◆IL DIVO◆ 日本のうた30 (JAZZアレンジで弾く)
≪毎日がコンサートの本番です≫
"Japanese Songs in Jazz 30" for Piano Solo
URL : http://papalin.yas.mu/W262/#M015 (第1部)
URL : http://papalin.yas.mu/W262/#M016 (第2部)
URL : http://papalin.yas.mu/W262/#M017 (第3部)
◇公開日: 2012年3月28日
◇演奏時間: 78分4秒
◇録音年月: 2012年3月 (51歳)
上のアルファベットの曲目名を
クリックして、Papalinの音楽サイト
からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)
ピアノ用に、それも初級~中級くらいの腕前の人を対象とした
ジャズ・アレンジの楽譜との出会いを求めて、お店で探します。
そうして出会ったのが、この曲集でした。
リコーダー・アンサンブルで演奏しても遜色ないと思います。
それどころか、従来のリコーダー・アンサンブルの響きにはない
ちょっと耳新しいハーモニーを耳にすることができます。
元々ジャズの有名な曲をピアノ用にアレンジということではなくて、今回のように、誰もがよく知っている「日本のうた」をジャズ・テイストに仕立てると、リコーダー・アンサンブルの演奏会でも、聴衆の耳には斬新な記憶として残ると思います。それに演奏している方も、このリズムやハーモニーを体感できることは、きっと楽しいことでしょう。更にリズム感や音程の感覚も養われるという、おまけつきグリコのようなものです。
楽譜には30曲収録されていますので、徐々に演奏してみます。リコーダー・アンサンブルでジャズの曲を演奏するには、絡み合うハーモニーを活かすために、なるべく音を割愛したくないところですよね。2曲演奏してみましたが、全ての音を演奏するためには、7人の奏者が必要でした。しかしながら、伴奏をオクターブで鳴らしている箇所などで高音側低音側のどちらかを省略する等の工夫すれば、5~6人でも演奏可能でしょう。4人だと音の選び方に工夫とセンスが必要になるとは思いますが、雰囲気を損なわない範疇で何とか可能かもしれません。
こうした曲をコンサートで、またはコンサートを目標とした練習で取り上げることについて、ひとつ考慮すべきことがあります。ひょっとするとそれは、こうした曲が取り上げられない最大の理由なのかも知れません。何人かによるリコーダー・アンサンブルを行なうときに、リコーダー・アンサンブルのために編曲された楽譜を使うのがもっとも容易でかつ適しているとお考えになるでしょう。その結果、日本中の至るところで同じ曲の同じ編曲によるものが演奏されます。別にお隣さんと比較する必要はないのですが、おそらくリコーダー音楽祭などでは演奏曲目が重なったりするのではないでしょうか。そこで今回私が演奏しているような変り種を選んでみようかということになるのですが、大きな課題は、こうしたピアノ用の楽譜を作成される方は、リコーダーのことなど全く眼中にないということです。つまり、ピアノ譜をそのままリコーダー・アンサンブルに置き換えた場合には、リコーダー奏者間にいわゆる不公平感が生ずることです。
これは私の穿った見方かも知れませんが、リコーダー・アンサンブルの楽譜および、リコーダー・アンサンブルの奏者たちの中で、「どのパートにも活躍どころがあって、殆ど曲目全般に渡ってどのパートも音を出していて、みな均等に活躍できる」というのが当たり前のようになっているような気がします。一方で、作曲家はどう思ってその曲を作っているかというと、例えば、ドヴォルザークの交響曲『新世界から』ですと、40分くらいかかる全曲演奏の中で、シンバルはたった一箇所しか登場しません。しかもシンバルらしくなく、ピアニシモで演奏するたった一音だけです。オーケストラの演奏者ならば、数十小節ずっと休みなんてことも普通にあります。つまり奏者間の公平さなどは眼中にないのです。むしろ不公平であることが、優れた音楽を創出する必要条件かもしれません。なぜリコーダー・アンサンブルだと、「皆が仲良く均等に」という発想に支配されてしまうのでしょう。以前から不思議に思っていたことです。
私は音楽とは、ドヴォルザークの例のようで構わない、いや、そうであることによって、より音楽の魅力が高まるのだと思っています。また例え話で恐縮ですが、2曲目の浜辺の歌では、ほんのちょっとだけソプラニーノが登場します。それは、音楽的な高まりを表現するのに最適な使用法だと思います。ピアノでは一つの連続したフレーズを一人の奏者が弾くのですが、リコーダーだとこの例では2人(ソプラニーノとアルト)で協力してフレーズを表現することになります。でもそれって考え方を変えれば、たった2オクターブしか音域がないリコーダーでの演奏の腕の見せ所でもあり、醍醐味とも思えないでしょうか。また例えですが、交響曲だって、あるフレーズを、Vn1⇒Vn2⇒Vla⇒Vc⇒Cbと連携して表現することはありますものね。管楽器の間でも然りです。不思議なことに、リコーダー・アンサンブルの楽譜って、それがないのです。フレーズは一つのパートで完結させるのが殆どだと感じています。
話が発散してしまって申し訳ありませんが、元に戻しますと、ソプラニーノ・リコーダーが最初から最後まで出ずっぱりの曲なんて、ヴィヴァルディのコンチェルトくらいで充分だと思います。高音ばかりでは聴く方も疲れます。私は変わり者ですから、キンキンと耳をつんざくソプラノやソプラニーノなんて、一曲中にここぞというときにちょっと登場するだけで充分だと思います。
例えばリコーダー四重奏の場合、次のようなことってありませんか?
