◆IL DIVO◆ ヤコポ・ダ・ボローニャの作品
≪毎日がコンサートの本番です≫

Jacopo da Bologna (14c.) / Sotto l'imperio del possente prince
URL : http://papalin.yas.mu/W019/
◇公開日: 2012年11月24日
◇演奏時間: 2分45秒
◇録音年月: 2012年11月
上のアルファベットの曲目名をクリックして、
Papalinの音楽室でお聴き下さい。(視聴・試聴)
ヤコポ・ダ・ボローニャは、イタリアに多声音楽をもたらせた、トレチェント音楽の作曲家の一人でした。え、14世紀になってやっと多声音楽を? そう感じたのは私だけでしょうか。彼は14世紀の中頃に活動していたことが知られていますが、生年、没年は不明です。
トレチェント音楽について解説が必要ですね。Wikiからの抜粋です。
トレチェント音楽は、14世紀に北イタリアで発生し、発展したイタリア最初で独自の多声音楽文化。イタリア語で「300」を意味するトレチェント(trecento)、つまり「1300年代」を指す名前が冠されている。フランスのアルス・ノーヴァ、アルス・スブティリオル期に対応する。著名な作曲家としては、フランチェスコ・ランディーニが挙げられる。これらのトレチェントの音楽は、同時代のフランス音楽であるアルス・ノーヴァが、イソリズムなどリズムを重視したのに対し、旋律を重視したことに特徴がある。
トレチェント音楽は、ミラノのヴィスコンティ家などの特定の宮廷文化として花開いた初期、フィレンツェを中心として裕福な市民階級に広がりを見せた盛期、ローマとアヴィニョンの教皇庁同士の音楽趣味の競い合いからアルス・スブティリオルを採り込んで技巧に走り、特定のパトロン達に依存するようになって、結局は15世紀の初頭にフランドル楽派に道を譲った末期に分ける事が出来る。その後16世紀半ばまでイタリア人音楽家は流行歌のフロットラやラウダを作る事に埋没し、その間は著名な作品も作曲家も現れることはなかった。
初期や盛期の作品は、ロッシ写本(Rossi 215)、サン・ロレンツォ写本(San Lorenzo 2111)、レイナ写本(Reina Codex)、同時期のフィレンツェで作られたスクアルチャルーピ写本(Squarcialupi Codex)、パンチャティーキ写本(Panciatichi 26)等に、また末期の作品は、ボローニャQ15写本(Bologna Liceo Musicale Q15)等に残されている。
なるほどね。
実は、IMSLPで、同時代のフランス、アルス・ノヴァの大御所:ギョーム・ド・マショーのバラード曲集の楽譜を見つけてしまい、演奏を始めたところなのですが、リズム重視のアルス・ノヴァの音楽を演奏してみますと、ヨーロッパの音楽が様式や技工を追求していったことがよくわかります。でも、果たしてホケトゥス(しゃっくり)のような技法まで登場させてのマショーの歌を当時の人が実際に歌っていたということは、私にとってはかなりの疑問です。そのことについては、これから書くであろうマショーの新しいブログで述べます。
一方のイタリアのトレチェント音楽に接しますと、旋律を重視したという特徴にホッとします。この後、音楽の世界はルネサンス音楽の時代となるわけですが、時の教皇が、「これぞ正当な音楽である。教会の音楽はパレストリーナの音楽を手本とせよ。」のようなことを述べたパレストリーナの宗教曲に通じるものを感じました。
その後、バロック音楽の時代になると、イタリア音楽はまた変わってヨーロッパの音楽を先導していくのですが、こうしたトレチェントのような時代を過ごしてきたというのが非常に興味深いと感じるのです。
イタリアのトレチェント音楽の作曲家、ヤコポ・ダ・ボローニャの作品、たった一曲ではありますが、続くランディーニの作品とともに、お楽しみ下さい。
楽譜は、IMSLPから借用致しました。
編成 と 使用楽器 (A=440Hz)
バス ヤマハ メイプル
バス ヤマハ メイプル
バス ヤマハ メイプル
Papalinの多重録音で、お聴き下さい。m(_ _)m
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