◆IL DIVO◆ 五線譜でたどる音楽の歴史 J: ネーデルランド楽派とパレストリーナ
≪毎日がコンサート本番!≫

Music History in Examples. From Antiquity to Johann Sebastian Bach (Otto Hamburg) / Netherlandish School and Giovanni Pierluigi da Palestrina
URL : http://papalin.yas.mu/W711/#M010
◇公開日: 2014年3月18日
◇演奏時間: 24分10秒
◇録音年月: 2014年3月
上のアルファベットの曲目名をクリックして、
Papalinの音楽室でお聴き下さい。
オットー・ハンブルク(Otto Hamburg)著による『五線譜でたどる音楽の歴史(Music History in Examples. From Antiquity to Johann Sebastian Bach)』に掲載された楽譜を用いて演奏しています。
【J: ネーデルランド楽派とパレストリーナ】
30. シャンソン「戦士」 (メロディ)
Chanson "L'Homme arme" (Melody)
出所不明のこのシャンソンは、デュファイや当時の作曲家、さらにはもっと後の作曲家たちによっても、ミサ曲のテーノルとしてよく使われた。
「戦士」や「武装した人」という曲名よりも、ひょっとしたら原語の「ロム・アルメ」の方が馴染みがあるかも知れません。作者不明の作品が有名な曲であることは、ままあるものです。身近なところでは、グリーンスリーブスもそうです。
31-1. ミサ曲「戦士」 / ギョーム・デュファイ
Missa "L'Homme arme" / Guillaume Dufay (c1400-1474)
31-1. ミサ曲「戦士」より キリエ第1部 / ギョーム・デュファイ
Missa "L'Homme arme" Kyrie I / Guillaume Dufay (c1400-1474)
31-2. ミサ曲「戦士」より アニュス・デイ第3部 / ギョーム・デュファイ
Missa "L'Homme arme" Agnus Dei III / Guillaume Dufay (c1400-1474)
この曲は5つのミサ通常文全部をポリフォニーにしたもので、デュファイの創作後期に生み出された一群のミサ曲の一例である。主声部であるテーノルが、他の声部の構造を規定しているが、リズムの変化と狭いハーモニーに円熟した創作力がはっきり認められる。ここに取り上げた2つの譜例によって、モテットの場合と同じ「外来の」歌曲が手を加えられ、テーノルとして使われている有様がわかる。
(中略)
このミサ曲の所々に見られる次のような注釈も注目に値する。例えば "Canon : Ad medium referas pausas relinquendo priores"(前のものをやめて、休符(音符)を半分にしなさい)とか、"Seindite pausas longarum cetera per medium"(ロンガ休符は切り裂き、他は半分にしなさい)、あるいはここに取り上げたアーニュス・デーイの最後の祈りに見られるような、"Cancer est plenus sed redeat medius"(カニは十分(逆行は全面的)だが、半分にする)など。
デュファイは、比較的長い生涯の中で、若い頃と晩年の作品が全く異なることは以前にも書きました。これは晩年の作品になります。彼の作品の中に、中世の音楽があり、またルネサンスの音楽があるというものです。彼をどの時代の作曲家として括るかはできない相談ですね。
32. シャンソン「いい日、いい月」 / ギョーム・デュファイ
Chanson "Bon jour, bon mois" / Guillaume Dufay (c1400-1474)
デュファイ、バンショワその他の15,16世紀の作曲家たちは、様々な世俗曲にも力を注いで大きな成果を収めた。ここでは、新年を祝う3声のシャンソンを取り上げた。曲の骨組みは、テーノルとスペリウス(superius)によってつくられているが(フォブルドン技法の応用)、この両者は模倣の技法で部分的に組み合わされている。歌詞のない部分は、楽器で演奏されたものと考えられる。この曲の自由な声部構造に比べると、等リズムの技法によるデュファイの大曲は重苦しい印象さえ与える。この曲("Das Chorwerk, 19"参照)のラテン語による替え歌「真実を見極める人、イエス」(Jesu judez veritatis)もある。