ソプラノが旋律を殆ど握って吹き続ける。
やっとアルトやテノールやバスに旋律が渡ったかと思えば、
それでもソプラノを休ませないでオブリガートのようなことをさせる。
リコーダーで弱音を出すのは至難の技だから、嫌が応にも
聴衆には最高音のソプラノの音が最も耳に飛び込んでくる。
それはまずいぞと、ソプラノ奏者は一生懸命弱音で演奏しようとして、
替指も使うことなしに弱音するので、ピッチが思いっきり下がってしまう。
その結果、まるで小学生の学芸会のように(微笑ましさとは別の次元で)
ハーモニーとしては聴くに耐えない稚拙な演奏になる。
その結果、リコーダー・アンサンブルは稚拙な音楽だという評価に至ってしまう・・・。
これって負のスパイラルのような気がするんです。私は、テナー・リコーダーが最前面で活躍するようなリコーダー・アンサンブルの響きが最も美しいと感じています。譲歩してもアルトまでですね。もっとも、グレートバス(Cバス)やコントラバス(Fバス)という楽器が複数あってのお話ですが・・・。
言いたい放題、失礼しました。m(_ _)m
楽譜は、こちらを使用しました。よく見たら、「ピアノ・ソロ上級」って書いてありました。(^_^;)
Papalinの多重録音で、お聴き下さい。m(_ _)m
収 録 曲 目
【第1部】
[1] 故郷
[2] 浜辺の歌
[3] 赤とんぼ
[4] さくらさくら
[5] 花
[6] 荒城の月
[7] 里の秋
[8] この道
[9] 夕焼け小焼け
[10] 通りゃんせ
【第2部】
[11] 茶摘
[12] たなばたさま
[13] うみ
[14] もみじ
[15] どんぐりころころ
[16] おぼろ月夜
[17] からたちの花
[18] 椰子の実
[19] 月の砂漠
[20] 宵待草
【第3部】
[21] 七つの子
[22] 証城寺の狸囃子
[23] 竹田の子守唄
[24] ちいさい秋みつけた
[25] おもちゃのチャチャチャ
[26] サッちゃん
[27] 夏の思い出
[28] 四季の歌
[29] みかんの花咲く丘
[30] 知床旅情
使用楽器 (440Hz)
ソプラニーノ キュング ローズウッド
ソプラノ モーレンハウエル グラナディラ
アルト メック エボニー および オリーブ
テナー 全音 チェリー
バス ヤマハ メイプル
グレートバス キュング メイプル
コントラバス キュング メイプル
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この記事へのコメント
リコーダーを趣味とするほとんどの人がS(小学校)→A→T→B→GB/CBという順に経験値を上げてきており、アンサンブルのグループができたとき低音パートを担当するのは“経験値”の高い人であることが多いですよね。全員が満遍なくパートを交替できるグループなら良いですが、そうでなければ常に同じ人が好き嫌いに関わらず低音パートを吹き続けることになります。でもこれって低音パート担当者にとってはときどき楽しくないって気持ちがおきてしまいます(楽しいと言う人も中にはいますが)。
オケなどの多様な楽器の編成とちがって同じ楽器の高音低音だからこそ、いろいろなパートを吹いてみたい。けれども諸事情によりパートが固定しがち。したがって固定したどのパートでもそれなりに“公平に”楽しめる編曲を…。リコーダー四重奏の編曲の方々はそんなアマチュア愛好家事情を汲んで編曲されているのではないでしょうか。
まあその結果耳を劈くソプラノの独壇場となってしまうことも多々あって、発表会をするたびに「プロが吹くともっと良いんだよ~」と言い訳しちゃったりするんですけどね(^^)。
なんかとりとめなくてすみませんm(_ _)m。
ジャズアレンジはどれも素敵でした!リコーダーの可能性が広がるようでわくわくしました♪
P-san、ありがとうございます。
色んなしがらみも考慮せず、言いたい放題書いてしまいました。(^_^;)
