世紀になりますと、主題は1つに集約されます。このフレスコバルディのリチェルカーレもそうです。半音階を使ってゾクゾクっと上昇していく主題がなんとも艶かしく感じます。ちなみに信経とは、ミサのクレドですね。



Papalinの多重録音でお聴き下さい。m(_ _)m



曲目

   30. ジゥーリオ・カッチーニ(1560頃-1618頃) マドリガル<ああ、わたしは死なねばならぬのか>
     Giulio Caccini(c.1560-c.1618) Madrigal for Solo Voice and Lute, "Dovrò dunque morire"
   31. モンテヴェルディ(1567-1643) オペラ<オルフェオ>から レチタティヴォ<お前は死んだ>
      Claudio Monteverdi(1567-1643) Recitative from Orfeo, "Tu se' morta"
   32. カリッシミ(1605-1674) オラトリオ<ソロモン王の裁判>から <われに剣をもちきたれ>
      Giacomo Carissimi(1605-1674) Scene from Judicium Salomonis, "Afferte gladium"
   33. シュッツ(1585-1672) 宗教的なカンタータ(コンチェルト)<おお主よ、助けたまえ>
      Heinrich Schütz(1585-1672) Sacred Cantata (Concerto), "O Herr, hilf"
   34. ジロラモ・フレスコバルディ(1583-1643) オルガン用の<信経のあとのリチェルカーレ>
      Girolamo Frescobaldi(1583-1643) "Ricercar dopo il Credo" for Organ


使用楽器 (440Hz)

    ソプラノ         モーレンハウエル    グラナディラ
    アルト          メック           エボニー
    テナー          全音            チェリー
    バス           メック           メイプル
    グレートバス      キュング          メイプル
    コントラバス       キュング          メイプル
    サブ・コントラバス   キュング          メイプル



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この記事へのコメント

2011年11月12日 16:46
>私は彼の作品としては、甘美なアヴェ・マリアしか知りませんでしたけれど

(あれ?以前"Amarilli mia bella"を演奏されていたはず。)と思って探したらやっぱりありました。そちらに作者不詳のようだけれどカッチーニ作らしいとありましたね。作者不詳という説はまったく知りませんでした。甘美な"Ave Maria"のほうがカッチーニ作でないと言われていますよね。こちらにもありました。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B
Papalin
2011年11月12日 18:07
◆◆ あれ?以前"Amarilli mia bella"を演奏されていたはず

Ceciliaさん、ありがとうございます。
ichi
2011年11月16日 08:56
音楽でも絵画でも、芸術は時代を超えて語りかけてくるものがあります。それは生身の人間の感性なんでしょう。本の批評ではこの本は音楽史の本ではなく楽譜集だというようなコメントも見られましたが、個人的には楽譜集こそが音楽史だと思っており、この本を手にとりました。またこれらの楽譜がこうして全て音になっていくのを目の当たりにすると壮観で、Papalinさんてなんて便利な・・・もとい凄い人なんだろうと思います。この本はきっと音楽科の授業などで使われたものなんでしょうが、全パートを全部演奏した人はいないと思うなぁ。ブログも楽しみにしています。
Papalin
2011年11月16日 21:00
◆◆ 個人的には楽譜集こそが音楽史だと思っており・・・

ichiさん、ありがとうございます。
いいですね、100%同意します!

楽譜は楽譜以外の何ものでもなく、また音楽そのものです。現代は楽譜から読み取れない音楽屋が多すぎるように思います。CDやYouTubeや、とにかく音を耳にしないと自分で音楽を作れない。情けないじゃないですか、それは素人の特権なのに、プロもそう。音大生が新たに与えられた課題の曲を演奏するのに、まずCDを買い求めるというのですからね。

音楽史とても、楽譜から読み取れるところがあります。でも、こうして先駆者が歴史上の楽譜に基づいて言葉を足してくれると助かるというのも事実です。自分で調べて考えなくてもいいですからね。

> Papalinさんてなんて便利な・・・

ブログ本文で書こうと思っていることなのですが、僕はそういう便利屋の一人でありたいと思っています。僕がネットから得る知識や情報に、ほんの少しでも恩返しができるとするなら、この方法だと思っているのです。詳しくはブログ本文で。あ、まだ書いていませんけれど。(^_^;)

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