中世とルネサンスが同居しているような曲で、私はこれで3回目の演奏録音となります。この演奏も、同じところに入れておくことに致しましょう。
33. モテット「主よ、あなたの民のことを」 / ヤコブ・オブレヒト
Motet "Parce Domine" / Jacob Obrecht (c1450-1505)
ベルゲン・オプ・ツォーム出身のオブレヒトは、デュファイの次の世代の人である。このネーデルランドの大家のモテット「主よ、あなたの民のことを」は、ここに取り上げた3声のものの他に、4声のものが2,3の写本に筆写されている。けれども、早くもグラレアーヌス(Glareanus, 1488-1563)が指摘しているように、追加された第4の声部(第2アルトゥス)はオブレヒト自身が書いたものではない。この曲では、明確な旋律型の変奏、明快な声部導入、それに均整のとれたリズム配置が注目に価するが、これはまたオブレヒトの特徴でもある。当時極めて人気のあったこの曲は、後になって鍵盤楽器用に編曲され、他の編曲ものと一緒にアテニャン(Attaingnant)によって1531年に出版された。
心が落ち着く曲、素晴らしい曲だと思います。願わくばもう少しこの時間が長くあってほしい、もう少し長い曲にして、ずっとこうした音が響いていてほしいと思います。
34. モテット「ああ、恵みに満ちたマリーア様」 / ジョスカン・デ・プレ
Motet "Ave Maria... virgo serena" / Josquin des Prez (c1440-1521)
ここに取り上げたジョスカンのモテットでは、これよりもっと前の時代の曲(ことに譜例32)ですでに見られた模倣の技法が一層発展した興味深いものになっている。音楽の素材には、中世以来有名だったひとつの旋律が使われ、歌詞は最初と最後の詩節が5音節男性韻、その間に8音節男性韻4行の詩節が5つある。歌詞の出だしは模倣法でソプラノ>アルト>テノール>バスの順に入ってくるが、"Virgo"のところからは、アルト>ソプラノ>テノール>バスの順になる。和声的に進行する第4詩節を除いて、各詩節では、2つの声部が一組になった模倣が目立つが、終わりの部分は幅広く和音的になっている。模倣的な部分と和声的な部分は、歌詞と関わりなく交代しているように見えるが、歌詞の内容から言っても音楽的にも、重点は明らかに和音的な部分に置かれている。
模倣法によって、各声部が順次歌い出すさまは、楽譜を見るだけでも楽しいですね。この曲は以前演奏したものをそのまま使用しました。ええ、ちょっと目に疲れが…。
35. ミサ曲「音階上の戦士」より アーニュス・デイ / ジョスカン・デ・プレ
Missa "L'Homme arme" Agnus Dei / Josquin des Prez (c1440-1521)
この曲でも、譜例31の場合と同様に、作品の素材として「戦士」の旋律が使用されている。ジョスカンは、この旋律をさらに第2ミサ曲と4声の世俗シャンソンでも取り扱った。ミサ曲「音階の戦士」はジョスカンの作品の中でも最も有名なものである。既定の「シャンソン」は、主にテノール声部の定旋律としてミサ通常文の様々な部分に調を変えて現れる。ここに取り上げたアーニュス・デーイ第2部は、比率のカノンであるが、ここでは西国殿巧みな技法が示されている。比率のカノンでは、拡大(音価を長くすること)や縮小(音価を短くすること)の技法によって、一つの声部から他の諸声部が導き出される(様々な3つの音価記号に注意!)。様々な比率の諸声部は同時に始まるが、当然、既定の旋律の様々箇所で終わる。ここに取り上げた曲では、中声は下声の5度上から始まって2倍の音価で動き、それと同時に、上声は下声の音価を1:3/2の比率に縮小して(下声の2拍に対して上声は3拍)進んでいる。この技法は、16世紀によく見られるものだが、当時の楽譜の初めに書き込まれている様々な音価記号を見れば、すぐにそれとわかる。
つまり、この曲がどういう構造になっているかと言いますと、上声は3/2拍子で書かれているのに対して、中声と下声は2/2拍子で書かれているのです。歌詞は通常文のアーニュス・デーイで慣れ親しんでいますので、歌ってみようと思って取り組みましたが、このテンポをきちんとキープするのは至難の業でした。当時の歌手(聖歌隊)たちは、こんなの朝飯前という感じで歌ったのでしょうか。凄すぎます。
36. 「山と深い谷の合間に」 / ハインリヒ・イザーク
"Zwischen perg und tiefem tal" / Heinrich Isaac (c1450-1517)
