◆IL DIVO◆ グイード・ダレッツォ / 聖ヨハネ賛歌 ★7000曲記念★
≪毎日がコンサートの本番です≫

Guido d'Arezzo (c991-1050) / Ut queant laxis
URL : http://papalin.yas.mu/W031/
◇公開日: 2012年11月21日
◇演奏時間: 45秒
◇録音年月: 2012年11月
上のアルファベットの曲目名をクリックして、
Papalinの音楽室でお聴き下さい。(視聴・試聴)
非常に格好悪いお話ですが、どれが7000曲目かわからなくなってしまいました。
ならば、西洋音楽史上、非常に優れた発明・発見をしたこの人に、その栄誉を与えることにします。
というわけで、西洋音楽を語る上で、この人を落とすわけには参りません。
『音楽史を変えた五つの発明』という本の中で、
一つ目の重要な発明をした人としても紹介されています。
グイードは中世イタリアの音楽の先生で、私たちが今使用している楽譜記譜法の元になる形を考案した人です。上記の本では、「細く赤い線──グイード・ダレッツォと記譜法の発明」として紹介されています。彼は今で言うならば改善魂を身につけた発明家でしょう、とにかく凄い人だったようで、いくつかの偉業を成し遂げています。
ほぼWikiからの転載になりますが、彼が先生をしていた修道院の聖歌隊が、グレゴリオ聖歌を暗記するのがとても困難であったようなのです。楽譜のない時代のことですから、それは私にも容易に想像ができます。グイードは聖歌を短期間で覚えられる方法を考案しました。当時、音楽を表記する方法が確立されてはいませんで、聖歌隊のメンバーは聖歌を暗譜して次の代に伝承する、という方法をとっていました。しかし人間の記憶力には限界があり、小さなミスが重なって長い年月の間に聖歌が変化してしまうことも珍しくなく、また暗譜するまでにかなりの時間を要しました。そこでグイードは1025年頃、4本の線の上に四角い音符を書くという、現在の楽譜の表記法の原型(ネウマ譜)を考案しました。これは当時の音楽界に革新的な飛躍をもたらし、時の教皇にもその名が伝わり、キリスト教の教会における聖歌を正確に記録し後世に伝えることが可能となったのです。
その彼が、おそらく聖歌隊に教えるために考案したのが、有名な「グイードの手」です。なんだかフレミングの左手の法則の絵みたいですね。まうかめ堂さんの解説がわかりやすいので、ご覧になって下さい。
そして本題です。
今でこそ私たちは当たり前にドレミファソラシドという音階を口にしますが、初めてこのように呼んだのがグイードだったのです。音に名前を付ける・・・当たり前のことのようで、それまではなかったことだったのですね。彼がこのように名前を付けることにした題材が、今回私が歌った曲です。
歌詞を見ましょう。
『聖ヨハネ賛歌』 (ラテン語)
Ut queant laxis
Resonare fibris
Mira gestorum
Famuli tuorum
Solve polluti
Labii reatum
Sancte Johannes
あなたの僕(しもべ)が
声をあげて
あなたの行いの奇跡を
響かせることができるように
私たちのけがれた唇から
罪を拭い去ってください
聖ヨハネ様
この歌の各フレーズの出だしが、今で言うド・レ・ミ・ファ・ソ・ラになっているのです。その頭文字を音名に使ったのですね。Utは発音しにくかったのか、のちにDoに変わります。DomineのDoです。また、当時はドからラまででしたが、歌詞の最後の節のSとJ(Iと同じ)を用いて、後に"シ"が命名されたようです。このお話はネットでもいくつも検索できますので、興味がありましたらご覧になって下さい。
楽譜は、手持ちのものを使いました。ここにも画像で載せておきましょう。
Papalinの歌で、お聴き下さい。m(_ _)m
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この記事へのコメント
金太郎芋さん、ありがとうございます。
楽譜のない時代に音楽を奏でること(歌うこと)は、きっと私たちが想像する以上に大変なことだったのでしょうね。この歌のように、単旋律の歌ならまだしも、多声音楽は楽譜がなければほぼ無理でしょう。
金太郎芋さんが仰るように、この時代の楽譜は非常に美しいものが残されています。これらの楽譜は主に教会に写本という形で残されていて、当時もそれは貴重なものだったに違いありません。例えばラテン語で書かれた聖書であっても、ルターなどの宗教改革の時代までは、私のような一般大衆は目にすることもなかったわけですものね。現代に生きる我々って、本当に幸せだと思うのです。(^ム^)