P-sanが書かれたこと、よ~くわかりますし共感します。どれもが、何人か集まってアンサンブルをするときには必ず直面する課題ですね。それらを解決しながらまとめていくというのも人間の営みなのでしょうね。そういう営みをせずに、好き勝手やっているのがパパルテットです。それと、政令指定都市のような人口の大きなところだと、いくつものアンサンブルがあって、それらを掛け持ちされている方もいらっしゃいます。固定化を防ぐ一つの方法でしょうね。
S⇒A⇒・・・⇒GB/CBの件はまさにそうで、パート固定化もその通りだと思います。低音楽器が楽しいのは、上に乗ってくれる奏者が音楽性豊かな場合です。そうでないと飽きちゃいますね。
公平さに関するリコーダー・アンサンブルの楽譜についても、しかたないだろうなと思っています。だから逆に今回のような変り種があってもいいのかなと思います。例えば素人のコンサートでは、お客様を飽きさせないための工夫が必要です。素人がヘンデルソナタ全曲演奏会をしても無理でしょうから。20人とかいるリコーダー・オーケストラでも、中に4人だけのカルテットの曲を入れたりすると思うんですよね。それと同じような感覚で・・・。
六本木の高級ラウンジで、"この道"のような曲がリコーダー・アンサンブルで演奏されたらいいなぁ・・・などと夢見ています。(^-^ )
>低音楽器が楽しいのは、上に乗ってくれる奏者が音楽性豊かな場合…
まさにそうなんです。そんなとき多分低音パートは他のどのパートより音楽を楽しめると思うんですよね。
リコーダーアンサンブルではパートをできるだけ公平になるように編曲されているものが多いしそういうものだと思っていましたが、本来は曲が先にあるのだから、そういう発想ってやっぱりちょっと特殊なのかもしれませんねー。
>六本木の高級ラウンジで…
いいですね~♪そんな場所があるなら今晩すぐにでも行きたいです♪♪
P-san、ありがとうございます。
そんな風には思いませんでしたよ。
むしろ歯に衣着せたようなやり取りの方が苦手です。(^_^;)
オーケストラでコントラバスを弾かれている方は、自分の音の上に素晴しいメロディが乗ってくれる楽しみがありますでしょうし、それがたまに自分のパートにも回ってくる、ここぞというときの励みにもなると思います。それは幸せを感じるアンサンブルでしょう。音楽はそうありたいですね。先生が指導して下さるアンサンブルではなくて、自分たちだけで練習するよなアンサンブルの場合に、音楽的にリードしていかなければならないのがトップ(ソプラノ)だと思うのですが、技術的・音楽的に経験が乏しい人がそれを担うことになってしまうのは、リコーダー・アンサンブルくらいではないでしょうか。そしてそれが一般的なリコーダー・アンサンブルに対する印象となってしまって・・・、あぁまた負のスパイラルに陥ってしまいました。(^_^;)
> 本来は曲が先にあるのだから・・・
そうそう、そういうことですよね。
何故か私が発想する場所は六本木なのです。不思議です。
ジャズのトリオのように、ラウンジの片隅で、お客さんに媚びることもなくムーディな曲を黙って演奏し続けている・・・そんなリコーダー・アンサンブルがあったら格好良いと思うんだけどなぁ・・・。
ichiさん、ありがとうございます。
その気持ち、よ~くわかります。アンサンブルの一つの楽しみ。
私の場合、全部のパートを上から順に演奏して行く(なんとベースは一番最後に入ります)ので、どのパートが好きというのはなく、たった今演奏しているパートの音が和音の中にスーっと溶け込んで行く感じが好きです。
演奏してみてわかることってありますね。歌もそう思います。
さて、今まで12曲が完成しています。ちなみに、どんぐりころころは何番目かなと楽譜を見ましたら、15番目ですね。もう3曲演奏するかどうか、微妙なところです。そうそう、どんぐりころころの歌詞、ちゃんと覚えてますか?
♪どんぐりころころ どんぶりこ♪ 私は間違えて歌ってました。