伝統的なネーデルランドのポリフォニーを忠実に学ぶと同時に、同時代のことにドイツ、それにフランスとイタリアの歌曲芸術にも精通していたイザークは、ここに取り上げたようなドイツ「民謡風」の調べを4声の曲に編曲した。バスとテノールは2部輪唱の形で進んでいくが、それに対して、模倣と自由対位法で組み合わされているソプラノとアルトは、楽器での演奏にふさわしい動き方をしている。イザークの弟子ゼンフルによる改訂版ではそれがはっきりしていて、歌詞はバスとテノールにしか付いていない。
既定のメロディを使って4声の作品にしたというのは、つまりは編曲をしたということなのですが、誰もがこうした編曲をすることができたわけではないでしょう。イザークと言えば高校生の頃に耳にした「インスブルックよ、さようなら」が強烈に頭の中に残っていますが、それは歌としてのメロディのなめらかな美しさだけでなく、むしろ私の中では4声のハーモニーの美しさを感じたからだったと思います。
37. 詩篇第4番「私が願いを込めて呼んだ時」 / クレメンス・ノン・パーパ
"Als ick riep met verlanghen" / Clemens non Papa (c1510-1555)
ネーデルランドでは、すでにクレマン・マロ(Clement Marot)と、テオドール・ド・ベーズ(Theodor de Béze)による有名なフランス語訳詩篇の22年前、詩篇の韻文訳がなされていた。これはおそらくヴィレム・フォン・ニーヴェルト(Willem von Nieveldt)によるものと思われる。この翻訳は、1540年に『詩篇歌集』(Souterliedekens)という表題でシモン・コック(Simon Cock)によって出版された。同書には、多分ニーヴェる戸が採譜して付けたと思われる旋律が付いている。その諸旋律は、主としてネーデルランドの「民謡」旋律であるが、時にはワルーン地方やフランス、ドイツの民謡も散見されるほか、ラテン語の宗教歌曲旋律も少しあって、16世紀の歌曲を研究する上でかけがえのない史料となっている。クレメンス・ノン・パーパは、アントウェルペンの出版業者ティールマン・スザート(Tylman Susato)の依頼によってこの『詩篇歌集』をポリフォニーに編曲したが、その際、彼は3声部作法を取って、原旋律をテノールの声部に使った。ここに取り上げた詩篇第4番では、"Het daget in het Oosten"の旋律が定旋律として用いられている。
スザートからの依頼は、現代に即して考えると、メロディが与えられて、それに対位法を付けなさいと言ったような試験問題のようなものだったのかも知れませんね。それにしても巧みに3声の作品に仕上げました。
38. モテット「私の魂は死ぬほどに悲しい」 / オルランド・ディ・ラッソ
Motet "Tristis est anima mea" / Orlando di Lasso (c1532-1594)
モテット、ことに特定の情調を表現するモテットは、「音楽家の王」(princeps musicorum)ラッソの広範囲にわたる作品の中でも確かに独特の位置を占めている。このオリーブ山上でのキリストの言葉に付曲した感動的な作品は、その一例である。歌詞の意味内容に見合った様々な楽型の動機が自由に模倣し合う部分には、歌詞に対するラッソの深い精神的洞察力と、それを音楽的に適切に表現しようとする彼の努力がよく現れている。例えば、"Tristis est"と歌い出す最初の部分では、ひとかたまりになって歌詞を歌う下声群は重苦しくやるせなく、ソプラノは甲高く絶望的に、さらになた第14小節で"(mor)tem"という言葉を歌い終えるところでは、2オクターブと空虚5度の音程が響く! 譜例33と34(オブレヒトとジョスカン)を参照すると、様式の転換期がもたらされようとしているのがはっきりわかる。ラッソのシャンソンも、譜例75aとして取り上げている。
何とも心を揺さぶる作品です。空虚5度とは、3音を使わずに完全5度だけで響かせる和音のことで、例えばモーツァルトはレクイエムの中で、終止音として用いています。3音がないことによって、長調なのか短調なのかを明言してません。それは聴く人の心に委ねられます。音楽が神への捧げもの(学問)から、人間らが楽しむもの(いわゆる芸術)に徐々に変わっていった様が感じられます。以前演奏したものを流用しました。
39. 「法王マルチェッルスのミサ曲」より
アーニュス・デイ II / ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ
"Missa Papae Marcelli" Agnus Dei II / Giovanni pierluigi da Palestrina (c1525-1594)
ラッソと肩を並べる16世紀最大級の作曲家としては、パレストリーナの名をあげなければならない。彼の作品にはエノー県出身の同時代者(ラッソ)の作品が持っている暖かい情感味に欠けるところがあるが、その代り、例えようのない崇高さがある。パレストリーナは、彼の仕事、例えばミサ曲とモテットに見られる声楽対位法で完成の極みに達したひとつの音楽文化を代表する最後の人である。トレントの旧教改革運動と新しい教会音楽を求める声に応じようとする彼の努力のおかげで、彼の作品はいち早く認められ、不朽の名声を得るに至った。ことに『法王マルチェッルスのミサ曲』(マルチェッルス2世,在位1555)は「よみがえった」ポリフォニー教会音楽の香気に満ちている。ともあれ、ポリフォニーとして作曲された歌詞が理解し得るものであり、またそれが背景音楽として典礼にふさわしいものであることを、改革派の法王たちが納得するに至ったことは確かである。アーニュス・デーイ第2部では、カノンを構成しながら進んでいく諸声部、つまり第1バス、第2アルト、それに第2ソプラノ(譜例30の「戦士」の出だしが動機となっている)が、これまたポリフォニー様式で書かれた他の4つの声部の中にはめ込まれている。「法王マルチェッルスのミサ曲」の楽譜には、色々な版がある。
さすがパレストリーナ、文句のつけようのないハーモニーです。しかも8声の作品です。少し前の演奏で、ところどころ特に3音が気になるところもある演奏ですが、かつて演奏録音したものを流用させてもらいました。声楽対位法を完成させた最後の人という意味では、器楽対位法を完成させた大バッハと共通するように思います。
40. 「私の与えるパンは」
"Panis quem ego dabo"
40-1. モテット「私の与えるパンは」 (パロディ・ミサ) / ループス・ヘリンク
Motet "Panis quem ego dabo" (Parody Mass) / Lupus Hellinck (c1495-1541)
40-2. ミサ曲「私の与えるパンは」より キリエ第1部 / クレメンス・ノン・パーパ
Missa "Panis quem ego dabo" Kyrie I / Clemens non Papa (c1510-1555)
15,16世紀には、既定の定旋律つまり既存の世俗音楽や宗教音楽の基本旋律に基づくミサ曲(譜例29と31)の他に、ポリフォニック・シャンソンやモテット、マドリガーレを作曲の際の素材とsh知恵利用しているミサ曲がある。この種のミサ曲では、素材になった元の曲の声部の数や音が省略されたり加えられたりして、そこにミサの文句が当てはめられている。このような方法で、クレメンス・ノン・パーパは14曲のミサ曲を作曲しがた、ここでは、へリンクのモテット「私の与えるパンは」を素材として利用しているミサ曲を取り上げた。譜例40のaとbを比較すると、変えられた部分やそのまま使用されている部分がはっきりわかる。
少し意外に思うのは、この時代の音楽家にとっては、たとえ厳粛なミサ曲を作るにあたっても、その素材としたのは旋律への興味であって、決して歌詞や曲名ではなかったということです。クレメンスに限らず、こうした手法をとった作曲家は多数いたわけで、それがまた当たり前のことであった世の中でしたので、そんな風に感じるのは私だけかも知れません。世俗的な歌が、神聖なる音楽の定旋律として用いられたという事実が、もっとずっと前の時代からあったことですし、ミサ曲だけ特別扱いしている私の方を意外と感じられるかもしれませんね。
楽譜は、アカデミア・ミュージックから1982年に徳永隆男・戸口幸策による共訳で1982年に出版された
『五線譜でたどる音楽の歴史』を使いました。
使用楽器
ソプラノ モーレンハウエル キンゼカー
アルト モーレンハウエル キンゼカー
テナー モーレンハウエル キンゼカー
バス モーレンハウエル キンゼカー
バス ヤマハ メイプル
グレートバス キュング メイプル
コントラバス キュング メイプル
ソプラノ 竹山 (メイプル 415Hz)
アルト 鈴木 (ボックスウッド 415Hz)
テナー 竹山 (メイプル 415Hz)
バス ヤマハ (メイプル 415Hz)
Papalinの多重録音で、お聴き下さい。m(_ _)m
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